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JCFN聖書通読!コミュの1サムエル記17章

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ダビデ登場。

ダビデは普段通り、父の羊を飼っていた。父から兄たちの様子を確かめてくるように言われ、ペリシテ人ゴリヤテが神の民イスラエルをなぶるのを聞く(23)。

25〜29節:
民(兄エリアブ)とダビデとの会話が全然かみ合っていない。ゴリヤテを倒して得られる報酬のこと、自分の家の羊のことを頭にかける民とエリアブに対して、神の名のことを第一に考えるダビデ。会話自体(「このペリシテ人を打って、イスラエルのそしりをすすぐ者には、どうされるのですか。...」「...あれを殺す者がいれば、王はその者を大いに富ませ、その者に自分の娘を与え、その父の家にイスラエルでは何も義務を負わせないそうだ。」)は、日本語でも英語でも、表面上は成り立っているのだが、「どうされる」という動詞の主語が違う。関心、つまりこの戦いを支配しているもの(民-人間の思い v ダビデ-神様)は何か、という理解が違うので、お互い言いたいことが通じていない。

40節:
サウルの武具ではなく、「羊飼いの使う袋」に川から取ってきた石を入れ、敵に立ち向かうダビデ。つまり、人の手によって作られたもの(見た目はいいかもしれないが)ではなく、神様が創造されたそのままのものを用いること。主の栄光が現れるときというのは、そのように神の目に見て混じり気のないもの、また自分の現在のそのままの(弱そうに見える)姿が用いられたときなのであろう。

イスラエルの民は、日常と非日常とを分けて考え、(過去の戦いで主が働かれたのは知ってだろうが)自分が今従軍している戦いの中には神が働いていないかのように思っていた。一方、ダビデは日々の生活が神の栄光を現すものとして捉え、毎日を管理者として主人の命令に仕え、羊を飼っていた。

そうやって普段通りの生活をしている今日この日、神様は突然主の大事な戦いに自分を招き入れるかもしれない。神様はダビデのような者を喜んで用いてくださる。また、必要なものは神様が既にその場に与えてくださっている。石にせよ、また羊飼いという普段の生活から得る経験にせよ、既に神様はその戦いのために準備をされているのだ。

日々の自分の生活を喜んで受けていきたい。また、自分の名が呼ばれたとき、主の御名を第一として、信頼してその召しに応えられるようでありたい。

コメント(9)

>一方、ダビデは日々の生活が神の栄光を現すものとして捉え、毎日を管理者として主人の命令に仕え、羊を飼っていた。

>そうやって普段通りの生活をしている今日この日、神様は突然主の大事な戦いに自分を招き入れるかもしれない。神様はダビデのような者を喜んで用いてくださる。また、必要なものは神様が既にその場に与えてくださっている。石にせよ、また羊飼いという普段の生活から得る経験にせよ、既に神様はその戦いのために準備をされているのだ。

>日々の自分の生活を喜んで受けていきたい。また、自分の名が呼ばれたとき、主の御名を第一として、信頼してその召しに応えられるようでありたい。

アーメン! とても励まされました! ありがとう!
「ダビデは、そばに立っている人たちに、こう言った。「このペリシテ人を打って、イスラエルのそしりをすすぐ者には、どうされるのですか。この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。生ける神の陣をなぶるとは。」(26)

ダビデにとって、「生ける神の陣をなぶる」ことが許せなかった。すなわち、自分や人の栄誉ではなく、神の栄誉を求め、それがさげすまれることに耐えられなかった。
彼の目は神に注がれていたし、神の栄光が彼の中心だった。
イスラエルはこのとき、決して強い国民ではなかっただろう。しかしダビデは信仰によって、このイスラエルが「神の陣」であることを知っていたのだ。

「ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。」(45)
御名のために立ち上がろうとするダビデに対して、兄エリアブは「自分を何様だと思ってんだ」とばかりに非難する(28)。

「お前のようにつまらない者に何ができると言うんだ。
モチベーションがうぬぼれと悪い心から来ているんじゃないのか。
自分の立場をわきまえて、大人しく引き下がってろ。」

