僕は、ブルースやブルーグラス等、いわゆるアメリカンルーツ音楽を楽しんでいる者です。レコードを聴くのが大好きです。趣味の範囲で、歌、ギター、バンジョーをやります。 また、僕は言葉を大切にしています。たとえば、英語を学ぶ日本人が「なんてことだ!」という意味で、安易に「oh my god!」と言うことがあれば、それを許せません。それと同様に、ブルースやカントリーの曲を、音楽的な魅力と同時に、言葉が持つ力や、ものを伝える手段として魅力を感じています。
ブルースやカントリー、ブルーグラス等アメリカンルーツ音楽の多くの曲の中には、いわゆる神概念が出てきます。直接的なもので、god, the one, he, lord, devine interventionなど。また、単語で神を指すものではなくとも、歌詞の内容が、要するに神や信仰、救済、神からの孤立の嘆き等について歌う曲が多くあります。
僕はそのような曲たちを、素直に聞いたり、そのまま歌うことにためらいがあります。なぜなら、僕は神や救済などのキリスト教的な世界観の中で生活する者ではないからです。僕は、人生の絶望のときに"oh where has my lord gone?(神は私を見捨てたのか?)"と発想する宗教には入っていないのです。
しかし、たまに、表現することの責任について考えることがあります。たとえば、仮に、僕が、皆があこがれるギタリストだったとします。僕が、ファンの前で、ファッションとしてなんとなしにクロスのアクセサリーをつけて、素朴に”クロスロード”を歌います。I went to the crossroads, fell down on my knees, Asked the Lord above, have mercy now, save poor Bob if you pleaseと。
場所が教会なら別として、ここまで明確なメッセージを、改めて自分が人の前で歌うことによる、他人への影響や、社会的な責任を考えはじめます。楽しければよいということの限界が見えてきます。すると、あるところで、説明なり、白黒つけないとなあ、と考えたりするのです。歌うのやめたら解決ですよね、たしかに。