ちゃむ(coLd)コミュの【駅前三輪車】２

【少女Ｒ】 Vol.2

　
　
「いま、なんと、おっしゃいましたか」

　私は、動揺を悟られまいと丁寧に尋ねました。目の前の上司は灰皿から比較的長く遺った煙草を探し当て、目を細めて火を点けました。ゆっくりと吸い込んだ紫煙は彼のデスクにだけ濃霧を起こしました。

「ヤらせてみっか？」

　景色が霞みます。

「なにを……」

「ＳＥＸ」

　地面が揺れています。

「なっ、なにを……なにを……」

「そうそう、よく解ってんじゃない。ナ、ニ、よ」

　狂ったサーカスが始まりました。傍目、口調はとても明るく、楽しそうです。が、この道化師の怖い所は……決して合うことのない、笑っていない「目」です。

「そんなこと……」

「だぁほ。お前がそこまで言い放って尚食い下がる男だぞ。ちょっとやそっとで諦めるかい」

「でも……」

「<最後の思い出>とか言って一回ヤらせりゃ諦めもつく。抱いた後ろめたさでこれ以上突っ込んでこれねぇだろ」

「……」

「お前ね、生娘でもあるまいし何躊躇ってんだよ。それじゃなにかい？　これ以上の妙案があるのかい？」

　雨が降りました。

「はぁ……他人を突っぱねる割にはそれだもんな……ホント困ったコだね……」

「だって……」

　雨がしとしと降りました。

　私は異性の全てを拒絶している訳ではありません。昔からの友人、決して男女の間柄にならないと解る相手になら積極的なスキンシップを行うタイプですらあります。ただ、向こうが私に特別な感情を抱いていると解った瞬間、一気に距離を測ってしまうのです。好意を持たれている異性からは一切に触れられたくなくなるのです。何故なら、その先には肉体的な交わりが待っているからです。相手はそれらを期待しているからです。その邪まな期待が、体を介して私に伝わりくる様な感覚に嫌悪感を覚えるのです。
　私はＳＥＸが嫌いです。大嫌いです。
　私にとってのＳＥＸとは、生殖行為に外なりません。私の両親がそうであった様に。冷めきった両親が私を産む為にそうした様に。

　世に言われる恋愛とは、つまるところこの行為へ落ち着いてしまいます。それが耐えられません。

「それは本当に好きな人と抱き合った事が無いからだ」

　友達は解った様に言います。
　確かに私は<本当に好きな人と抱き合った事>がありません。解らない、知らないだけかもしれません。だからと言って、この行為が至上の理由になるとも思えません。
　肉体的な繋がりより、精神的な繋がりを重んじる事は、何かマジョリティーから外れた見方をされてしまいます。
　私がこの肉体を通して手に入れる物はたった一つです。
　者です。我が子唯一人なのです。
　それを

　決別の手段になど

　軽々しくも

　その手段になど。

　キッと睨んだ目から涙が溢れます。止め処無い感情がグルグル回って涙腺から排出されます。

「お前、ＳＥＸが嫌いだろう？」

　新しい煙草に火を点けた上司が本日初めて私を見ます。煙を挟んで睨み合う私達はそのまま隔離された空間の輪郭を濃くします。

「……いや、大嫌いだろう？　それがお前の異性との距離感に直結していると言っても良い」

　上司は続けます。

「じゃあ何で俺がこんな事を提案すると思う？」

　私は視線で理解不能を伝えました。

「お前が嫌いな行為を手段にしなくちゃいけない位、先方が真剣だからさ」

　だからといって

「お前、何も失わずに何かを手に入れられるとでも思ってるのかい？　何かい？　関係はこのままで、あわよくば感情もこのままで、いつかお前に誰かが現れるまで先方を泳がせとくつもりかい？　確かにお前は先方に色んな対応ができるだろう。色んな態度を取れるだろうよ。でもね、それの残酷性に気が付かないお前じゃない。そう、残酷な選択肢を提示したら、傷付かない訳にはいかないんだよ。お互いに、な」

　嗚呼、この人は何と恐ろしい人なのでしょうか。
　何故そこまで見透かしてくるのでしょうか。

「お前がここまで思い詰めるんだ。相手はお前の経験の外、お前にとって相当の規格外と見受けるね」

　そうです。私はここまで強く想われた事がありません。こんな私に将来を伝えてくれた人など、かつていません。

「初めてだもんな」

　歪曲した私に先輩の想いは、余りにも真っ直ぐで。

「迷うよな、そりゃ」

　どうして良いか解らないのです。

「俺も解んねぇもんよ、正しい答えなんかさ…」

　道化師は少し淋し気な声でまた紫煙を吐き出しました。その声は優しく、甘いラムメンソールの香りでした。





続く
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