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聖隷クリストファー大学コミュのナグさんから貰ったアルテミスの言葉

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またまた突然ではありますが、長谷川保に関連する日記を書きましたのでご参考までに掲載させていただきます。

昨晩、サーフをしているとナグさんというかたの日記に目が留まる。
霊界(アルテミス)からのメッセージが掲載されていた。 

下にナグさんが受け取ったアルテミスからのメッセージを拝借させていただく。
『人に必要なことは自然と流れでその人の前に現れる。
 あなたは、「待つ」だけでいい。
 無理に押し進め、走り出すと周りの風景は目に入らない。
 走り出すことで流れをせき止めてしまう。
 あなたは、悠然とかまえているだけでいい。
 あなたの力が必要な人は、あなたの前に現れる。
 地に足をつけ、あなたは待てばいい。
 私アルテミスは目的を引き寄せる為に一番必要な経験を
 あなたに届けます。ゆっくり歩いているだけでも、目的には
 進んで行く。
 自分の願いを人に押し付けてはならない。
 人の歩みをあなたが止めてしまってはいけない。
 人が困っていると言った時、あなたが自然に手を貸せるように。
 あなたが地に足をつけ、進んで行けるように私アルテミスは
 手を貸します。
 人のことを考え、人に感情移入し過ぎると目的を
 見失いうことにもなります。
 何事にも一歩立ち止まって、相手はどう思うか考えてみましょう。
 人々の思いを受け止めることは、とても大切なこと。
 それを踏まえ、目標に進みましょう。
 もっと自然でいい。世の悪い面を追い、嘆くより
 周りの方々の生命力をまず信じてください。
 皆それぞれ大事な役割を持って生まれ、そして、
 その使命を果たすべく、日々暮らしている。
 穏やかに暮らしなさい。学びはすべて日々の中に在る。
 全て、うまくいきますから。』

魂に響いた。 アルテミスの言葉が、まるで砂漠を歩き続ける者の喉を潤す水の如く心に浸透していく。 
やはり、霊界からのメッセージと言うのはすばらしい。 そして、立派な宇宙のサービスをされているナグさんにもMY HATS OFFです。

話は変わるが、よくパワーポイント(絵、図を含むスライド等)を使ったプレゼンテーションで、プレゼンを聞いている時は、非常にわかり易く、理解した気分になって、さて、後で内容を人に説明しようと思うと、実は良く理解できていなかったという経験をするのは私だけでしょうか。 

そこで、このすばらしいアルテミスのメッセージについても、実は私自身、魂のレベルでは共感して感銘を受けているが、自我の部分では理解しきっていないのではないか? という疑問にぶち当たる。 まだまだ未熟なわたしは自分の魂の欲することが自我の部分で人にうまく説明できるまで、しっかり伝達されていないのでは?と。 

そこで、ナグさんの了解を得て、これを「自分の言葉で」分析したいなと思った次第です。9おおおおl;。;・;:・¥:・:¥(ごめん、これトイレ言ってる間に、1歳半の子供(「太陽」っていいます。写真も載せています)に書かれた・・・まぁ、折角だから残しておきます)。

まず「自分の願いを人に押し付けてはならない」、これについて自分なりに考えたい。なぜなら、奉仕活動・愛を実践していくうえで、これを理解するのは非常に重要と思うからです。みなさんもご存知のように状況に応じた判断・境界線・見極めが難しいのです。 

とかく、スピリチュアリティー(又は宗教になると特にそうであるが・・・布教活動などは典型)を語る際にはありがち(自分も含め)。 理屈だけで上からものを言ってしまうことも多いと思います(勿論、私も含めて)、もしくは、本人にそのつもりが無くても、そういう風に解釈されるケースは多いと思います。 

ただ、私なんかもそうですが、やはり、スピリチュアリティーに興味のある人はどうしても友達や色々な仲間と話したい、共有したいと思うのはごく自然で、それ自体は特に問題がない。そしたら、何処が問題かというと、その話かたと話し手の意識なのかなぁと思います。 

まず、その話しかたに人を助けるというような上から見るようなものがあれば、それは自然と言葉の節々に表れ、相手に伝わり、聞いているほうからすると「おせっかい」、「自分が否定されているよう」に感じるので不愉快になり、耳を傾けない。 または話しかたは強制的でなくても、「人のため」って思っている意識自体が実は自分の過信ではないかと思うことがあります。

