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JCFN聖書通読!コミュのレビ記1章

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「主はモーセを呼び寄せ、会見の天幕から彼に告げて仰せられた。」(1)
捧げものに関する規定。

牛、羊、山鳩、家鳩、、

結構さらっと読んじゃうけど、実際にやっているのをみたら、グロい、って思うかもしれません。血みどろ。

コメント(13)

グロいよー。「頭をひねり裂き」とか「翼を引き裂きなさい」とか。私なんて、サンクスギビングのターキーの準備をするだけで「ギャー」と言っちゃうのに。(首が気持ち悪いんだもん。)
今の私たちは、こういうことをしなくても神さまの前に出れるのだから、本当に感謝だよね…
「内臓と足」は水で洗わなくちゃいけないんですね。
本当に詳細に決められているんだ。

(先月ゲットした「パノラマ・バイブル」を見たら、かわいい羊の群れの写真が・・・。)

>今の私たちは、こういうことをしなくても神さまの前に出れるのだから、本当に感謝だよね…

主の完全な贖いの御業による恵み。しみじみと思います。
罪のための血が流されなければ、神に近づくことはできない。

「モーセは、律法に従ってすべての戒めを民全体に語って後、水と赤い色の羊の毛とヒソプとのほかに、子牛とやぎの血を取って、契約の書自体にも民の全体にも注ぎかけ、『これは神があなたがたに対して立てられた契約の血である。』と言いました。また彼は、幕屋と礼拝のすべての器具にも同様に血を注ぎかけました。それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。」(ヘブル9v19-22)

神は、罪をねたむ神。義であり、正しく、光であるお方。

もう一度、ヘブル9章を通して読み返してみる。

「しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」(ヘブル9v11-14)

ただただイエス様の救いの御業に感謝。
出エジプト記を読んでもそうだったけど、
神様はすごく具体的なことを要求するお方でもある。
1章を読んだだけでも、ものすごくこだわりのあるお方。
そんな神様が、「君はそのままでいいんだよ、早く私の
元に戻ってきなさい」と言ってくれるって考えるだけで
感動です(涙)☆
「その人は、全焼のいけにえの頭の上に手を置く。それが彼を贖うため、彼の代わりに受け入れられるためである。」(4)

いけにえを一度捧げてみたら、自分の罪の大きさがわかるのだろうか。
今自分はイエス様が自分の罪のために死んでくださったと知っているけれど、実際に自分が何かをやってしまって、牛がそのために殺されるのを見たら、鳥が裂き殺されるのを見たら、自分はもっと罪の大きさとその結果のひどさを嘆き、悔い改めるのだろうか。
今年は復活祭前の一ヶ月、ずっと教会でレビ記からのメッセージシリーズだったので、記憶に新しい。私のレビ記アレルギーも直りそうだよーん。


「これは、主へのなだめのかおりの火によるささげ物である」というフレーズが繰り返し出てくる。

神様の御臨在が私たちと共にあるということが、実はどれだけtake for grantedできないものであるかを思わされる。

神は民のただ中で、会見の天幕から語ってくださるようになった。しかし、主の御怒りが民を打ち滅ぼしてしまうことがないように、まずはなだめのかおりの火によるささげ物が捧げられる必要があった。

私たちにも今、内なる聖霊様が住んでくださり、インマニュエルなるイエス様の御臨在がいつも共にある。それは、イエス様ご自身がなだめのそなえ物として2000年前に捧げられたからなのだということを、忘れてはいけない。
もう一個の方と重なっちゃうけど、念のためー。

1節。“The LORD called to Moses and spoke to him from the Tent of Meeting.”
何の前置きもなく、いきなり始まるレビ記。まるで当たり前のように、幕屋から語られる神様。

しかも内容がめちゃくちゃ細かい。

牛だったら幕屋の入り口で、羊だったら祭壇の北側で捧げなさい。鳥は羽の所から引き裂いてね。あ、でもぶっ千切っちゃったら駄目だから。

現在に生きるクリスチャンの歩みにはこんなにSpecificなDirectionが与えられてなくて、時には「神様、どないしたら良いかよう分からんし、具体的に示してください!!」とか思ったりもする。だけど、こんなにはっきりと肉の耳で神様の声を聞いていた当時のユダヤ人達は、イエス様の贖いによって可能になった神様との親しい交わりを経験することはなかったんだよね・・・。

