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2014年大河ドラマ「軍師官兵衛」コミュの(歴史トピ)「関ヶ原」以降(1600年〜。関ヶ原の戦い・数々の名言と逸話

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息子の黒田長政が豊臣恩顧の大名を多く家康方に引き込んで武功を立てる一方、官兵衛が後の歴史ファンを熱く駆り立てるような複雑な葛藤と行動を見せる「関ヶ原の合戦」前後。

さらにはその「関ヶ原」の後の、クール過ぎる隠居生活について、コメントお願いします。

身の回りの物を家臣に払い下げていた事について、ある家臣が「何故、我等家来に売り渡すのですか。どうせなら下賜すれば宜しいのでは?」と言うと、「くれてやりたいが、くれてやる物は限りがあり、貰えなかった者は不平感が募るであろう。だから払い下げるのだ。こうすれば銭の無い者や、あるいは銭を失いたくない者は買わぬであろう。こうして多少なりとも不公平にならずにしようと思うのだ」と返した話もよく知られています。

コメント(106)

>>[65]
> 情報を集め、分析し、予測を立てて、対策を講じる。相手方と粘り強く交渉・折衝する。私の中では、官兵衛は、そんなイメージがあります。

当時としてはかなり合理的な考え方・判断のできた人物だったのだと思います。そしてその判断の材料になった”情報”、これが重要だと思います。現代に生きる人々はそのあたりの感覚が中々理解できないのだと思いますが、当時は、TVはもちろんですが、新聞・雑誌に該当するものもありません。同業種交流会的な、大小名が一堂に会して気軽に情報交換できる場(現代の新年会・名刺交換会のようなもの)もほとんどありませんでした。最新情報入手は困難でしたし、情報の価値自体に注目していた武将も少数だったと思います。

織田か毛利か?その判断で官兵衛は織田を選択した。播磨の多くの大小名は最終的には毛利を選んだ、その違いは情報収集力が大きく影響したと思います。黒田家は「目薬屋あがり」と軽んじられましたが、その、財を成した販売方法が特殊でした。各地を周ってお札を売り歩く広峯神社の使い(御使)に託して目薬を販売したのです。現在風に例えれば通販やネット販売のようなものです。諸国を巡る御使たちは、売り上げと同時に諸国の情報をも持ち帰りました。同じく毛利に織田への加担を勧めた安国寺恵瓊も、京都東福寺の住持を兼ね、中央の情報に通じていました。こういった情報通の武将は地方では異例でした。どうしても”分析力”の方に目が行きがちですが、この時代では、それ以前に”情報”というもの自体の価値に注目する、それが新しい目の付け所でもあったのです。関ヶ原前夜でも、九州に隠居した官兵衛は、快速船を乗り継いでの情報網をあらかじめ作り、戦局のいち早い把握に努めていました。
>>[67]

再び、分かりやすい解説、ありがとうございます。
御使からの情報収集は、ドラマでも描かれましたね。
目薬の販売は、黒田家の経済的な面だけでない、目的が
あったと。

仰る通り、分析の前に現状把握というか、最新の情報を
集める、これがまず重要であると。
情報の質が、その後の分析や選択に影響を与えると。

官兵衛が、状況の変化に、柔軟に対応出来たのは。
あの時代に、情報というものの価値を知っていて、それを上手く集め、生かすことが出来たからだと思います。

情報収集云々は存じていますが、調べた限りこれを良質の 史料で実証する事は出来ませんでした。

なので自分の中では「〜とも云われている」というレベ ルで止めています。
官兵衛の動向については、当時の史料である程度追えるような気がします。
>>[71]

福岡市博物館に、黒田家から寄贈の、資料があるので。
それを検証すれば、官兵衛の動きが、ある程度は分かる気がします。
>>[72]

史料としては、『黒田家文書』216-6が基準になると思われます。
「官兵衛は九州を平定し上方に上り、関ヶ原の勝者と戦い天下を獲るつもりだった」という話は時々見聞きしますが、根も葉もない虚説という訳ではあ りません。

ネタ元の慶長5年10月4日付け吉川広家宛て官兵衛書状(黒田家文書216−6)には、
「中国へ切上、花々と見知返し候而、一合戦可仕と存候ニ、はやばや内府御勝手二罷成残多候」
とあります。
「上方における美濃関ヶ原の戦いが今月まで続いていれば、中国地方まで攻め上がり、華々しく一合戦をしようと思っていたが、早くも家康の自由勝手 な状況になり多いに残念だ。」
という意味でしょう。

しかし毛利輝元にしてみれば、五大老でもあり秀頼を推戴している自分が官兵衛の組下に入る道理はありません。またこんな事を吉川広家に通達する事な どちょっと考えにくく、本書状から毛利との対決姿勢を読み取る事は難しいと思います。
逆にこの文章の前後には家康公儀に従う文言が表現されていおり、家康と戦うという解釈も成立しないと思います。

