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照ノ富士春雄コミュの相撲あるある 相撲偉人伝

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このトピックは大相撲をさらに盛り上げるためのトピックです。
照ノ富士関以外の偉大な力士たちを紹介します。

コメント(11)

ホテル若三杉は横綱昇進とともに師匠の現役名である若乃花幹士を襲名!
親方は部屋創設当時から自分の弟子で最初の横綱に名前を継がせると公言していたが
当の若三杉本人は全く知らず 決定後に聞いて「えっ、若乃花だって!?」と驚いていた。
一説によれば本人は若三杉の四股名を大変気に入っており改名したくなかったとも言われる。カメホテル
ホテル若三杉は甘いマスクで人気があり蔵間と女性ファンの人気を二分しており
ことに水商売の女性の受けが良かった。天の川ホテル
電車若三杉は引退後 まだ30歳前であったが 師匠の娘と結婚後に別離し
年上のホステスと情交関係を結び後に再婚する等の問題が影響したのか
協会内に引き止める者は少なかったと言われている。
ただ、同期の隆の里は「あれだけの素質を持つ男がこのまま引退とは惜しい。
 あと一ヶ月もすれば次の場所が来るから そこで賭けるべきだ」と最後まで引き止めた!モノレール電車
ホテル若三杉は2008年 部屋での朝稽古中に序二段力士の弟子を竹刀で叩くと言う暴行事件を起こし
太ももなどに全治一週間の打撲と擦過傷を負わせた。
この事件について当人の間垣親方(若三杉)は事件が発覚した夜は
「悪いことをしたら叩くのは当たり前。弟子がかわいいからやっている」などと話し
この叩かれた弟子の奈良にも問題があったと主張した。
若三杉は 大相撲力士大麻問題で逮捕された弟子の若ノ鵬の監督責任問題により
理事職並びに大阪場所担当部長を辞任した。
若ノ鵬解雇の際「若ノ鵬が部屋の外にマンションを借りていたのは
 知らなかったでは済まないと思うが知らなかった」と発言していた。
なおこの大麻事件については 冤罪だと語ったという。
「では、親方であるあなたが訴訟を起こすなりして 彼の無罪をはらすべきだ」と指摘されると
「知らねぇよ、関係ねぇよ」と答えていた。ホテル天の川
蛇2017.02.05日本大相撲トーナメント第四十一回大会
照ノ富士VS石浦
照ノ富士の圧勝!蛙風船
ホテル輪島
三役昇進前から私生活は派手であり
場所入りの際にはリンカーン コンチネンタルを乗り回していた。
また髷を云う前の髪を伸ばしている時期にパーマを当てたり
トレーニングにランニングを取り入れたりして物議をかもした。カメホテル
ホテル1982年4月妻(師匠・大ノ海の長女である輪島五月(旧姓・中島。「輪島五月」名義で著書あり))が自殺未遂(その後離婚)、
1985年11月に角界では前代未聞の、年寄名跡「花籠」を実妹の経営する料亭の借金の担保にしていたことが表面化し、
日本相撲協会は臨時の理事会を開き、委員から平年寄への2段階降格処分と無期限謹慎処分を決議した。
これほどまでの重大な処分が下された影には、輪島が当時抱えていた他の金銭問題や、
現役時代からの私生活での豪遊ぶり等も不興を買ったという説もある。
結局これが原因で、同年12月に廃業となった。
花籠部屋は部屋の継承者を決めることができず消滅、
所属の力士たちは花籠部屋出身の魁傑が開いた放駒部屋へ移籍した。
さらに初代若乃花や輪島らの横綱を陰で支えた先代師匠の妻・中島トミが
1986年5月23日の夕刻に首を吊り自殺するという悲劇を生んだ。天の川ホテル
ハロウィンプロレスラーとしての評価は決して高くなかったが、
同じ大相撲出身の天龍源一郎との絡みは非常に激しいものだった。
自らのバックボーンへのリスペクトを忘れない天龍は、
その世界で最高峰を極めた輪島に対し「強くあってほしい」と願い、
それが輪島への厳しい攻めにつながった。
煮え切らない試合を続けていた輪島もそれに触発され、
天龍が放つ容赦のない蹴り技を真っ向から受けるなど迫力ある対戦となった。
相撲では格下だった天龍(天龍の生涯最高番付は前頭筆頭)が、
格上の元横綱を激しく蹴りまくるという展開は、
プロレスを八百長視していた層にも少なからぬ衝撃を与えたと言える。
当時新日本にUターンしていた前田日明はこの2人の試合を見て
「これはヤバイ。あんな事をやられたら、自分らの存在意義がなくなってしまう」
と危機感を抱いていたという。
必殺技のゴールデン・アームボンバーが、後年「喉輪落とし」として多くのレスラーに使われたり、
同じ角界出身の天龍と激闘を展開したりとそれなりの活躍を見せたが、
徐々に精彩を欠くようになり、
大相撲時代から仲の良かったプロレスラー石川敬士の退団と同時に
1988年12月に引退した。蛸風船
光るハート双津竜‥
故障が多く幕内と十両を往復することが多々あったが