4節.“He is to lay his hand on the head of the burnt offering, and it will be accepted on his behalf to make atonement for him.” 手を置く、という儀式から、按手礼を思い浮かべたけど、あれも主への捧げ物としてIdentifyするという所から来ているのだろうか。贖いのための生贄じゃないけど。
1:10 'If his offering is of the flocks-of the sheep or of the goats-as a burnt sacrifice, he shall bring a male without blemish.

雄で、傷のないもの。
傷のないものって、高く売れるんだろうなあ。
それを捧げるのって
やっぱ、信仰ないとできないんだろうなあ。

俺最近、神さまに何捧げてるのかな。
・余った時間
・暇な時間
・・・うーん・・・(ー゙ー;)

やっぱ、朝の時間だな。
朝早く起きて通読。これだっ。

っつーか、早く寝なきゃ
アロンとその子らは、このすごい作業を あの衣装でやったの? エポデとか胸当てとか帯とか青服とか・・・。 絶対汚れるよね。洗濯とかできるの?荒野だもの、できないよね?? と、やたら 主婦っぽい心配をしてしまいます。

神へのいけにえは、神様の望まれるとおりのもの、神様の御心にかなうものでなかったら、主へのなだめのかおりには ならないんだなあ。
"when anywone present an offering to God, present an animal from either the herd or the flock."

ほー、つまり、適当に野に行って捕ってきた動物じゃなくて、自分の持っている物、財産から捧げなさい、っていうわけやね。

"Scrub the entrails and legs clean."

hiroさんも指摘しているけれど、この荒野で水って超貴重品のはず。
動物を捧げるたびに使う水の量って結構多かったんじゃないだろうか。
神様への犠牲は、観念的に、「捧げます〜〜〜」みたいなものじゃなくて、
本当に犠牲の伴ったものだったんだ、って改めて思った。
The Lord called to Moses from the Tabernacle and said to him...(1)

モーセが呼んだら神様が答えられたのでなく、神様の方から先にモーセを呼んでくださった。私たちの神様とも関係も、神様の方から先に私たちを呼んでくださったのだろうな…


自分たちのherd or the flockから捧げなさいということは、イスラエルの人々は、人間だけでなく、相当たくさんの家畜も連れて、ぞろぞろ移動していたんだということを、改めて思い出させられた。すんごい集団だったんだろうな。

Lay you hand on its head so the Lord will accept it as your subsititute, thus making atonement for you.(4)

この捧げ物が、私たちの身代わりとして捧げられるということが明確に記されている。

herd と flockの違いって何だろう?と一瞬思ってしまったが、前者は牛の群れで後者は羊やヤギの群れのことか。

It is a whole burnt offering made by fire, very pleasing to the Lord.

very pleasing to the Lordと言う部分が、なんだか意味深長な気がした。よくわかんないんだけど。

「わたしの前で、自ら手を下していけにえを殺しなさい。」(5)

今まで気がつかなかった。
いけにえをささげるのって祭司の仕事だと漠然と思っていたけど、実はそうじゃない。祭司は手伝うだけなんだね。
いけにえを殺すのは、罪を犯した本人。
そして、内臓や足を洗うのも本人なんだ。

うぁーーーー。生々しいね。
それはそれはものすごい厳粛なものだったに違いない、と思った。
自分の手で殺す、自分の身代わりの羊や牛。
そして、その体が切り裂かれ、内臓が取り出され、焼き尽くされる。
これが、罪の代価なのか、って。

Passionの映像を見ただけで顔を背けたくなるけれど、彼らは実際に
ナマでしかも匂いつきで定期的にいけにえをささげていたんだね。

そしてその現場に常に立会い、ヘルプする祭司たち!!!ありえない。
すっごいヘビーな仕事じゃない?これって。
民と神の間に立ち、その罪をとりなす仲介者となる。
げー、人間にできるのか?そんなこと。

祭司の仕事ってほんと大変なんだ。うぁーーーー。

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