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Petit Resistance Instituteコミュのおまわりさんに「世界ってどこですか」と聞いてみよう

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なんで人は人を殺すのか
なんで人を殺してはいけないのか
なんで動植物は殺してもいいのか

これについて考えてみようではないか

コメント(4)

参考までに2005年10月4日にぼくの書いた文章を引用しよう


>通りすがりに人を殺してはいけない。
というか人を殺してはいけない。
それを「法律で定められているからだ」などとのたまう奴は愚鈍である。
人を殺すのが人間ならば、法を作ったのも人間だからだ。
法律が絶対的万物の規範ならば、熊でも鮫でも地震雷火事でも地球でも死刑執行したらいい。
過程と結果が逆転していて非論理的な限り貴様らに勝ち目はない。

現在中央大学で教鞭をとっている中沢新一は
「仮に人を殺していいとしたら、人間は他人に殺されることを心配して家から出られなくなってしまうだろう。それは人間が『よりよく生きる』という本来の生きる意味を失ってしまうことになる。よって人を殺してはいけない。」
と書いており、高校のころはなるほどなどと思ったものだが、今引っかかる。

揚げ足をとることはしたくないので、「家」というシステムの経緯や「『よりよく生きる』という本来の生きる意味」という仮定につっこむつもりはない。
ただその仮定を受けるなら「よりよく生きる」ために人を殺さねばならない人間をこの仮説は無視している。

そんな人間はごく少数だと言われそうだが、諸兄にも経験はないだろうか。
小さなころ理不尽な説教や、今考えるとどういったこともないことから
「あいつ死んじゃえ」
と思ったことは。
子どもは世間体や後先や責任からある種開放されている邪気(子どもが無邪気なんてアイロニーにしかとれない。もし無邪気ならなぜ意味もなく虫が殺せよう。でも俺は子どもが好きだ)きわまりない純粋な生き物だから欲が思考に直結しやすいのだ。
だが力がないためその欲が実行を伴うケースは稀である。

そして中沢の仮説の根底にあるのは
「最大多数の最大幸福」
である気がする。(彼はベンサムが好きなのか?)
そしてその思想に根ざす功利主義とは資本主義、商業主義の祖に他ならない。
よってこの仮説は国家を初めから「そこにあるものとして」捉えているのだ。
まあ今時国家システムを疑ってかかる奴が少ないから彼は「そこにあるもの」として捉えたのだろうが。
しかし考えてみればすぐ分かると思うのだが、国家とはあくまで国民の集団であるはずだ。しかし現在、国民は国家に従属するおまけである。


とここまで書いて思ったんだけど、共産化が失敗して残留塩素みたいに資本化の流れに残ったのが国家システムなのか?
それとも縄文期の「ムラ」にまで戻ったほうがいいのか?
だったら話は早い。
悪の根源は貯蓄だ。
そのせいで欲にくらんだ畜生が同族殺人を始めたのだから。

世界は変えられる。
だから考えよう。
ステレオタイプの自己完結で厭世主義者気取るのはやめよう



☆神様が近親相姦してできたのが人だって誰か言ってた


PS:そして人が近親相姦してできたのが天皇家である。
ちょっと待って。と、ちょっとだけ言ってみる。

ただ「ある」ものとして世界を理解したとしたら。
法律や理性なんかはただの後付けされた概念でしかない。
国家なんて特に。
ある人は「見えざる手」があると思えば、
またある人は「手を動かすのは我々だ」と高らかに唱える。
要はそいつらの世界観でしかない、ということか。

法治主義の弊害はそこだ。
いや、それがきっと理性の限界なんだよ。

話は変わるけど、
「他人に殺されることを心配する」のは自分という人間の中に
「人間を殺す人間」が見えてしまうからだろう。
「殺さない」のは「殺されたくないから?」
少なくともそれが、マジョリティーのコンセンサスなんだよ。
大脳新皮質は「ナルベク、コロシタクナイ」でいっぱいだ。

なんてことを言いながら、お紅茶を一杯。
子供向け番組で「シネシネ団」とか言う名前の悪の組織が登場するのも示唆的だね。

ああいった番組の主要な目的は子供を楽しませるところにあるんだけど、皆さんご承知の通りそのテーマは「勧善懲悪」。暴れん坊将軍なんかも同類だと思うけど、「悪の組織」って馬鹿でも分かるアピールの仕方が強烈なのは子供向け番組のほうだ。

「死ね」という言葉は普通の人はよく使う。もちろん冗談が大半だけどさ。まだ「思慮分別」のない子供のほうが良く使ってる。でも「死ね」「死んでしまえ」「滅ぼす」とかいうイメージはヒーローもの番組内では確実に「悪」に分類されてるよね。正義の味方は言わばカッコつきの「負」の側面といつも戦ってるわけだ。正義の味方を目指す子供たちも悪と戦う使命を自らに課す、よって社会に貢献したいって寸法だ。

でもさ、書いたとおり「悪の組織」的用語は小学生から一般人まで巷にあふれかえってるよね。正義の味方を目指す少年はそういった負の側面に関して潔癖でなくちゃならん。

しかし社会構成員としての一人の中に社会の縮図が存在するのもまた事実。だから正義の味方と悪の組織はいつまでたってもマジョリティーにはなれないのかもしれない。結局、正義の味方と悪の組織は似たもの同士だ。悪がはびこるから正義の味方が立ち上がるのはあるかもしれないけど、正義の味方がいるから悪が立ち上がるんだと思うんだよなぁ。

「悪魔を倒した戦士の肩に、返り血が付くのは避けられない」

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