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JCFN聖書通読!コミュのレビ記9章

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「子牛」アロンの罪のためのいけにえ
「雄羊」全焼のいけにえ
「雄やぎ」民のための罪のためのいけにえ
「1歳の傷のない子牛」全焼のいけにえ
「子羊」全焼のいけにえ
「雄牛」和解のいけにえ
「雄羊」和解のいけにえ
「油を混ぜた穀物のささげ物」

ささげられた7匹のいけにえとささげもの。

「ついでモーセとアロンは会見の天幕にはいり、それから出て来ると、民を祝福した。すると主の栄光が民全体に現われ、
主の前から火が出て来て、祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪とを焼き尽くしたので、民はみな、これを見て、叫び、ひれ伏した。」(23−24)

いけにえが捧げられ、民が聖いものとされたとき、主の栄光と御臨在が現れた。罪あるところには主は来られない。聖いところに現れてくださる。

神様、どうぞ私の罪をほふられた子羊イエス様のゆえに聖めてください。

イエス様がいけにえとして捧げられた、ということに対して、なんて私は無頓着なんだろう。
自分の汚れに関して、どうしてここまで心が鈍いのだろう。

神様、どうぞ私を聖くしてください。もっともっとイエス様の十字架の意味がわかる者としてください。

コメント(7)

「ついでモーセとアロンは会見の天幕にはいり、それから出て来ると、民を祝福した。すると主の栄光が民全体に現われ、
主の前から火が出て来て、祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪とを焼き尽くしたので、民はみな、これを見て、叫び、ひれ伏した。」(23−24)

民が捧げる捧げものをconsumeされる主。
現代に生きる私たちも主の御栄光と御臨在を見ることを求めていると思うけど、ならば、私たちに捧げることのできる、主にconsumeしていただけるような捧げものって何だろう。
前章では、モーセが「主の命じられたこと」をアロンとその子らの前で行ない、モデルとして実行して見せた。そして、この章では、モーセが、アロンに「全会衆に伝える」ことを命じ、実行するように導いた。

主→モーセ→アロン(と、その子らとイスラエルの長老)→民

このように神が誰であるのかが伝えられ、神の前に出ることを教えられた神様の忍耐さと知恵が現れているように感じた。

神様から教えられたことを次に、そしてその次に継承していくこと・・・。そこには、神様の圧倒的なご栄光が伴うのだと感じた。
「ついでモーセとアロンは会見の天幕にはいり、それから出て来ると、民を祝福した。すると主の栄光が民全体に現われ、
主の前から火が出て来て、祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪とを焼き尽くしたので、民はみな、これを見て、叫び、ひれ伏した。」(23−24)

これがあったから、この儀式が主の御心にかなっていた、と。これが主の教えだと、会衆たちは知ることができたと思う。
長い長いプロセスで御心を行っていくとき、時々、どこにいるのか、何をやっているのか、わからなくなってしまうこともあるけれど、time to time、御心にかなっているならば、主の御臨在に遭遇し、ひれ伏し、そしてその行為が御心にかなっていたことを再確認する。
シャカイナグローリーって、すごく大切なことだ、と改めて思った。私たちの日々の信仰の歩みの中でも。
シャカイナグローリーかぁ。ほんとだよね。


神から直接インストラクションを受けていたモーセ本人が祭司として立てられたのでなく、アロンが立てられたのはなぜかなぁと、ふと思った。
Fire came out from the presence of the LORD and consumed the burnt offering and the fat portions on the altar. And when all the people saw it, they shouted for joy and fell facedown. (24)

Wow!!!

献げ物の「受領サイン」とでも言おうか...。
人々の反応は「they shouted for joy」 この「joy」の部分は日本語に表されていないけど、罪のためのいけにえが受け入れられた事への喜び、そして目の前にそのしるしが表された事への喜びだ。

今日も僕たちの献げ物に対してこんな派手なしるしがあったら礼拝も活気が出るんだろうなぁ...。

僕たちも神様に礼拝をささげる時、喜びが溢れる。
でも神様が満足して下さった事への喜びだろうか?
好きな賛美を歌って、いいメッセージを聞いて、自分が満足して喜んでいるんじゃなくて、罪を悔い改め、心からの賛美をささげ、メッセージに応答して、自分の大切な物を神様にささげて...神様のOKサインとしての喜びに溢れたいね。

"because God will appear to you today."

こんな風に神様とツーカーになっているモーセ。
会見の天幕に行くたびに、神様とほんとに話してたんだなあ、って改めて思った。改めてすごい。

"just as God commanded."
はじめのOfferingはすべて神様の指示通りに捧げられ、神様から祝福を受けることが出来た。
手馴れていないこともとまどったこともたくさんあったと思うし、その一連の動作はかなりぎこちなかったはず。
でも、神様はそれを本当に祝福してくださった。
次の章では慣れてしまったためか、「神様の指示通りに」ことを行わなかったたえに起こる悲劇が書かれている。
"just as God commanded."
これが大切。まげちゃいけない。
「ついでモーセとアロンは会見の天幕にはいり、それから出て来ると、民を祝福した。すると主の栄光が民全体に現われ、
主の前から火が出て来て、祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪とを焼き尽くしたので、民はみな、これを見て、叫び、ひれ伏した。」(23−24)

今年もこの箇所が目に留まった。
神様の指示通りに御心にかなったささげものをしたとき、神様ご自身が誰の目にもわかるような形で、ささげものを受け取ってくださった。
イスラエルの民は色々なvisual教材をもらうよね。
私たちはそんな形ではなかなかもらうことはないけれど、その代わり聖霊様が私の内に住んでいてくださり、行くべき道、やるべきことを示してくださる。

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