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mixi政治・政策討論会(仮名)コミュの半島(韓国・北朝鮮)観察

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半島(韓国・北朝鮮)観察

日本と朝鮮半島について/歴史・言語・国際政治を中心に/正確・誠実・多角的に


2004年10月19日【論稿】

朝鮮近代史における近代改革と内在的発展論朝鮮近代史の2003年前期レポートです。
5回生にしてようやく自分で納得の行くレポートが書けたという手応えがあり、
教授の評価も高かったので、序論と結論を抜粋、修正して掲載したいと思います。

読んでいただく前に「内在的発展論」について簡単に説明しながら、
本投稿の問題意識を見てみたいと思います。
(インターネットではボロクソ言われる)朝鮮近代史においては、
「開化派」といわれる近代化を志向し、
様々な運動・改革を行うエリート集団が存在しました。
その「朝鮮人自身による自主的な近代化運動」にスポットを当てることによって、
「朝鮮の自力近代化は不可能だったから日本が併合することで朝鮮の近代化を助けた」という「朝鮮社会停滞史観」「他律性史観」といわれる
戦前の日本の朝鮮史研究に対抗する試みが「内在的発展論」という歴史研究の
方法です。

他律性史観の克服という戦後朝鮮史研究の出発点を考えれば意義深く、
やむを得ない選択肢ともいえるこの歴史研究の手法は、
「自立的」な「近代化運動」を積極的に評価する一方、
「他律的」な運動に対して低い評価を下す傾向にありました。
朝鮮近代化運動においては、甲午改革などをはじめ、近代化を先行させた日本の勢力と協力・それを利用する局面も存在したのですが、
それらの近代改革・運動は、近代的志向をもつにもかかわらず「他律的」であるためにその評価を減ずることになりました。
その問題を授業で扱い、最後にまとめたものがこのレポートです。
朝鮮近代改革・運動としては、1984年からの甲午改革、1987年から始まる独立協会運動、そして光武改革を取り上げます。

…コピペしてレポートに使うのは止めてね(笑)


0.序論

甲午改革は、朝鮮における近代改革の第一歩である一方、
親日開化派政権によって進められており、その自主性に疑問が投げかけられている。
独立協会運動は近代的民族主義の高揚、自由民権思想の普及、大衆運動化、立憲君主制の要求などが高く評価される一方、君主権の絶対性の容認、
帝国主義的対外観、民衆の政治運営能力の否認・愚民観といった主張に対する指摘があり、
またマルクス主義的史観から見た階級的基盤の問題点もあげられている。
光武改革については皇帝専制体制そのものへの批判がなされる一方、
土地改革をはじめとする支配層主導の改革、
甲午改革を継承する改革として評価する視点も存在する。

以上の問題点を踏まえつつ、朝鮮近代史の概説書について、それぞれの近代改革・運動にどのような意義があり、
またどのような限界があったと捉えているのか、またそれぞれの近代改革・運動が過去の改革・運動とどのように関連づけてられているのかという点に注目し、まとめたい。

---
姜在彦『朝鮮近代史』(平凡社、1986年)
姜萬吉『韓国近代史』(創作と批評社、1984年、韓国語)
朝鮮史研究会編『朝鮮の歴史【新版】』(三省堂、1995年)
をまとめました。3冊目がおすすめです。
---

4.結論

4-1.朝鮮近代史研究の歩みと、朝鮮における近代改革・運動の評価

1910年に日本によって韓国が併合されたことは、
その後の朝鮮史研究に暗く大きな影を落とすことになった。
この時期に併合を正当化する理論として、日本と朝鮮が古代において同じ系譜を持つとし、併合を古代へのあるべき姿への回帰とする日鮮同祖論、
朝鮮は自力での近代化が不可能であり、日本がそれを幇助するとする朝鮮社会停滞論などが作られた。
朝鮮の人口増加に伴う植民政策・日本の大陸膨張政策に伴い、朝鮮人の満州への移住を展開するため、満州・大陸との一体性を語る史観が登場するなど、
併合後も朝鮮人を主役とした歴史は認められなかった。
総じて20世紀前半において、朝鮮史は他律性史観が展開されていくことになる。

1945年の終戦/解放後、日本の植民地支配を通じて歪められた朝鮮史を是正するために、様々な試みがなされた。
日本の侵略を正当化する理論を反証する日本帝国主義研究(山辺健太郎など)から、更に進んで朝鮮人を主体とした歴史を目指し、
朝鮮自身の自律的な近代化の萌芽に注目する内在的発展論(梶村秀樹など)へと至る。
この流れは、以上述べたような朝鮮史の歪みを直し、朝鮮の主体性を再び獲得するという過程で、必要不可欠なものだったといえる。