御栄光を現したいと願う時、私達もこんな声を外から内から聞くことがあると思う。

ダビデは自分が何者であるかということより、自分が神様のために何ができるかにフォーカスすることを選んだ。

「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます」(37)

私も自分の弱さが明らかな時、敵があまりに大きい時、それでもはるかに大きな神様に信頼して御名のために立つことができますように。
> ダビデは自分が何者であるかということより、自分が神様の
> ために何ができるかにフォーカスすることを選んだ。

ほんと、tomo君も書いてくれているとおり、ダビデのフォーカスはいつも神様中心だ。
敵に目を取られ、報酬や、目の前の「勝つこと」に惑わされているほかのイスラエルの民やサウルとは一線を画したダビデの態度。

だから、神様はダビデを選んだんだな、と改めて納得する。

どんな戦いの時にも、「神様」を中心とした視点を持つことができますように。
「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます」(37)


自分の普段の生活の中で神様を体験していること。それがあれば、何か大きな問題が起きた時にも、揺るがされることなく主を信頼できる。

日々の生活の中で、もっともっと主を体験したい。いつでもどこでも何がおきても、動じずに主に信頼し、主の御名を讃えることができるようになるために。
ダビデの素直な信仰。ゴリアテたちを見た時に、真っ先に彼の口をついて出てきたのが
Who is this pagan Philistine anyway, that he is allowed to defy the armies of the living God?" (26) だった。
サウルの軍隊たちは、自分たちがthe armies of the living Godという自覚を持っていたのだろうか、と思わされる。もしそういう自覚があれば、ゴリアテが出てくるたびに、怯えて逃げ出したりしていただろうか。 だけどダビデの視点は、神様を軸にして、自分がどこに位置しているかを知っている視点だった。そして彼がそういうパースペクティブを持っていたのも、彼の日々の生活の中で養われていたものだったのだろうな。

"You come to me with sward, spear, and javelin, but I come to you in the name of the Lord Almighty-- the God of the armies of Israel, whom you have defied."(45)

ダビデの日々の確信から出てきたセリフなのだろう。ふと、先にヨナタンが敵陣に乗り込んでいった時のことを思い出した。ヨナタンの中にあったのも、ここでダビデが見せているのと同じような幼子の純粋な信仰だったのだろうな。

成熟した者に見られる慎重さと、ダビデやヨナタンのような時には向こう見ずにさえ見える幼子のような純粋で信頼しきった信仰、その両方を私も持つことができますように。
"When Saul and his troops heard the Philistine's challenge, they were terrified and lost all hope."(11)

まさに、Facing a Giantって感じ。
自分の力ではOvercomeできそうもないGiantが自分の目の前にいるとき、Terrified and lost all hopeしてしまう。

ダビデだけはそうではなかった。そして、彼はイスラエル全体に勝利をもたらした。先にでてくるヨナタンもまたしかり。

誰か一人だけでも、神様の方向を向き、勇気をもって進んでいくときに、チーム全体をつくりかえることができる。
自分もその第一歩を踏み出すものになりたいなあ。

"While his three olderst brothers went to war with Saul, David went back and forth from attending to Saul to tending his father's sheep in bethelehem." (15)

出世とか達成とかに近い位置にいるように見える3人の兄と、羊の世話と音楽で日々を過ごしているダビデ。
しかしダビデは日々の生活に忠実だったからこそ、神様が次のステップに進ませた。
自分も今は、羊じゃないけど、授乳と赤ちゃんの世話だけで日々を過ごしているように思えるけど、この与えられた役割に忠実に日々を過ごすように神様に言われているのかもしれない。

"The battle belongs to God."

アーメン。すべての戦いは主のもの。
主に信頼して、主に言われたことをやろう。
ダビデだって「他にこの仕事をやる人はいないのかな?」と思ったに違いない。「神様、私ですか?」
って。

私も時々、神様に、「え?これ私の仕事ですか?」って思うようなことを任されることがあるだろう。
それは時には、ちょっと私には荷が重いかな、と思ったり、おこがましいなあ、と思ったり。

でも、もし神様が委ねてくださっているものがあるのなら、大胆に神様に従い、御心を行うことができるように助けてください。

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