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わが母の記コミュのこぼれ話

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モントリオール映画祭の時期、原田監督はドラマ『初秋』を京都で撮影していたので、代理として『わが母の記』の編集も担当した息子の遊人が出席。
お孫さんと海外旅行中だった樹木希林さんと合流し、通訳&監督代理として同行。

ところが、モントリオール映画祭は基本的にフランス語で進行されるらしく、英語&日本語しかわからない遊人は授賞式の内容がいまいち理解できなかったようです。
で、なんとか審査員特別グランプリを受賞した事を理解し、撮影中だった原田監督に連絡。監督は樹木希林さんの主演女優賞も期待していたらしく、遊人に聞いたそうですが、「(フランス語なので)よくわからない」と返事。
「よくわからないって何だよ?」と聞き返すと、遊人と替わって樹木希林さんが「素晴らしい賞を頂いたんだから、喜んで下さい」と言われたそうな。

そもそも自宅に必要無いと思うものは持ちたく無いという樹木希林さん。
過去に受賞したトロフィーもその場で誰かに「あげる」と渡しちゃったこともあったそうで、今回のトロフィーも「持って帰ります?」と聞くと「いらない」と答えた即答。
食事も残すのが嫌いな方なので、食べきれないほど出された料理をそのままに出来なかったらしく、表の歩道(?)にいたホームレスに(自然に)すぅっと手渡したそうな・・・。

コメント(23)

映画の序盤で、家族総出で作業をしていた『検印の貼り付け』について。
若い方はご存じないんじゃないか、と思いまして、こぼれ話がてら書いてみます。

皆さんもニュース等でよく、『印税』という言葉を聞くと思います。
いわゆる『ロイヤリティー』という、『出版物や楽曲といった著作物の著作者・著作権者に対し、出版社やレコード会社などの利用者が利用実績に応じて支払う対価』、著作権使用料のことですが、何故これが『印税』と呼ばれるようになったか、ご存知でしょうか。

古本屋さんなどで、昔の本を手に取ってもらうとわかると思いますが、昔は著者が自分の姓を彫った認印を捺した「検印紙」が書籍のどこかに貼られていました。
この妙に畏まった、印鑑の押された紙。
これがその書籍を書いた作家さんに支払われるロイヤリティーの大元になるものだったんです。

出版システムが現在ほどスマートではなかった時代。
世の作家さんたちはこの『検印紙』を執筆した本に貼り付けることで自身の創作物であることを証明するとともに、その検印紙の枚数に応じて『著作権使用料』を出版社から支払われていたのです。
『印税』という言葉は、この支払方法が印紙税納付に似ているところから使われるようになったんですね。

(ちなみに文芸書、新書などは、著作権使用料は原稿料として一括で支払われることが多く、このため検印も必要としない場合が多いのですが、この映画であるように検印を貼られた方も多く居ました)

なお、検印紙は1970年代頃まで貼られていたのですが、(紙ではなく奥付ページに印影が直に印刷された「検印欄」というのもあった)、それ以降はごく一部の例外を除いて、『著者との話し合いにより検印廃止』の文言のみが表記されていくようになりました。
まあ、製本職人の減少や製本作業の機械化に加えて、猛烈な印刷・製本コストの上昇が続いたため、んなもん貼ってられっか!ってことなんだろうなと思います。
更に今では現在は文言も消えていることが多いですもんね。

しかし、電子書籍がいよいよ表舞台に上がってきた昨今です。
個性的で芸術的な検印も多かったことですし、電子書籍と紙の書籍を差別化する意味でも、
『検印紙』を復活させても良いんじゃないかな、と個人的には思います。

というわけで、こぼれ話でした!
かーるさん、そうだったんですね〜。漠然と「昔の作家さん(&その家族)は大変だったんだな〜」くらいにしか見てませんでした。
確かに「検印紙」って見たことあった気がしますわ。
>>[2]
でしょ?
あの検印紙もマニアの方がいらっしゃるようで、いろんな方の検印がネットにもアップされてますけど、
洒落っ気のあるものから実直なものまで、ほんとその作家さんの特徴がよく現れているなと思います。

ちなみにこのシーンが実際にあったことならば、井上靖の父井上隼雄が亡くなったのが昭和34年。
昭和34年というと、あの名作『氷壁』が出版された年なんですよね。

ってことは、家族総出で検印を貼り付けていたあの本は『氷壁』だったのかな…
…なんて考えると、何故かゾクゾクと来ますです(笑)
日本アカデミーの「わが母の記」組の二次会で、原田監督が制作委員会の方々へ向けて「是非しろばんばも撮らせてほしい」とコメントしていたので、「蔵の婆ちゃん役は誰にします?」と監督に聞いたところ、「大竹しのぶなんて良さそう」と言っておりました。

「元芸者で、先代の旦那さんに引き取られて蔵に住んでいる。プライドは高いが上品では無い。等々の条件で考えたら・・・岸田今日子とか?」と言ったら、「死んでるじゃん」と言われました。
>>[3]
ははっ、これこそまさにニッチな情報でしょ?(笑)

ちなみに樹木希林さんの演じた八重おばあちゃん。
100歳の頃にインタビューを受けていたようで、その時のやりとりがネットにアップされてました。
樹木希林さんに負けず劣らず、達者な方だったようですね(^O^)

http://www5b.biglobe.ne.jp/~niche7/hyaku/100-06.html
>>[5]

「しろばんば」って、確か一度映画化されてましたよね。
どうやら今では観ることすら出来ないレア物のようですが(^_^;)

ふと思ったんですが、原田監督の作品で少年を主人公にしたもの、っていうのは、確か……なかったですよね?
そういう意味では面白い試みかもしれない、なんて思ったりしました(笑)