1979年7月場所には最高位の小結まで番付を上げた。
引退後は20年にわたり時津風部屋の部屋付きの親方として後進の指導に当たった後、
2002年に定年を迎えた先代の時津風(元大関・豊山)の後継者に指名され
時津風部屋を継承した。
2007年名古屋場所直前に序ノ口力士の時太山を死に至らしめる時津風部屋力士暴行死事件が発生した。
その際に「死亡した力士にはマリファナの使用歴があった」等の発言をしたため物議を醸した。
2007年9月末、ビール瓶で時太山の頭を殴打するなど暴行の事実を認めた事が報じられる。
また、時太山が倒れた直後も救急車を呼ばず弟子たちに口止めしたり
時太山の遺族に火葬の承諾を取ろうとした。
遺族側は拒否し地元で行政解剖し暴行が発覚。
2011年7月20日、事件についての暴露本となる『悪者扱い』を出版した。
出版を記念したニコニコ生放送でのインタビューで本人は同年2月から角界を揺るがした八百長問題について
「私も昔、やりました」と明かした。
時期や回数については「十両に上がってから10番ぐらい」と話したものの対戦相手などは明言しなかった。
その後は三重刑務所に服役していたが
肺がんと診断されたため三重県内の病院で治療を受けた。
のち仮釈放されて東京都内の大学病院に入院したが
病状が悪化し2014年8月12日未明に死去した。
64歳没。
酔って弟子に当たる様子が何度も目撃されるなど酒癖の悪さも有名であり
暴行死事件に関しても酒により現れた別人格が引き起こしたという評判が多く聞かれた。
関係者によると「酒の強さなら間違いなく横綱」という酒豪であり
1973年に日中国交正常化を記念して北京で開かれた中国公演では
60度もあるマオタイ酒を一気飲みして時の周恩来首相を驚かせたという。鯨光るハート
てんとう虫双羽黒‥
鳴り物入りで角界入りした北尾(双羽黒)は恵まれた体格と素質は誰もが認めるほどだった。
また相撲教習所では自他ともに認める「バスケットボール選手みたいな体」で注目を集め
中でも同期の保志信芳は特に驚いていたというが
北尾は「小柄な保志は保志で、すごく目立っていました」と後年述懐している。
幕下時代には後援者と食事をした時に自身の大好物であるステーキを3000g食べたかと思うと
直後に中華丼・天津丼・オムライス・炒飯・チャーシュー麺・
冷やし中華・カツ丼を次々に注文しては殆ど完食するほどだった。
リーチを生かした突っ張りから右を差して左おっつけから上手を引く相撲が北尾の型で
相手によっては頭をつけることも厭わず、寄り、上手投げを得意とした。
ほぼ2mの長身でありながら腰高や脇甘は顕著でなく
機敏さもある程度持ち合わせていた。
がっぷりに組めば千代の富士貢も苦しめることがあり
外四つになって肩から覆いかぶさる相撲でも力を発揮した。
父親が建設会社の取締役で北尾はその一人息子として甘やかされて育てられたためか
少しでも厳しい稽古をさせると口癖のように「故郷へ帰らせてもらいます」と発言し
立浪も北尾に対してではなく稽古を付けた兄弟子を注意する始末だった。
椎間板ヘルニアで途中休場して入院した時は立浪への不信感を抱いて本当に故郷へ帰ってしまった。
これに怒った父親が北尾を追い返すと立浪は罰として一年間の便所掃除を命じた。
さらに鞭打ち症で途中休場して伊豆へ温泉治療に行った際には
伊豆で廃業を決意して友人の家に行ったが立浪にすぐ発見され
懇々と諭されて連れ戻された。
酷い時は稽古をサボって喫茶店に行くこともあったが
立浪が注意しないために誰もが見て見ぬふりをしていた。
1987年12月27日、立浪との若い衆に関する意見の対立から部屋を脱走、
そのまま「(破門同然の)廃業」という事態になった。
発端は、同日の夜に部屋の若い衆が「『あんなちゃんこが食えるか』と
横綱(双羽黒)が言っている」と立浪に言いつけたことだった。
立浪の主張によれば、ちゃんこの味付けについて立浪と大喧嘩した北尾は
仲裁に入った女将を突き飛ばし「二度と戻らない」と言って部屋を出て行った。
プロレス転向後は大相撲時代と同様の「練習嫌いの問題児」の悪名を響かせ始めた。
その後、新日本の現場責任者とマッチメイカーを務めていた長州力と激しく対立すると
北尾のあまりに怠慢な態度に業を煮やした長州が発した
「プロレスラーは常に多少なりとも故障を抱えて試合に臨んでいる。
 フロントがどう言おうと、練習をしない奴は試合で使わない」という言葉に対し
北尾は「何か文句があるなら勝負(喧嘩)して 負けたら言うことを聞く」
「怖いのか?この朝鮮人野郎!」という度を過ぎた暴言、
さらには民族差別発言によって新日本プロレスから契約解除を言い渡された。
その後はSWSへ参戦する。
しかし、同じく元大相撲力士であるジョンテンタ(ジアースクエイク元幕下 琴天山)との試合中にレフェリーを蹴り
反則負けを宣せられた挙句、リングを降りて手にしたマイクでテンタに向かって
「八百長野郎この野郎!八百長ばっかりやりやがって!」と発言!