自分も上方の大戦(おおいくさ)に加わり派手に暴れ回りたかった、という程度の意味合いが後の史家に誤読・曲解され、尾ひれが付いていくうちに今日の解釈に変わってしまったのだろうと推測します。
>>[74]

詳しい解説、ありがとうございます。
黒田家譜、福岡市博物館のミュージアム・ショップにあるのを見ましたが、予算的にキツかったので…(^^;)

如水は、関ヶ原の戦いが続いていたら、自分も派手に暴れ回りたかったけど、状況が変わって、大いに残念だと
綴っているのですね。

黒田家(長政)は、徳川方についてますし。
有名な、左手のエピソードは本当にあった出来事?
後の創作ではないのですか?
>>[75]

補足しますが上記は『黒田家文書』からの引用で、『黒田家譜』とは全くの別物です。
『黒田家譜』は後世に書かれたものなので引用に際しては注意が必要です。

官兵衛の言葉としては
>>[17]
にも少し書きましたのでご参考まで。

左手の逸話は後世のものです。
恐らく創作だろうと思われます。
>>[76]

丁寧なお返事、ありがとうございます。
黒田家文書と黒田家譜。
あっ、違いますね、ごっちゃになってましたあせあせ(飛び散る汗)
黒田家譜の方は、後から書かれて、誇張があったり不正確だったりもするわけですね?
史料があっても、読み解き方で変わってくるので。
歴史は、ある意味、難しいですね。
左手のエピソードは有名だから、ドラマではやりそうな気がします。
秀吉死後の寧は、かつては「親家康・反茶々(三成)」、という解釈が一般的でした。
しかしこれは『絵本太閤記』をはじめとする江戸本をベースにした史観がそのまま鵜呑みにされた結果だと思われます。

一次史料を見る限り、
・前田利長に連座した浅野長吉が助けられた形跡がない
・豊国社への参拝が清正等を避けるように行われている
・8月29日、京都新城を破却
・9月18日、勧修寺屋敷へ対処
・関ヶ原における木下家定、勝俊、利房の行動
・側近の孝蔵主が寧の元を離れ、家康に仕えた
といった事を合理的に説明することは出来ず、近年の研究では通説が否定される傾向にあります。

大坂城は本丸と西の丸だけではありませんし、もし事情があるなら三者が共存することも十分可能だった筈です。
史実の寧は家康に追い出されたのだろうと私は思います。
官兵衛は家康をどう思っていたのでしょうか?左手エピソードは、余りよく思われてないですよね…黒田家は長政の活躍に助けられたわけだし家康を殺そうなんてしたら長政だけじゃなく黒田家は滅びます。そんな事を如水は言うでしょうか‥逆に危険行為ですよ。
>>[79]

左手のエピソードは後世の創作だと判断すべきでしょう。
ちなみに出典は『古郷物語』とか『黒田故郷物語』とか言われていますが、まだ調べていないので良く分かりません。
>>[80] ドラマでは描くべきでは無いですよね…
>>[81]

そうでしたか。
オフ会までに調べられれば良いなぁ・・・。
>>[82]

史実重視なら描くべきではないでしょうね。
しかし最近の展開はとてもブラックなので、恐らくやるでしょうw
このドラマでは黒田の生き残る道を描いてきました。官兵衛は何のために天下を目指したんでしょうか?自分の手で泰平の世を作る為でしょうか?人を殺さず生かして使うが如水のモットーだったのに、戦をしかけて欲丸出しでしたね。徳川と戦う気はあったんでしょう?疑問ばかりです。
>>[86]

いい人に描きすぎてちょっと矛盾が生じている感じがしますね。
上杉も序盤は軍事・外交ともに好調で、「来春には伊達・最上を従えて関東に雪崩込む」と書送っています。
言い換えると景勝もまた短期決着は予想していなかったという事なのかも知れません。
今年は(ってまだ終わっていませんが)関ヶ原に関する良書が4冊もリリースされる当たり年でした。

渡邊大門氏 『謎解き 東北の関ヶ原』
http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334038120

福島県文化振興財団(編) 『直江兼続と関ヶ原』
http://www.geocities.jp/f_shiryounet/tomonokai/books/naoe2011.html

白峰旬氏 『関ヶ原合戦の真実』
http://www.miyaobi.com/publishing/products/detail.php?product_id=839

谷口央氏(編) 『関ヶ原合戦の深層』
http://www.koshi-s.jp/shinkan/1411_2-shinkan.htm

何れも良書で4冊併読をお勧めします。
更に福田千鶴氏『豊臣秀頼』はまた違った側面から関ヶ原を窺い知ることが出来ます。
全て揃えても1万円ちょっとなのでご興味ある方は是非。
如水は「無論、生き残る事は大事。されど…儂は我が道を行く」と言ってますし。
黒田家臣団や竹中秀吉に、なぜ、天下を狙わぬ?と言わせ外堀を埋めて…黒如水にw