自分が話したいと思うことは、素直・正直に話せばよい。 相手がその話に興味が無ければ、必然的に会話が終わる又は別のトピックに流れていく。 これは何もスピリチュアリティーに限らず、他の題材と全く同じ流れ。 ここで終わることも一つの選択肢。 こういう話をするとスピリチュアリティー(又は他の分野でも同じ)に興味のある人同士の会話というのは楽である。 お互いがある程度の共通の土台をもっているわけですから、ただ、そうであればスピリチュアリティーに興味を持っていない人は自分の生活に要らないかと言ったらそんなことはまず無いわけで…。 ただ、相手を説得させようなんて思わなくても、単に一緒に話したいってことはよくある。

そのときは未だ色々と工夫の余地はあると思います。 

会話にスパイスを入れる。 例えば、冗談っぽくいうなど、ユーモアを取り入れる。真面目腐ってスピリチュアリティーを語っても、聞く耳を持ってもらえないのに、ユーモアを入れると、楽しいから会話になるということもあることもしばしばあります。 

エッチな話(シモネタ)なんてのも、有効です。 神様が人間に与えた万国共通で最高におもしろいユーモアなのですから、自信を持ってシモネタを披露すればよい。(これも実は人間社会の善悪の価値観(神聖なる愛の営み・部位等を隠蔽したがるなど)があるからこそおもしろいのだ。実はわたしよくシモネタを披露するのだか、声が大きくて、一緒のメンバーが嫌がって、「もう少し声を下げて」とよく言われる。 昨晩の飲み会でも言われた(笑))。 :::::::::::;;0¥」};@「「:@:・:」 (なぬ、今回は絵文字で繰り出すとは、息子もなかなかのアーティストじゃ・・・今日は真面目な文章になりがちだったので、息子のユーモアには助かる)。 

あと、自分なりに大切だと思っていることとしては、話をする際にまず相手を思い、相手の人生観、趣味、思考、そして、その人の生身のある人間的な部分を会話に混ぜ込めた「Custom Made」的な手法を使うということ。セックスで例えると、自分のお気に入りのワン・パターンでは、相手を必ずしも満足し得ないということ。人ぞれぞれ沖にいれのスタイルがあれば、具体的な性癖も個性がある。

妻に「マンネリ」と言われて、耳が痛いのは多分私だけではないでしょう。

やり方は千差万別。 100人いれば100通りのやり方がある。 もし、他にこれも有効ってな秘儀があれば是非共有してもらいたい。

あと、僕は何をするにしても「あくまでもそれらは最終的には自分のためにする」というのが厳密に言うと正解だと思うんです(俗に言う自分のためとは違う)。人を助ける(救う)という考えは、過信であり、まず捨てたほうが良いのかなあと思います。

ご存知のように100人が山頂に達するには、100通りの経路があるべきで、しかもその寄り道に大きな意味があるからです。 色々と回り道をして違う景色を味わって、しかも途中で危機一髪の体験があればあるほど、頂上に達したときの達成感は大きい。

神との対話でも出てくるように、人として生まれてきた本来の意味はやはり愛の世界が如何にすばらしいかということを実感したいが故に、愛とは相対的な不安が混在する世界を体験することをわたしたち魂自らが選択したわけで・・・。

「自分のために」
実は前回の日記に出てくる私の祖父にしても、実はよく考えると「人のために」という視点でなく、自分のためにやっていると思うのです。重症肺結核の患者さんが最後には本当に安らかで満身の笑顔で、「ありがとう、ありがとう」といって天に召されるわけですが、その感謝の心によって、祖父自身が幸せになれるわけです。 

人間の慈悲、「かわいそう」って思えるような相手には、例外なく、健康体の人間が忘れている悪巧みの無い純粋な心っていうのがあって、祖父はそういう人をお世話することで、多くを学び、エネルギーを逆に貰っていたのではないかと・・・。 「生涯私的財産を持たない」を貫き通せたのも、自分のためでなければ、成り立ちません。 

