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砂川国夫の宮古民謡解説集。コミュの今年は人頭税廃止から110年

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今年は宮古、八重山では人頭税廃止110年になります。
宮古各地では人頭税時代の名所を廻るバスツアーが組まれたり、様々なイベントが開かれたりと人頭税を偲ぶ年になっています。

そこで宮古の歴史を語るうえで人頭税とは何だったのかをここで説明していきます。
先の文章と重複する箇所が多々ありますのでご了承下さい。

人頭税制度とは1637年から1903年まで実に266年もの長きにわたって琉球王府によって実施された歴史上稀に見る悪税でした。 
人頭税の象徴である150cmほどの身長を図る石像は現在荷川取の宮古島1周道路沿いにひっそりと建っています。 

この石の身長になると男は農作物、女は織物を王府の定めた量税金として納めねばならない。 宮古の人々は生活の為でなく納税のために働かなければいけないといった日々を虐げられてきました。現在でいうと収入の70〜80%を税金として納めなければならないといったところでしょうか。 

凶作の時には税金が納められずに王府からの様々な弾圧を受け、中には精神的に参ってしまった方もいらっしゃたかもしれません。

明治の琉球処分後も旧琉球王府の役人達が私腹を肥やすためにこの制度は続き、真珠の養殖業を始めるために宮古を訪れた中山十作(なかやまじゅっさく)を中心とした人頭税廃止の嘆願書を明治政府に提出したため初めて公になり、1903年についに廃止となりました。 
20世紀初頭の事ですから本当に最近の出来事です。 

人頭税時代に生まれた数多くの歌が存在しますが、なかでも廃止を願い、廃止された喜びを歌った「漲水のクイチャー。」はその中でも代表的な歌です。

この歌を歌い踊りながら明治政府に嘆願書を提出して漲水港へ帰島した中村氏一行を出迎えた宮古の民衆の喜びは一際大きかったでしょう。
当時の事を考えると非常に感慨深いものがあります。
 
宮古を語るうえで絶対に外せない重要な事柄ですヽ(^o^)丿






中村十作氏
 



      漲水のクイチャー

1;張水ぬ舟着ぬ砂んなぐぬよ ヤイヤヌ

  ヨーイマーヌーユ砂んなぐぬよ ヒノヨイサッサイ

2;粟んななり米んななり上りくばよ ヤイヤヌ

  ヨーイマーヌーユ上がりくばよ ヒノヨイサッサイ

3;島皆ぬ三十原ぬ兄小たやよ ヤイヤヌ

  ヨーイマーヌーユー 兄小たやよ ヒノヨイサッサイ

4;ピラとぅらだカニや押さだゆからでぃだらよ

  ヨーイマーヌーユー ゆからでぃだらよ ヒノヨイサッサイ

5;大神グスフヂ並び折波小がまぬよ ヤイヤヌ

  ヨーイマーヌーユー 折波小ぬよ ヒノヨイサッサイ

6;糸んちゅなりかしんななり上がりくばよ ヤイヤヌ

  ヨーイマーヌーユー 上がりくばよ ヒノヨイサッサイ

7;島皆ぬ三十原ぬ姉小たやよ ヤイヤヌ

  ヨーイマーヌーユー 姉小たやよ ヒノヨイサッサイ

8;ぶやんうまだかしやかきだゆからでぃだらよ。 ヤイヤヌ

  ヨーイマーヌーユー ゆからでぃだらよ ヒノヨイサッサイ

訳詞

漲水港の船着き場の砂が粟や米となって上がって行ったら
島全体の三十余りの村の兄さん達は厳しい税金の為に
働くことなく楽になるよ。

大神島の海岸に折れ立つ波が(織物の)糸になって上がっていたら
島全体の三十余りの村の姉さん達は厳しい税金の為に
麻を紡がないで糸もかけないで幸せになるよ。

参考図書
平良重信著;解説付宮古民謡集



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