さらに観客に向かって「お前ら、こんなもの(八百長試合)見て面白いのか!?」と叫んだ。
観客の前でプロレス業界における「禁句」を連呼する北尾の姿はその会場のみならず
プロレス業界全体を騒然とさせたが 北尾本人はこの直後に満足気な態度で
「どうだ、盛り上がっただろう?」と話している。
弟弟子に対するイジメ(付人をエアガンで撃って遊ぶなど)で
横綱時代に付き人7人中6人が巡業から逃げ出している。イルカミツバチ
登山鉄道各界有名21人の金言名言アドバイス集『さまざまな風に訊け』は集英社から発売されていました。
その中には「横山 やすしの『ボートに訊け!』」、「岡崎聡子の『レオタードに訊け!』」、「たこ八郎の『タコに訊け!』」、「五月みどりの『カマキリに訊け!』」、「愛染恭子の『肌に訊け!』」、「CWニコルの『大自然に訊け!』」、「アントニオ猪木の『リングに訊け!』」、「タモリの『訊いていいとも!』」、「山本晋也の『ほとんどビョーキに訊け!』」、「千昌夫の『イワテケンに訊け!』」などがありますが
「北尾の『綱にきけ!』」はありませんでした。
でも 調べてみると 元横綱「双羽黒」(北尾光司=「スポーツ冒険家」)の「綱に訊け!」は『ビッグコミック スピリッツ』で短期間連載されていました。トロリーバスときどき曇り
アリきのう放送の『アメトーク』で北の湖に勝って会場を沸かせた若三杉のことや
パーマをあてていた輪島のこと、北尾(双羽黒)のことなどを
取り上げてくれて うれしかったです。なまはげ風船
月(顔つき)もうハッキリ書きますが‥
角界には 病死 自殺と見せかけて暗殺された過去があります。
急性呼吸不全のため死去した鳴戸親方(元横綱 隆の里 享年59)…
鳴戸親方暴行報道は『週刊新潮』が2週にわたって報じたものです。
同誌によれば 鳴戸親方は“精神注入棒”と書かれた角材で弟子の頭を殴打したり
痩せていた弟子の体重を増やす目的でインスリンを注射していたという‥
さらに鳴戸部屋では 稀勢の里らによる“かわいがり”や
若手力士へのセクハラまであったといわれています。
また 著書『大相撲 八百長』で告発した大鳴戸親方らは怪死しました。
これは「相撲界最大の闇」と言われています。
八百長告発で二人が消されたのです。
同じ日に同じ病院で同じ死因で二人が死亡しているのです。
角界にとって「不都合な存在」である力士や親方たちも
自殺と見せかけて暗殺される危険性だってありうるんですよ。
これからは大相撲ファン及び国民みんなが温かい目で見守りつつも
監視&注視していく必要があるかと思われます。月(顔つき)木
八百長〜相撲協会一刀両断
http://mixi.jp/view_item.pl?reviewer_id=281872&id=1572783
怖いね…
著者の元大鳴戸親方と後援会会長は 怪死してますよね…
相撲の八百長を告発していた菅孝之進氏(元関脇高鉄山、元大鳴戸親方)と
橋本成一郎氏が書籍の出版直前、同じ日(96年4月14日)に同病院で
同じ病気により二人とも死亡してしまったという事件がありましたよね…
元・大嶋戸親方が北の富士、千代の富士など
歴代横綱の八百長相撲の実態を実名で描く。渾身のノンフィクション。
相撲協会再生に一石を投じようと、協会内部、親方、力士たち、
そしてマスコミの現状を怒りをこめてつづっている。
ブラジル巡業でエイズを恐れず現地の女とナマでやったとか
「相撲と同じで速攻だ」などの面白い発言も収録されている。
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北青鵬は人の言うことを聞く人間じゃない。
北青鵬の相撲は基本が なってなかった。
宮城野親方は「そのヤり方で負ければ いずれ
 その相撲じゃダメだってことが分かってくれるでしょう」
とか言ってた。
親方は北青鵬を甘やかし過ぎたんだ。
時間をかければ分かってくれると思っていたのだろう。
甘かったな。花束クラッカー

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