そういう意味ではやはり自己満足・自己中心的でいいのです。 ただ、その自分のためにした行為の結果、結核患者の方々にしばらくの安息所を提供し、安らかな最後のときを得させることが出来たわけです。 あくまでも結果論だと思うのです。 よく人のために・・・とよく言いますが、人の為にいいこと(善)をすると書いて、「偽善」になるってご存知でした? これは何かで読んだのか、私のガイドからのメッセージなのかは定かではありませんが・・・。  

「人に必要なことは自然と流れでその人の前に現れる。 あなたは、「待つ」だけでいい。」

これもとても身に沁みます。 またまた祖父の例を挙げますと(前にもちょっと書きましたが)、祖父は実は聖隷福祉事業団を立ち上げる前はブラジルに渡り、大コーヒー農園主になるつもりで居り、船での渡航出発前夜に、夢の中にキリストが現れ、「お前は日本にとどまり、日本民族の救いのために働け」と神の啓示を聞いたそうです。 

その後、ある父親が祖父を尋ね、「この子は私の息子の昇次ですが、肺病を患っています。事情があって自分の家に置くことができません。住まいを捜して転々としましたがどこも半月ほどで追い出されて来ました。この子の五尺のからだを天地の間に入れてやるところがないのですわ・・・」と言って嗚咽した。断れば自殺するに違いないと思い、キリスト者として放置することができずに、ついに昇次を引き取ったところから、聖隷福祉事業団が始まったのです。

敗戦直後には日本国民のじつに8百万人が餓死する(当時の日本の総人口は8千万人、十人に一人が飢え死にする)と政府が発表したのを聞いて、これは大変なことだ、もう小さな社会事業では間に合わない、「政治」だと祖父は決意し、生活保護法や憲法25条「全て国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」を制定したのです。

祖父は衆議院文教委員長をしている際に調査のためアメリカを訪問したわけですが、その異国の地で実は日本の60歳以上の老人の自殺率が世界一高いことを知らされ(老人の自殺の動機の第一は病苦)、調査すると、ほとんどの老人ホームは病気の老人を受け入れないこととなっているのに気付き、老人福祉法を作り、特別養護老人ホームの制度ができ、約十万人の寝たきり老人が保護されるようになったのです。 

重度の障害児者のための施設も同じです。国が豊かになると共に栄養もきちっと採れるようになり、かつては生まれて間もなく亡くなってた重度の障害児が逆淘汰的に生きながらえて、そのために育児に困憊したり、絶望した親たちが重症児を絞め殺したり、無理心中をするなど悲惨な出来事が毎日頻繁に起こるようになったのです。 そのために重症心身障害児施設や重度精薄児施設などを作ったのです。

近年になり、がん患者が増加の一途をたどり、今日(当時)の医学をもってしても、施しようの無くなったときに退院を余儀なくされ、耐え切れない疼痛に悩まされながら、死そのものよりも、淋しく恐ろしい日々を生きていたそうです。マザーテレサは「人間にとって、いちばんひどい病気は、誰からもいらないと思われていると感じとることです。」と言っています。 それに見かねて、特にがんの末期患者に対して肉体的傷みやさまざまな症状の手当てを行いつつ、信仰的にも精神的にも患者を支え助け励ましていくためのターミナル・ケア「ホスピス」を欧米より取り入れたのです。

というように、祖父の場合は、はっきりとアルテミスの「人に必要なことは自然と流れでその人の前に現れる」の言葉の如く、動機になる出来事が必ずあって、それに対し、無報酬で福祉実業家をしていたこともあり、ある程度の用意が出来ていた祖父は、自分の思うがままに正直に愛を実践して行ったのです。 私たちは(勿論自分も含め)、こういう話をすると、限られた人にのみ起こるというように、実際には自分の目の前に現れているものに対して、目をつぶりがちです。 最初から大きなことは出来ませんが、身の回りの小さなことから、そして現代社会の問題点を認識するところから、自分のペースで実践できればなと思います。 アルテミスの「待つ」という言葉には、何もしないということではなく、「いま与えられたことを一生懸命しなさい」といわれているような気がします。 まだまだ未熟でありますね。

今日、浜松の母から、クリスマスカードが届きました。
こう書いてありました。

「感謝はあなたが成長し広がるのを助けます。
感謝はあなたの人生に
喜びと笑いをもたらすだけでなく
あなたの周りにいる
全ての人々の人生にも喜びと笑いをもたらします。」 −アイリーン・キャンディ

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