しかし一方で、甲申政変や甲午改革をはじめ、朝鮮の近代化においては、
日本の勢力と協力し、それを利用しようと試みるケースが見られた。
朝鮮における近代は、自主/他律で必ずしも割り切れるものではなかった。
内在的発展論は解放後の朝鮮史研究の視座として意義あるものであるが、
そこに内在的発展論の限界があることは確かである。

例えば、今回とりあげた甲午改革は、他律的とみなされ低い評価を受けがちである。
だが兪吉濬は、自国の近代化をなし遂げる契機をずっと伺っており、
その契機となったのがたまたま日清戦争であっただけ、といえる。
彼は日清戦争を閔氏政権を打倒する機会ととらえ、開化派政権を樹立したのである。
このようなケースにおいては、近代化の自主性/他律性にこだわることに、それほどの意味は持たないと思われる。

大切なのは、それぞれの近代改革・運動において、どのようなことをなそうと試み、実際にどのようなことがなされ、
それが民衆の生活や思想をどのように変え、後の改革・運動にどのような影響を与え、受け継がれたか、ではないだろうか。
朝鮮史はそのようなことができる段階に入っているだろう、と私は考える。

4-2.各改革の意義と限界、社会への影響、継承/断絶面

以上のような考えに基づき、今回検討した3つの近代改革・運動についてその評価をしていきたい。それぞれの改革の意義と限界、社会への影響、後の改革への継承/断絶面の3つを検討したい。

甲午改革は、甲午農民戦争での要求を踏まえながら、急進開化派による甲申政変を受け継ぐ改革であり、朝鮮における近代改革の始まりとして評価できる。清国との宗属関係の断絶と近代国際システムへの編入、近代国民国家創出を目指す一連の改革は甲午改革においてその萌芽が見られる。ともに朝鮮近代において非常に重要な位置を占める2つの問題について、甲午改革の担い手は対応を図ろうとしている。それはその後の大韓帝国の成立や独立協会運動の国民国家システムを目指す動きに継承されていくことを考えても、これらの点はもっと積極的に評価すべき点だと考える。

だがその一方で、改革初期においては自主性を保っていた政権が、時間の経過と共に日本の圧力が強まっていったことにより、徐々にその自立性を失っていったという点が指摘できる。また親日開化派政権が民衆には日本の侵略とオーバーラップして映り、政権内部においても分裂があったため、日本に一定程度頼らざるを得ず、それがまた民衆の基盤をする改革を阻害したという悪循環があったとまとめることができる。

独立協会運動は、対外的独立と対内的統合を推進する大韓帝国の皇帝独裁システムを、言論・集会という近代的運動を通じて、国民国家システムへと改編していこうとする運動であった。同時に、近代的な啓蒙を行い、国民意識の形成を図る運動でもあった。それは甲午改革の国民創出の試みが継承された運動とみなすことができる。

一方その限界としては、民衆を前近代的な者とみなす愚民観、それと関連して議会開設運動における一般の国民の参政能力の否定、土地改革を提示せず、農民層を支持派として取り込めなかった点が指摘できる。日本帝国主義を批判するのであれば、大韓「帝国」の弱肉強食の対外観=帝国主義的側面にも、そしてそれに独立協会も同調している点にも目を向けないわけにはいかないだろう。

光武改革は独立協会運動が挫折した後、「旧本新参」をスローガンに経済・技術・教育面において進められた改革として評価できるだろう。しかし、政治面において皇帝独裁システムが維持されたという点では、甲午改革から独立協会運動へと受け継がれ、志向されてきた近代国民国家システムは断絶し、光武改革においては継承されなかった。その点で光武改革の評価は、限定的なものとせざるを得ない。

ただし、甲午農民戦争で要求されたにもかかわらず、前の2つの近代改革・運動がなし遂げられなかった土地改革を行った点は、評価しない訳にはいかない。

尚、甲午農民戦争とこれらの近代改革・運動との関連性についてもしばしば言及されているが、今回のレポートでは3つの近代改革・運動の関連性について検証するにとどめた。甲午農民戦争や義兵闘争などの下からの蜂起をどのように評価し、これらの近代改革・運動とどう関連づけるかは、今後の課題として残したい。

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甲午農民戦争や義兵闘争など、朝鮮民衆による蜂起・運動は、内在的発展論においても「民衆」を基盤とした「自立的」な運動として高く評価されることも多い。しかしその主張を詳細に追ってみると、守旧派が君権を制限しているとし、守旧派を一新して本来の国王の統治を復活させるべきだとする一君万民制復活や、徹底した攘夷を主張していたり、運動展開の契機が断髪令であったりなど、自立的ではあっても「近代化」とは逆行している面も多々見受けられる。

これらの民衆による蜂起・運動についても、それぞれの蜂起・運動の意義と限界、蜂起・運動同士の連続面と断絶面、近代改革・運動との関連性、さらに民衆の生活・意識をどう変えたかなどの面から、再び整理したいと思う。

Posted by ino_

http://blog.livedoor.jp/ino_net/archives/8237682.html?__from=mixi

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