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DA FamilyコミュのIceman経緯

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Iceman(アイスマン)とは、浅倉大介が中心となって結成された3人組の音楽ユニットである。デジタルサウンドの特徴を最大限に生かした高速な楽曲や、黒田の成熟した硬質のボーカル、主に伊藤の手による一見では理解し難い意味深な歌詞などで、独特の世界観を作り上げ、熱狂的なファンを獲得した。

メンバー
浅倉大介(あさくら だいすけ)キーボード、コーラス、作曲、編曲
黒田倫弘(くろだ みちひろ)ボーカル、作詞
2001年に脱退。
伊藤賢一(いとう けんいち)ギター、コーラス、作詞、作曲

来歴
1996年
access活動休止後、ソロやプロデューサーとしての活動を行いつつ、今後の活動の可能性を模索していた浅倉大介を中心に"音楽的な実験の場"として結成。
7月15日、ニッポン放送開局15周年ライブイベント「15JAM」(東京国際展示場)に出演。ファンへの初お披露目。
7月29日、1stシングル『DARK HALF〜TOUCH YOUR DARKNESS』をリリース。オリコン最高位5位。雛形あきこ主演のテレビドラマ「闇のパープル・アイ」の主題歌に起用された。
10月22日〜11月13日、ファンクラブイベント「Iceman PROTO STAGE」を開催。
11月18日、2ndシングル『BREATHLESS NIGHT SLIDER』をリリース。オリコン最高位23位。
1997年
2月11日、ライブイベント「Valentine Presents Super Live」(名古屋市総合体育館)に出演。
3月1日、3rdシングル『Edge of the season』をリリース。オリコン最高位34位。
3月26日、1stアルバム『POWER SCALE』をリリース。オリコン最高位16位。
5月13日〜6月20日、ライブツアー「Tour 1997 POWER SCALE」(14都市17公演)を行う。
8月21日、4thシングル『FINAL PRAYER』をリリース。オリコン最高位22位。
11月17日〜25日、テクノパーティー「Club Cruising Winter Party」(5都市7公演)を行う。
11月21日、5thシングル『8番目の罪』をリリース。オリコン最高位26位。
12月31日、カウントダウンパーティー「Club Cruising Winter Party Final Count Down」(東京ベイNKホール)を行う。
1998年
3月14日、ライブイベント「OBCブンブンリクエストスプリングサミット」(大阪厚生年金会館)に出演。
3月21日、6thシングル『LOST COMPLEX』をリリース。オリコン最高位25位。
4月6日、ライブイベント「JAY-LAND SHUFFLE LIVE」(大阪城ホール)に出演。
5月21日、2ndアルバム『Digiryzm Mutation』をリリース。オリコン最高位11位。
6月15日〜8月31日、ライブツアー「Tour 1998 ACT!MUTATION」(10都市11公演)を行う。
8月9日、ライブイベント「APPI SUPER SOUND 98」(安比高原スキー場)に出演。
1999年
2月14日、ライブイベント「DA's Special Valentine Party」(横浜アリーナ)に出演。
5月2日〜8日、ライブツアー「ACT STAGE GATE1」(2都市4公演)を行う。
6月6日、3rdアルバム『GATE II』をリリース。オリコン最高位18位。
7月7日、4thアルバム『GATE I』をリリース。オリコン最高位27位。
7月24日〜8月1日、ライブツアー「ACT STAGE GATE2−Type Wide−」(3都市4公演)を行う。
8月3日〜13日、ライブツアー「ACT STAGE GATE2−Type Deep−」(6都市6公演)を行う。
8月17日〜20日、ライブ「ACT STAGE GATE2−Type Around−」(国立代々木競技場第2体育館)を行う。
8月29日、ライブイベント「DA's Party Special Summer Festival」(東京ベイNKホール)に出演。
11月11日、1stリミックスアルバム『gate out』をリリース。オリコン最高位23位。
12月31日、5thアルバム『GATE//white』をリリース。オリコン最高位34位。ライブイベント「DA's Party Grand Finale 1999」「DA's Party Let's Count Down 99-00」(国立代々木競技場第1体育館)に出演。
2000年
1月1日、ライブイベント「DA's Party Happy New Year Welcome 2000」(国立代々木競技場第1体育館)に出演。
3月、ファンクラブ会報にて活動休止を発表。
2001年
3月、ボーカリストの黒田倫弘が脱退。

