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JCFN聖書通読!コミュの民数記7章

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「祭壇に油がそそがれる日に、族長たちは祭壇奉献のためのささげ物をささげた。」(10)

12部族がささげたものは、Exactly same things。丁寧に全部書いてるけど、これ、コピペできない時代、写本したんだよね。たいへーん。

すべてが捧げられ、祭壇奉献が終わり、そして、

「モーセは、主と語るために会見の天幕にはいると、あかしの箱の上にある「贖いのふた」の二つのケルビムの間から、彼に語られる御声を聞いた。主は彼に語られた。」(89)

神様は、これまで何か大きな行事があったり、Projectが終わったりしたときに、必ずその臨在を現してくださっている。
日常生活をずるずるとすごしていると、なかなか気がつかないけど、色々なことの一区切り、っていうときに、もっともっと、神様と語るための時間をとっていくべきなのかもしれない。

コメント(9)

>日常生活をずるずるとすごしていると、なかなか気がつかないけど、色々なことの一区切り、っていうときに、もっともっと、神様と語るための時間をとっていくべきなのかもしれない。

うーん、なるほど。確かにそうかもしれない。

12部族の内訳って、さりげなく(?)エフライムとマナセの半部族がそれぞれ一つの部族として数に入っているんだよね。あれ、それじゃあ13部族になっちゃうじゃん?と思うと、そうか、レビ人は祭司の働きをしていて別格(?)で、ここでは出て来ないんだ。そういえば、2章の宿営のはり方で、どの部族がどこに来るかが記されていたときも、東西南北3部族ずつで、レビ人は真ん中会見の天幕に宿営をはったんだよね。うまくできているなぁ。
ケハトの子らには何も与えなかった。 彼らの作業は聖なるものを肩に担いで運ぶことであったからである。(9)

3章と4章で、なぜ、一番年長であるゲルジョンに一番重要そうな聖なるものを扱う仕事が行かなかったのかが不思議だったけれど、これを読んで、重要なポジションにつくっていうのはやっぱりそれだけの責任や苦労が伴なうんだなーって思った。 ポジションと共に、それに伴なう責任がある、でも、私はポジションだけを見て、人を羨むことがあるなって反省した。
延々と続く捧げ物の記述。解説書にはこんなことが書いてありました。

1.これはかなり太っ腹な捧げものである。

約束の地に入るにあたって、神様はイスラエルに受けることから与えることを教えられた。支配者の気紛れによって将来が安定しないために常にTakerとなる隷属の地でのマインドセット(Taker)から、主に信頼して全ての必要が満たされるために惜しみなく与える約束の地でのマインドセット(Giver)への更新。

2.これはへりくだった捧げものである。

全ての部族が同じ捧げものをすることによって、どこか一つの部族が自分に栄光を帰することがないように。

3.主は全てのGodly givingに目を留められる。

捧げものの内容は全く同じなのに、わざわざそれを12回も繰り返すのは、それぞれの部族が御心に沿って捧げた捧げものが神様にとってどれも同等に大切だったから。
> 支配者の気紛れによって将来が安定しないために常にTaker> となる隷属の地でのマインドセット(Taker)から、主に信> 頼して全ての必要が満たされるために惜しみなく与える約束> の地でのマインドセット(Giver)への更新。

これ、ある意味パラダイムシフトだよね。
受ける者から与える者へ、identityのチェンジ。

やっぱ、400年の奴隷生活って、イスラエルの民に色々なものを負わせたんだな、って思う。
エジプトの習慣、ものごとの考え方、価値観、神観…。
神様にとっても大きなリスクだっただろう。

でも、神様の計画はもっと大きかった。

まあ、40年かかってデトックスされるんだけどさ。
ってことを考えると、本当に世界観が聖書的になるのって、1世代じゃ無理なのかもね。クリスチャン2世、3世、となっていく内に、聖書的な物の考え方が身についていくのかもしれないね。信仰の継承って祝福だし、重要なんだなあ。
人が救われてクリスチャンになるのが、奴隷生活から神に頼る者としての生き方へのパラダイムシフトなのと同じだね。

新しいアイデンティティーを確立していくために、神様が具体的なインストラクションとストラクチャーを与えてくださっている。捧げ物を要求されると「えっ」と思いたくなるけど、それもまた、私たちの新しいアイデンティティー確立のために必要なことなんだね。
>受けることから与えること
>奴隷生活から神に頼る者としての生き方へ

そうかー、私は まだデトックスが必要だなあ。

>ポジションと共に、それに伴なう責任がある、でも、私はポジションだけを見て、人を羨むことがあるなって反省した。

私も あるー!

because they were to carry on their shoulder the holy things, for which they were responsible.(9)

私も responsible for である荷を、しっかり肩に担いで行こう。人の荷と比べずに、自分の荷を。

それにしても、メラリ族に車4両と雄牛8頭が与えられて良かった。あの重い台座を運ぶのが、少しは楽になったと思う・・・。
神様の前に捧げた12部族の本格的な捧げものは、神様と自分たちとの関係をもう一度見直す、とても重要なセレモニーだったんだろうね。
一日一部族ずつ、12日かけて捧げものを捧げる。

全部族がまったく同じものを捧げているわけだけど、これって、事前に「これを捧げなさい」という指示がモーセを通して神様から与えられていたのかなぁ? どこかに書いてある?

それにしても彼らは、いったいどれだけのものをもってエジプトを出てきたんだろう?

ふと思ったんだけど、彼らは約束の地に入るまでに、エジプトから持ってきたものは、すべて神様に捧げきって、空っぽの手で約束の地に入っていくことになるのかな?

自分のリソースは使い果たし、捧げきって、ただ神様にしか頼ることができなくなるとき。神様への信頼とか、神様の恵みとかって、そういう状況になって初めて、本当に自分のものにできるのかも…

捧げものをすることについて、改めて思わされるところあり…
みなさんのコメントに励まされました。
なるほど、捧げ物をすることができるってことはある意味特権なんだ。
だって、もっていなければ捧げることはできないもんね。
takerからgiverへのパラダイムシフト。
それを恵みとして受け止め、使命を果たし、しかも感謝する者へと変えられますように。
私はなんだかいつも、欲しい、欲しい、ばかり思っているような気がする...。
物質的なものをささげることは、Materialismから解放されること、ってメッセージで聞いたことがあるけど、本当にそのとおりなんだろうなあ。

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