大熊猫蔵コミュの【鏡で見て確認する】

　
　小さな男の子が地面に寝転がって駄々をこねている。おもちゃ屋の軒先で……その横には若い母親らしき女性の姿。それだけじゃない。鏡の向こうには、いつもの見慣れた商店街！　人通りが、いつもの通り！
　
　鏡の中の景色は、もとの世界につながっているのか？　それとも美津葉のくれたこの鏡が特別？
　
　とにかくこの鏡の中の景色と、実際に目に見える景色とを重ね合わせると、着物の女の子がこの男の子にささやいているのは間違いないだろう。
「あれ買って。あれ買って。あれ買って」
　男の子が指差しているのはいったいどれ、と、鏡から目を戻したそこに、丸い大きな目が覗いていた。じーっと僕を見ていた。
　女の子の身長なんて僕の腰くらいまでしかないように見えたのに……僕の顔と同じ高さ……しかも、すごい顔が近い。
　どうやってと思う気持ち、それを知りたくないと思う気持ち。それよりもここを早く離れたいという気持ち。そんな気持ちが、女の子の一言で泡のようにはじけた。
「見えてるんだね」
　女の子はそう言ったんだ。僕の顔のすぐ近くで。
　見えてません。見えてません。見えてません。心の中で何度もそう唱える。でも、ダメだった。
「それちょうだい。それちょうだい。それちょうだい」
　女の子はぶつぶつと言い出した。その時に僕の顔にかかる息が臭くて、思わず声が出そうになるのをぐっとこらえる。口臭なんてレベルじゃない。生ゴミより酷い腐臭……ああ、夏休み明けに飼育小屋でウサギが死んでいたときのあの臭いに似ている。
「それちょうだい。それちょうだい。それちょうだい。それ、」
　女の子が黙ったのと同時に、その目つきもキツくなる。
「いじわる」
　小さな声でそう言うと、ふっと目の前から遠くなる。僕から一メートルくらい先……身長はさっきと同じ小さいままで……どうやってあんな高さに顔が。いじわるにはおしおきだよ」
　なんで耳元で声が聞こえるの？　と思ったのと、耳に熱い衝撃的な痛みが走ったのとはほとんど同時だった。痛みで、のどの奥から変な空気が漏れる。しゃがみこんでいる僕の手にまだ持っている鏡に、僕の顔が映る……僕の耳が、半分ない。耳が？
　え、どういうこと……全く意味がわからない。しかも、耳って。耳？
「くれるよね、それ」
　女の子の足がすぐ近くに見える。黒塗りの下駄の鼻緒が赤い。そして、ぼたぼたと、地面に僕の耳から落ちる赤が……痛みがどんどん大きくなってゆく。
「やった。うなずいてくれた！」
　違う、そうじゃない、うずくまっているだけ……と心の中で答える僕の前髪を女の子がぐいっと引っ張り上げる。また、女の子の顔がすぐ近くにあった。
「これ、とても綺麗」
　女の子が僕の目に向かって指を伸ばしてきて、そして僕は痛みで気を失った。
　
　
　
　気を失ったまま、じんじんとした痛みに叩き起こされる。
　目が覚めて、あたりの様子を見ることができることに気付く。なんだ、悪夢でも見たのかな。ホッとしたのも束の間、足が重いことに気付く。動かない。まさかと足下を見て、予想以上の光景を目の当たりにする。
　僕が倒れていた。その目から血を流したまま。え、ちょっと待って。じゃあ、今ここに居る僕は？
「あきらめるんだね」
　肩をぽんと叩かれて飛びのくと、そこには見覚えのある中年のおばさんが立っていた。商店街の肉屋のおばさんだ。確か去年、癌で……
「あんた、その制服、そこの高校の生徒さんだろ。家は近くかい？　ご家族に、自分が死んだことを伝えておいで」
　僕が呆然とおばさんを見つめていると、おばさんはやれやれという顔をした。
「早く未練を切ってこないと、あたしみたいに成仏できなくなるよ。大丈夫。生きている間に強い関わりがあった人には、こっちからでもなんとか届けることできるみたいだし。家に鏡くらいはあるだろ？　その鏡ごしに、見つめてごらん。向こうがあんたのこと考えてくれたとき、ほんの一瞬だけつながったりするから」
　おばさんは僕にかまうことなくしゃべりつづける。しかもあの女の子がなんだったのか、とか、僕が一番聞きたいことには何一つ触れないで。美津葉みたいだな、って思った時、美津葉のことを思い出した。僕はこんなところで何死んじゃっているんだろう。急に哀しく、心が重くなってゆく。と同時に、周囲がぐんぐんと暗くなってゆく。おばさんの声がだんだん遠くなってゆき、僕は暗闇の底へ底へと落ちてゆく。
　やがて、僕は音も光もない世界の底に着く。それからはもうよくおぼえていない。
　
　
　
(BAD END)
→ 終焉
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