2004年、ギタリストの伊藤賢一が事務所を移籍し、Mad Soldiersが自然消滅した事からも分かるように現在Icemanには事実上浅倉単身しか残っていない事になる。2006年、伊藤賢一(Gt.)が黒田倫弘(Vo.)を誘いバンドSCARECROWを結成している。2008年11月、iTunesにてGATE?が浅倉大介名義で配信。なお黒田のボーカルは入っていない。2009年、浅倉大介のファンクラブの会報によると、Icemanとしての活動については考えておらず、浅倉は黒田と伊藤が現在どのような活動をしているか分からないとコメントしている。

コメント(2)

3/27付けFANTOM66メンバー宛送付


 Icemanを脱退します。
 理由はというと、突き詰めて言ってしまえば音楽性の違いです。でも、もう少し錯綜する複雑で単純な思いがあります。ソロを続けていくのか、Icemanは活動するのか、Icemanで歌いたいのか、それに関して考えた結果と、実際のIcemanと僕にとってのIcemanは、同じものじゃなかったという2つのことが理由です。
 ソロ活動は続けたい、だけどIcemanでもやりたい。それが僕の正直な気持ちでした。「(Icemanを)やるんだったら(僕は)やりたい」と言いつづけるのは情けなくも簡単で、僕は何度も考えてはその結論を出すことで甘えてました。実際にこの動かない状況、やらないなら僕はけじめがつけたかった。今でもIcemanは大切なもので、半身として僕の中にソロと同居していて、だから、両方であり続ける可能性を探してみるけれど、Icemanで今の僕のソロをやる可能性は?と聞かれたら、それは音楽的にあり得ない。だから、結局は音楽性の違いなのだと思います。
 そして2個目は、Icemanは大ちゃんの音楽の実験室として誕生し、形を変化させ継続しつづけるものなのだと理解していたはずなのに、いつの間にかそして最終的に僕にとってのIcemanは96年から重ねてきた音楽活動そのものになっていたこと。そういう意味で音楽活動についての考え方の違いが生まれた事が、脱退のもう一つの理由です。
 解散を提案したのは、ただ男としてけじめがつけたかったから。活動休止中の「今」脱退するのは、いままでのIcemanとしての契約に制限されずにソロ活動を続けたかったからで、自分勝手なこの決断は、自分に対するけじめでもあります。
 ソロを始めていろんな人に聞かれたことのなかに、全く違うタイプの音楽を始めて、いままで自分のやりたい音楽じゃなかったんじゃないか?というのがあって。それは違うんですよと言ってきました。なぜならあの時も今でもIcemanの僕と黒田倫弘は共存しているから。ひとりじゃ絶対できないライブスタイルだったでしょ? それはライブで表現することを全てと考える僕にとって、とても大切な機会でした。そして楽しかった。Icemanのエンターテインメントの中で僕がああいう形で表現すること、これは他で求めることができないものだから。あのステージでその時の僕が何を表現するのかやってみたいという気持ちはこの1年も色褪せずにあったし、これからも変わらずあると思う。こんなに大切なものとなってくれたIcemanに感謝しています。ありがとう。
 ソロに対しての不安は変わらずっていうより日に日に増えてるかもしれません。でも、ソロに対するどきどきわくわくするような興奮は加速度的に増していて、僕はとにかくずっと作って歌っていきます。
 僕の居るIcemanというものを待っていてくれた人には、ひとり抜けてしまうことで、その可能性を絶ってしまって申し訳ない、と言うべきなのかな。僕自身、Icemanのファンだということに変わりはなく、その終結を望んだことは一度としてなかったけれど、残念ながらという言い方も変だな。とにかく、僕がひとり終止符をうちました。恨んでいいよ。
 僕が歌う限り、出逢いなおす機会もあると信じているし、僕の歌でみんなの琴線に触れたい、という思いを常に力にして歌っているので、これからも心に届く歌を歌っていきます。よろしく   


2001年3月26日

黒田倫弘

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