岡田君は「官兵衛を、いい人で終わらせたくなかった」とインタビューで語っていました。

ドラマでの如水は。
自分がどこまで出来るか試したい…そんな欲が出ちゃったのかな…と思って見ています。

戦国の世、人を生かして使うには、恩賞が必要で。
領地を与えなくてはならない、本領安堵すると分配する領地が減る…難しいところだなぁ…と。
トピずれ、すみませんあせあせ(飛び散る汗)
>>[90] 私が思うのは、ドラマの中の如水は、軍師としての役目を終えて1人の武将として、自ら考えた策で自ら戦い自ら天下を取り泰平の世を作って見せると、黒田を支えた家臣達と一緒に泰平の世を作りたいと、でもこれだと黒田の生き残る道では無くなりますよね…やっぱり長政のお陰で生き残れたような(´ー`)徳川に勝つ気があったのか?長政と戦う気があったのか?欲が出たから誤算しちゃったのかな?関ヶ原が1日で終わるなんて考えもしなかったと思うし。難しい。矛盾が出てくるけど、分かりたい気持ちがあるので、納得したい(*p´д`q)゜。
例えば自分がある政治家の秘書官だとして「この人を総理大臣にしたい」と頑張るとする。
そして念願が叶う。
しかし総理が死んで自分の嫌いな奴が総裁選に立候補したらダメ元で自分が立候補しちゃうかも。

・・・ドラマの官兵衛はそんな感じかなぁ。
>>[91]

もしも、関ヶ原の戦いがあれほど早く終わらず。
家康 対 如水となれば、長政を説得して、黒田は親子で
戦った…かも知れないですね…私が思うに。
生き残る イコール 勝ち残る でもあるわけだし。

天下を取り、泰平の世を。
それも難しいけれど、何代にも渡って、世をおさめる事は更に難しい。
官兵衛亡き後、黒田は「お家騒動」(黒田騒動)が起こっていますから。

>>[96]

案外父子対決もあるかも知れませんよ。
どっちが勝っても黒田は残る訳ですしw
>>[97]

えー、だって、長政が死んだら。
誰が黒田の後継ぎに?
ま、養子を迎えるという手もありますけど。
長政に向かって、お前は、誰の息子じゃ!
その狸親父と、儂のどちらを選ぶ?…とか説得してたりw
>>[98]

まぁその時はその時でw

真田など結構みんなやってますよ。
>>[89]

福田千鶴さんの『豊臣秀頼』は、地元の新聞に紹介記事がありました。九州大学の教授なので。
見出しは「豊臣秀頼に正当な評価を」です。
これまでも、茶々や5代将軍・綱吉らを題材に、著書を残してこられたそうです。

先日の「官兵衛隠居後の拠点は宗像だった」の記事にも、名前があります。

予算の都合にて、これだけ注文してみました。
>>[102]

あまり取り上げられませんが、義久は西軍として加藤と軍事衝突していますね。
>>[104]

本気で、かどうかは兎も角、何らかの形で再興を望んでいたとは思います。

吉統の書状に「毛利殿御懇意深重に候えば、今度一命を捨ててその恩に報いるべくと存じ候」ありますが、むしろ輝元の方が積極的であったとも考えられます。
というのも輝元はこの時期、毛利領国に接する四国・九州地域に積極介入しています。
輝元は大友ブランドを利用して北九州地域の影響力強化を図っていたのかも知れません。
別トピで、官兵衛が天下人になる可能性について論じられていましたが、実際にはかなり厳しいように思えます。

そもそも黒田・加藤だけで九州を統一出来る保証が全くありません。
史実でも行長不在の小西領を制圧出来ないばかりか、島津から侵攻を受けてしまう状況でした。

仮に九州を制圧して、次の課題は四国蜂須賀・中国毛利となります。
毛利は西軍の主将格であるとともに、大老の一人です。
官兵衛が「輝元様の御下知に従います」と頭を下げてくれば話は別ですが「このわしに従え」等と言ったところで聞き入れられる筈がないでしょう。

東国に目を向けると、9月15日までは上杉有利で進んでいたことが分かります。
景勝の書状には「年明けには伊達・最上を従え江戸に乱入する」とあり、これを裏付ける伊達等の史料もあります。
関ヶ原に徳川秀忠軍と毛利元康軍が合流し、両軍が膠着したならば、家康は兵力をこのまま維持するか、一部を江戸に引き返すかの選択に迫られる事になるでしょう。

見落とされがちなのが前田利長の存在です。
このゴタゴタに乗じて大坂に戻ってくる事も十分に考えられます。
本来前田家は秀吉の遺言により大坂の仕置を任されており、秀頼をお守りする大義名分を持っているからです。
建前論だけで言うならば、輝元は伏見にいなければなりません。

関ヶ原が長期化したとしても、官兵衛が天下人になれる可能性は少ないと私は考えます。

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