そうそう。
「しろばんば」で思い出して、ちょっとググってみたんですが、「しろばんば」が出版されたのは1960年のことで、映画で言うと、トランプ占いのシーン〜香典帳を探すシーンがそれにあたります。
自伝「的」作品とはいえ、トラウマとなっている幼少期のことを物語にしたんですもの、いやでもこの時期、「彼」は当時のことを鮮明に思い出していたことと思います。
そんな時の八重さんの一言、「湯ヶ島に預けたのは一生の不覚だった」に「僕は捨てられたも同然でね」と切り返した「彼」の心境を思うと、なかなか身に詰まるものがありました。
>>[7]

ははっ、実際はどうかは判りませんけどね(^_^;)
っていうか、そろそろいい加減原作を読まないとダメっすね、私も(^_^;)

ちなみに、さすがは井上靖大先生なこともありまして、こう言ったニッチな情報はネット上にもわんさか漂っていたりします(笑)
もし興味が有りましたら、ぜひぐぐってみてくださいましな(^O^)
ほぉ、映画化されてたんですねぇ。知らなかった・・・。
八重は渡辺美佐子さんだったんですね。合ってるかも。脚色が木下惠介(静岡県出身)になってるから、やっぱり地元の小説の映画化に腰上げた感じなんでしょうか。1962年に作られてるから、原作発表されてすぐに企画が立ち上がったみたいですね。

ともあれ、原作全部だと(丁寧で豊かな表現だけど)けっこう長いし、全体を通してわりとフラットな回想録なので・・・やっぱり山場は母と蔵の婆ちゃんとの確執が深くなり、成長&反抗期になった洪作と婆ちゃんの老いとのコントラストが強くなって来るあたりかな?とにかく洪作役はかなり魅力的な少年でないとね。

ま、原田監督がどこをピックアップするかわかりませんけど、映画化出来るといいですね〜。
つばめさん、おぉ、「しろばんば」に突入ですね。

実は私の叔母が樹木希林さんと同様に、乳癌から肺・間接などに転移しておりまして、これまた同じ様に自分の店(花屋)で毎日働いているんですね。
先日「しろばんば」を再読した際に、叔母に「わが母の記」を見せてあげたくて、DVDを贈ってあげたのでした。
思えば、子供の頃からとても世話になっていた叔母に、何か贈ったのは初めてだったかもしれません。

ここでうっかりしていたのですが、ずっと仕事に明け暮れていたため、帰宅後にビデオも見たことが無いそうで、当然DVDのハードも持っていなかったらしく、お礼の手紙に「早速パソコンを買ってきてもらいます」と書いていたのを読んで「パソコンはいらないでしょ!」と慌てて電話すると、「孫がポータブルDVDを買ってきてくれたから、ちゃんと見れたよ」との事・・・。

ともあれ、この作品のおかげで長年の恩に少しだけお返しが出来たかな?と思ったのでした。
つばめさん、私も良い贈り物を出来たと思っています。
せっかくDVDもセットした事だし、追加で「顔」「復讐するは我にあり」を発送しました。どちらも地元である大分県で撮影された作品です。

「しろばんば」は戦後の田舎の話なので、大家族&近所に親戚も多く、登場人物の多さに少しだけ困惑しましたが、役所さんが演じた洪作がなぜあんなに母を敵視して「蔵の婆ちゃん」に固執したのかが良くわかると思います。
つばめさん、
どのあたりから「続編」になるのかわかりませんが、洪ちゃは親族や知人の死に直面し、それぞれの人物の自分の中での存在の大きさを知り、少しずつ行ったことが無かった都会やそこで暮らす人々と触れ合い、成長していく。
その過程で、今までの暮らしやおぬい婆さんの存在も変わっていく・・・。

確かに原作の印象は、一般的にいう「感動する作品」では無かったと思いますが、時代や環境は違っていても、気がつくと読んでいる自分自身が物心がつく前の子供の頃から、徐々に成長して来た過程を懐かしく・リアルに回想していました。
その意味では素晴らしくリアルな「記録」だった気がします。
洪ちゃにとってのおぬい婆さんの死は、悲しみと同時に、重い荷物を下ろした様な感覚、ある意味親との死別と自立へのピリオドでもあったのでしょう。

そうそう、亡くなる前のおぬい婆さんは、(洪ちゃの印象として)それまで嫌っていたはずの人々に対して、間逆の評価をしてたりします。
曽祖父の妾として蔵に暮らす事を許されていたという弱い立場を自覚していながらも、洪ちゃの存在によって強気な発言をしていたんですね。
そんな事さえも理解出来る歳になるまでの期間を綴った物語でした。

続編は読んでおいた方がいいのかもしれませんね〜。
つばめさん、素晴らしい感想文、ありがとうございます。

ラストにかけて、それまでに丁寧に描かれていたとおり、周囲に翻弄されていた「洪ちゃ」が、少しずつ・確実に「意思」を持ち、それぞれの出来事を自分なりに審判する様になる。

その最も大きな成長が、それまでの「親」であったおぬい婆さんとの別れであり、亡くなった事に対する感情として、あの歳で「やっとのことでこれでひとりになれたといった解放感」を感じたという洪ちゃを、私は逞しく思わずにはいられませんでした。

間違いなく「文章」なのですが、井上靖の素晴らしく巧みで細やかな描写により、ある時は俯瞰から、ある時は同じ部屋の片隅から、またある時は一緒に馬車や電車に乗りながら、ドキュメントを見る様に洪ちゃを見守らせてもらった感覚になる作品でした。

それだけに、もし映像化するのであれば、かなりハードルは高いといえますね。
でも、見てみたい・・・。

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