ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

松澤宥コミュのしたためた手紙

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
拝啓松澤宥様
 ご無沙汰しております。新潟のHの息子です。先生から手紙をいただいたのに、返事がこんなにも遅れてしまって申し訳ありません。最近、父へかけられた電話の中で先生が、パフォーマンスのアシスタントを私が務めたことを話されたと伝え聞きました。そのことをきっかけにして、自分の中で先生との出会いを振り返る機会を得ました。あれから4年以上の月日が流れました。その中で、自分の足の届く範囲ですが、先生が出品されている展覧会を見てきました。自分の経験談ですが、先生のアシスタントを務めたことで生まれたものでもあります。そういった流れで、今回、思い切って手紙を書きました。少し長くなりますが、先生との私との関係を編年的に述べたいと思います。

2001年1月30日 「センチュリーシティ」展テートモダン、パフォーマンス「私の死」のアシスタントを務める。
 2001年1月28日から2月3日にかけてイギリス旅行に父の付き添いという形で同行することができました。そこで松澤先生と出会ったわけです。先生の顔を見た途端に、ぱっと思い出したのは、父のアトリエに掛けてあった写真でした。そこには父と先生が写っていて、プサイの部屋で撮られたものでした。写真の人物について父に尋ねたところ「私の現代美術における師匠のような人」だという返事を受けた記憶があります。
 アシスタントに抜擢された経緯は次のようだったと思います。パフォーマンス当日のホテルでの朝食時でした。松澤先生は当初、O氏にアシスタントを依頼されたようでした。その日、松澤先生はパフォーマンスの予定があったのですが、他の人たちはナショナルギャラーリーなどを観光する予定でした。O氏も観光組に入るつもりだったのだと思います。そのためO氏が先生の依頼の返事に渋り、私がここぞとばかりに立候補したと記憶しています。今から思えば、怖いもの見たさというか、旅の思いで作りというか、特に考えもなく興味本位に手を挙げてしまったという感じがしています。結果的には、先生のパフォーマンスをお手伝いすることができて、大変光栄に思っております。
 先生がご指摘になったことですが、私の父も先生のパフォーマンスを手伝っているのです。1971年に東京都美術館で開催された「第10回現代日本美術」展で、「消滅の幟」と題されたパフォーマンスです。東京都美術館前の階段で、松澤先生と瀧口修造氏、それに私の父が幟と一緒に写った記録写真がカタログ(『スピリチュアリズムへ・松澤宥1954−1997』)に載っていました。その30年後に息子である私が先生のアシスタントを務める。親子二代にわたる因縁めいたものを感じざるをえません。
 
2001年9月8日「ART TODAY 2001」展 セゾン現代美術館
 パフォーマンスを目撃
2001年11月2日 キャミソールパンチラーズとしてライブを行う。C大学第二ステージ
 「80年内人類滅亡」という歌詞が含まれる曲などを演奏する。MCで松澤先生についてふれる。

2002年2月2日「未完の世紀」展、東京都国立近代美術館
 パフォーマンスを目撃。写真を撮り、テープレコーダーでパフォーマンスを記録。植草学氏と再会。
2002年11月4日 キャミソールパンチラーズとしてライブ「葬式」を行う。C大学第二ステージ
 7曲の楽曲と2つのパフォーマンス、合計9つの要素で構成されたライブを行う。ライブ前に松澤先生を真似て曼荼羅を書いたチラシを会場で配る。
2002年11月23日「傾く小屋」展、東京都現代美術館
 パフォーマンスを目撃。テープとビデオ撮影でパフォーマンスを記録。パフォーマンス後に松澤先生に「Ψの部屋」を見に行きたいとお願い。その後、連絡をとらず失礼なことをしてしまったと猛省(現在まで)。
2004年4月16日松澤先生から手紙をいただく
 手紙と「再考・近代日本の絵画」展の招待状をいただく。緑色のペンで書かれた字が印象的でした。
2004年5月8日松澤宥家訪問
 石子順造氏の話などが記憶に残っています。楽しい時間を過ごさせていただき、ありがとうございました。
2004年5月後半「再考・近代日本の絵画」展、東京都現代美術館
 「のぞけプサイ亀を翼のある密軌を」と「ハガキ絵画(第二次)」を見る。「のぞけ〜」が展示されているあの一角は会場の中で異質な空気を作っていました。アンパンの熱に触れた気持になりました。
2005年2月前半「瀧口修造・夢の漂流物」展、世田谷美術館
 「プサイの曼荼羅」と「音会への招待」などを見る。
2005年4月前半 長谷川宏昌写真展「消滅するアート・松澤宥の記憶」新宿galleryユイット
 会場は新宿のビル。喫茶店の入り口が展示スペースとなっていました。モノクロ写真で松澤先生のパフォーマンスの様子が記録されていました。残念ながら私は見に行くことができなかったのですが、最近の展覧会、豊田市美術館と広島でのパフォーマンスの様子をうかがい知ることができました。
2005年9月22日「東京府美術館の時代」東京都現代美術館
 1970年に行われた東京ビエンナーレ「人間と物質」展での記録写真が二枚展示されていました。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

松澤宥 更新情報

松澤宥のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング