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JCFN聖書通読!コミュの出エジプト40章

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(あれ、祐子ちゃん、40章のトピ、立ててない? もしだぶっちゃってたらごめん!)

39章に引き続き、40章でも「主がモーセに命じられたとおりである」というフレーズが何度も繰り返されている。

32章でのモーセの民に対する鬼気迫る(?)コンフロンテーションと、その民のための命がけのとりなし。その後イスラエルの民は悔い改め、主の言葉に「感動し」「心に知恵を授けられ」たものたちは「心から進んで捧げ」「巧みな」仕事をして主に仕えた。幕屋の建設はことごとく、主がモーセに命じられた通りに行なわれ、モーセはそれを見て民を祝福した。そしてその幕屋で「主がモーセに命じられたとおり」に捧げものが供えられられた。

「そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。」(34)

イスラエルの民のひどい失敗にも関わらず、主はセカンドチャンスをくださり、民はこうして主の御栄光を拝することができた。
この一連のプロセスに、ある種の畏怖を覚え、姿勢が正される思いです。

コメント(11)

はちこさん、
立てたのに送った途端、どこかに消えてしまったのだった。
しくしくしく。また書きます。
はちこさん、ありがとうございます!

祐子ちゃん、いつもありがとう。

主の栄光が幕屋に満ちたというのを、見てみたいですね。
神様の御臨在、すばらしいです。

そればかりを単に重んじるというのではないですが、いつも大胆に求めたいかも。

>イスラエルの民のひどい失敗にも関わらず、主はセカンドチャンスをくださり、民はこうして主の御栄光を拝することができた。

主の前にいつも心を砕かれて、悔い改められる者でありたい。

それにしても、最近、この聖書通読をとおして、これまで見ないふりをしていたこと、気づかされています。本当に感謝。
そして、結構「〜になりたい。」とか、書いてるけど、本当にそのように造りかえることのできる主に感謝しつつ期待しよう。(ふ〜。)
この章で思わされたことをかいつまんで書くと、「幕屋を作っている間、旅はストップしてたんだよなあ。」ってことでした。イスラエルの民の中には、「どうして、こんなめんどくさいことをしないといけないんだ。早く旅を続けなきゃ。」と思った人がいなかったんだろうか。私だったら絶対に思うような気がする。

でも、神様は、「目的地」に着くことよりも、「プロセスの中で、イスラエルが成長し、主に近づくこと」を求めたんだったってこと、それは大きなRemind。

自分はTask Orientedな人だから、一目散に、真っ先に、最短ルートでカナンに行く方法を考え、それを妨げるあらゆるものを排除してしまう。

でも、神様は、ここであえて、ここから長丁場であることを示すがごとくに、民に幕屋を作らせ、主の臨在を知らせることに、何ヶ月も費やされたんだな、って思うとき、自分のミニストリー、毎日の生活、Priorityの持ち方、すごく考えさせられました。

「そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。」(34)

神様の栄光を見ることがすべての目的なんだ、ってこと、神様の導きに従う、ってこと、いつも覚えていたいです。
>神様の栄光を見ることがすべての目的なんだ、ってこと、神様の導きに従う、ってこと、いつも覚えていたいです。

なんか,すっきりした!
祝エジプト脱出完了〜!!!
って感じで神様が幕屋に下ってきて満ちたんだろうね!
神さまも愛するイスラエルの民と一緒にセレブレートしたかったんだよ。早く幕屋ができないかときっと待ち遠しかったんだろうね。
うん、きっとそう。
「そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。モーセは会見の天幕にはいることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。」(34-35)

「主がモーセに命じられたとおりである。」(19、21、23、25、27、29、32)

忠実に主のことばを実行するとき、主の栄光を見ることができる。
「イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。 雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。 イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていたからである。」(36−38)

主の栄光が幕屋に満ち、それ以降は、彼らの旅路の間、いつも主の御臨在がこの幕屋から立ち上り、イスラエルの旅路を導いた。

こんなに細々した作業を続けてようやく作った幕屋は、これからずっとイスラエルの民の行く道が神様の御臨在に導かれるためだった。
40:17 And it came to pass in the first month of the second year, on the first day of the month, that the tabernacle was raised up.

出エジプト、ユダヤ暦元年からちょうど一年。
もうそんなに経つのか。
新しい年の始まりは、幕屋の完成と主の栄光の臨在からだった。

神さまってけっこうこういう日にちってこだわるというか、ちゃんと考えているというか
さすがパーフェクトなプロデューサー&コーディネーター&演出家。抜かりなし。
2年目の始まりが幕屋の始動ってのは、深い意味があるんだろうね、きっと。
俺しらんけど(汗)



40:30 He set the laver between the tabernacle of meeting and the altar, and put water there for washing;

40:31 and Moses, Aaron, and his sons would wash their hands and their feet with water from it.

40:32 Whenever they went into the tabernacle of meeting, and when they came near the altar, they washed, as the Lord had commanded Moses.

イエスさまの時代のパリサイ人たちが食事前にきよめの洗いをするってのは
ここから来てるのかな?と思った。
Moses did everything as the LORD commanded Moses.
イスラエル人が 命令のとおりに行い、モーセも 全て命令のとおりに行う。
命令のとおりに。

34〜38節にあるとおり
主は イスラエル人と共に おられた。幕屋の上に 御臨在を示された。
これって、33節で モーセが、「いっしょにおいでになってください」と、嘆願した願いを 聞かれたんだね〜。
"Bring his sons and put tunics on them. Anoint them, just as you anointed their father, to serve me as priests. Their anointing will bring them into a perpetual priesthood, down through the generations."

祭司職は世襲制。
神様は次のリーダーを育てることを怠らない。さすがだ。
最近次世代のリーダーを育てるってことについてずっと考えさせられているけれど、ほんと、次の事、っていうのは常に常に考えながら今しっかり用意しておかなければならないよね。

"The Cloud covered the Tent of Meeting, and the Glory of God filled The Dwelling."

あー、すごい神様の臨在。

神様の御業をAccomplishした時に見ることのできる神様の栄光。
これを見たいね。本当に。
2006年の自分のコメントにもう一度考えさせられた。

> でも、神様は、「目的地」に着くことよりも、「プロセスの中で、イスラエル> が成長し、主に近づくこと」を求めたんだったってこと、それは大きなRemind。

神様は今私を通らせているこのプロセスの中で何をaccomplishさせたいと思われているのだろうか。
仕事をすること、子育てをすること、テンパりながら取捨選択をしていくこと...神様が求めておられるのは、私がキリストに似た者となり、主に近づき、もっと主により頼む者になり、主の礼拝者となるようにこのプロセスを通されているんだ。
神様の視点で物事を見る者になりたいと改めて思わせられた。

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