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JCFN聖書通読!コミュのヨブ記42章

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「私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。」(5-6)

主と出会ったとき、人は雄弁でいることなどできない。
あそこまで長く自分の無実を主張し、神と語り合いたい、と言っていたヨブは、神と出会ったとき、ほんとうにへりくだり、主の前にことば少なくならざるをえなかった。

「わたしのしもべヨブはあなたがたのために祈ろう。わたしは彼を受け入れるので、わたしはあなたがたの恥辱となることはしない。あなたがたはわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったが。」(8)

ヨブのゆえに神の怒りをかった3人の友人たちは、ヨブのとりなしのゆえに、罰をまぬかれた。
ヨブは友人たちのために、とりなし祈った。
会話の中で、たくさん傷ついたと思う。でも、ヨブは彼らを赦し、彼らのためにとりなした。
神が彼らの和解のために一躍買ったことは面白いと思う。

また、ヨブが友人たちのために祈ってから、神が彼を回復したのも興味ふかい。何もないままでも、ヨブが祈り友のためにとりなしをする、という行為によって、もう一度、神は、ヨブのIdentityを確立されたのかもしれない。

コメント(6)

「私はあなたにお尋ねします。 
 私にお示しください。」(4)

ヨブの神さまに対する態度は、もはやdemandではなく、pleaに変わった。 私たちが何を神さまに訴え求めるとしても、私たちが神さまにdemandできるものは何もない。

ヨブは自分を義として神さまを罪に定めるようなことをしたにもかかわらず、神さまは3人の友人たちの前でヨブをcommendしているんだよね。 そんなところからも、さっきはヨブに対してあんなにガンガーンと御自身の偉大さを現された神さまだったけど、決してヨブに怒りを燃やしていたわけじゃなかろうと思うんだよね…

それにしても、神さまはエリフについては何も言及していない。どうしてだろう? エリフって、本当に何者だったんだろうね??

ヨブ、この後さらに140年生きて長寿を全うした。
ヨブ記が最古の書と言われるのは、ヨブ記の中で言及される人物はアダムだけで、アブラハムやイサクやヤコブらには言及されていないし、モーセの律法にも言及されていないことと、モーセの寿命の長さが、ノアとかその時代の人並みだということ、というのが根拠らしい。なるほどねー。

いやー、今回、ヨブ読んでて新鮮だったなぁ。
いつもは、途中で間延びしちゃうんだよね。結構長いじゃない、これ。みんなと一緒に読めてよかった。^^
「まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。」(3)

人がどれだけ知識を得ても、神様の知恵が無ければそれはむなしいもの。「Every good gift and every perfect gift is from above」と書いてある様に、神以外から得た知識はむなしい。

「知恵の初めに、知恵を得よ。あなたのすべての財産をかけて、悟りを得よ。・・・知恵を得ることは、黄金を得るよりはるかにまさる。悟りを得ることは銀を得るよりも望ましい。」
箴言4:7、16:16

神様、私は今あなたの知恵と悟りを必要としています。私の霊の目を開き、私に、あなたの真理に基づく正しい判断力を与えてください。
去年も書いたみたいだけど、ヨブが友人のために祈ると神様がヨブの繁栄を元通りにした、っていうのは面白いな。

ヨブが体験したのは、自分を傷つけた友人たちを赦すことだった??赦すときに、神様もヨブを赦され、そして祝福を与えられた、ってことだったのかしら?

11節を読んで、「え?ヨブには、兄弟姉妹がいたんや??」って思った。でも、一番苦しい時に来たのは彼らじゃなくて、3人の友達だったんだよねえ。
遠くの親戚より近くの他人っていうけど、やっぱこの3人の友達は、ヨブにとっては最高のかけがえのない友だったんじゃないかな、って思う。
その友人たちでさえ、ヨブを責めてしまった。
そのことに、ほんと、人間の限界を認めざるをえないっていうか。
Humbleにさせられるなあ。
"You haven't been honest either with me or about me ---not the way my friend Job has."

『神様ってさ〜。』と軽々しく話すことは本当にとんでもないことなんだな、と改めて思わされる。
自分の中で作ってしまった神様像を人に押し付けることは、なんと高慢なことなのだろう。なんと恥知らずのことなのだろう。

自分は神様のことを知りもしないのに、他の人に「神様はこういうお方だから。」としたり顔で説教するとき、神様はどんな思いでそれを見ておられるのか。

神様、私があなたをもっと深く知ることができますように。
エリフのように、Firsthandであなたを知り、あなたのことをまっすぐに解き明かす者となることができますように。
ここでエリフに言及されていないけれど、実は32〜37章は、後になってから挿入されたのではないか、という説もあるらしい。確かに、31章からそのまま38章にとんだとしても、違和感なく読める。

11節、ヨブが苦しみの最中にいた時は黙っていたくせに、回復されてからのこのこ出てきてthey consoled him and comforted him for all the adversity that the Lord had brought upon him って、おそ過ぎじゃない???

そう思うと、シモベさんも去年書いてるけど、一番大変な時に、とにかくやってきてヨブと共に7日7晩すわり、そして長い間彼と語りあった3人の友は、ある意味やっぱり偉かったとも言えるかも?

>『神様ってさ〜。』と軽々しく話すことは本当にとんでもないことなんだな、と改めて思わされる。
>自分の中で作ってしまった神様像を人に押し付けることは、なんと高慢なことなのだろう。なんと恥知らずのことなのだろう。

ほんとだよね。しかもそれが聞く人を傷つけることになるのであれば、一層ひどいこと。
I figured out God みたいな態度は、本当に危険。

神様を知りたい。神様を体験したい。でも、どこまでいっても、私たちにはこの偉大な神様のほんの一部しか知り得ないということ… 

あと、シモベさんも指摘しているように、ヨブが友人のために祈ったら、彼自身が回復されたというのは、本当にプロファウンド。
神様の圧倒的な臨在に触れたら、人は理屈を超えて自分の境遇を受入れ、ただ神様の前にひざまづくしかないのだろうか。
それならば、私はまだ神様を本当には知らないかもしれない、と思わされた。

自分の中で勝手に作り上げた神様像を礼拝して、それに仕え、その神様を人に伝えてもそれはむなしい。

神様ご自身を知り、味わい、ひれ伏し、礼拝し、そして、神様ご自身がまた他の人にも同じように現れてくださるように、祈りとりなすことしか自分はできないのかもしれない。

ヨブは回復された後、自分の苦しみの経験をどのように振り返ったのかな。
子どもはまた10人も与えられたけど、先に与えられた子どもは死んじゃったわけで、もう戻ってこないよね...。あの「神様を呪って死ねば?」の奥さんとの間の子どもだろうか。別の奥さんもらったのかしら。

なんとも色々な複雑な思いを残して終わるヨブ。
でも、人生の答えは、とにもかくにも神様ご自身なんだ、ってことはとてもよくわかったような気がする。

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