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公開ディスカッションコミュの日本には一度も民主主義がなかった…のか(2)

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東日本大震災とその後の福島第一原発事故で露呈したのは、国民の生命、財産を守るという政治の根本が侵されていたということではなかったか。このことと日本人のアイデンティティの希薄さとは関係がないのか。それが、私の漠然たる問題意識であった。 

人の集団には集団として機能する上で人をつなぐ共同意識や共通体験が必要である。それは伝統的に継承されてきた価値観や敗戦やこの度の大災害・大事故のような広範囲の人々の記憶に焼き付けられる体験である。この意識や体験の希薄さ、つまり集団としての自分像=全体としての日本人像の欠落が現在の無責任政治の温床となってはいまいか。社会集団としての国家、そこで共有されている感覚や価値観(共同意識)、日本であること、日本でいることの意味、こういうことを語れ(ら)なくなったのは何故か。安保闘争や公害問題に取り組んできた日本人は、なぜ(宮台の言う)おまかせ政治を続けてきたか、逆に言うと政治的に無関心な態度とり続けてきたのかということである。 

大震災後の原発事故が起きた過程で、原発推進の立場から「日本は議会制民主主義の国である。国民がもし原発に反対しているのなら、日本はとうの昔に社会党や共産党が支配する国になっていただろう。現状はそうでないのであるから、国民は原発を支持してきたのである。」という論調が見られた。果たして国民は原発を主体的に選んだのであろうか。それは違うと思う。日本人は大震災・原発事故が起きるまで、資本主義とアメリカ陣営に立つ事以外の具体的な選択をしない、つまり非選択の選択を続けてきたのではなかろうか。 
日本人のように小さなもののあり方や自然の情景への美意識・こだわりを持つ人々がいつから物言わぬ人々になったのだろうか。政治に無関心で済んだ時代は、悲劇的な幕を下ろした。日本人の共同意識を形成する共通体験が起きたからである。それについて「共同幻想的」観点から説明を試みたいと思う 

まず、共同意識の点から考えてみたいと思う。 
我々日本人が近代・明治に入り、形成していった共同意識は敗戦により断絶させられた。日本人は戦勝国アメリカにより国というものに抱く健全な共同意識を持ちにくい状況に置かれていった、それは文化的な敗戦ともいうべきものだった。ポツダム宣言に曰く、太平洋戦争は日本がなした不正の戦争であり、政治家や軍部に国民はだまされていたのであり、だまされた国民と国家は悪であったというものだ。確かに満州事変に前後して、軍部の独走は止められなくなっていく。中国と東南アジアに関して云えば日本は侵略行為・残虐行為を大規模に実行にうつした。そのあたりの戦争責任は問われるべきであろう。しかし、日露戦争で日本が勝利したあたりまでの国際情勢では日本はロシア帝国主義と戦って独立を守る立場であったし、第二次大戦まで戦勝国と日本は帝国主義において共通の立場にあったわけであるにもかかわらず、日本の帝国主義のみ道徳的に悪と決めつけられたのである。 

問題はそれだけではすまず、日本政府の主権を剥奪した状態でGHQによる占領政策が進められ、戦争前の日本の価値観、共同意識を悪につながるものとして黒く塗り、東京大空襲や原爆投下などのアメリカの国際法違反を東京裁判で議論させなかった。そして、日本人に贖罪感を植え付けた上で、憲法の制定である。戦勝国が敗戦国において、国家の仕組みの変更をさせることは国際法違反であり、そもそも主権が剥奪された状態で成立した憲法がどれほどの正当性を持つかと言うことも不問にされた。

このようにして、戦後体制そのものが日本人の議論とともに始まったものではなかったのである。政治的に平和条約と安保条約締結して、アメリカサイドに立つことも日本人が議論の末、選んだものではなかったのである。ただ、アメリカなどは独立後、日本人が独自に憲法を見直すであろうと予測していたらしいが、それは無かっただけでなく、アメリカの持ち込んだ歴史観を受け入れた上に、今度は安保体制において左派・革新勢力が憲法の平和主義の変更を許さないというスタンスを取り、保守派が憲法改正の動きをするという、政治的用語の定義に反する特殊事情になだれ込んでいくのであった。時代は冷戦の激化を示す一方で、国民には資本主義、アメリカ陣営に立つ政党への支持以外の選択肢はなかったのである。 

社会主義は当初、北朝鮮などでさえ理想の国家体制であると信じられていたが、独裁権力の腐敗や恐怖支配が徐々に明らかになるにつれて、熱は冷めてしまう。それでも、核兵器を持って米ソが対峙し、日本に暴力革命を実現しようとする勢力があり、ソ連の侵攻が想定される以上、アメリカ的価値観が優越し、日本的なものを否定し、従属させきた体制を続けることは「自明性」であると国民が受け止めるようになっても、何ら不思議ではない。国民は政治的には何も選べなかったのである。 

アメリカの一部の理想主義の体現であり、天皇制存続との交換条件として盛り込まれた当の平和主義ですら、同じアメリカがマッカーサーの元で再軍備化の道をこれまた日本に選ばせた(=国民が選んだのではない)のである。国民からすれば大事なことは憲法に書いてあり、それは国民生活の基本に関わることでありながら、二度とも国民の手で決められなかったのである。つまり、日本人は近現代において二度、欽定憲法を戴くことになったのである。一度目は明治天皇から、二度目は天皇を越えるマッカーサーから与えられたものとしてである。 

日本人は、明治以来、未だに政治意識の根柢を形成するような経験をしていないという意味で宮台が言うごとく「一度も民主主義を経験したことがない」だけでなく、自らの価値観を異質なものと置き換えられて、咀嚼すら十分でない状況に置かれてきたのである。 

 この「自明性」に感する感覚は、宮台が言うように徳川幕府二百有余年の治世に由来するというのはスパンを長く取りすぎている感はあるが、そういう「お上」意識、長いものには巻かれて争いを避ける文化、その代わり「名誉」を重んじ、「恥」を強く拒否しようとする誇り高さや利他となって現れる国民性は明治以降も日本人の顔立ちに深い陰影を与えていたと考えることはできるだろう。今回の大震災と原発事故で国民が見せた行動の多くは、図らずも我々日本人が、他の国々の国民とは違う精神文化=価値観をもつことを示した。 

 他方で戦後の長きにわたる平和の意味がなかったとは言えない。戦争で日本人の手を周囲の国民の血で染めることがなかったからである。日本人がこの平和を守れという憲法に殉じたことは道徳的に評価されるべきだろう。しかし、日本が戦争をしなかったことが、世界の平和にどの程度貢献したかははなはだ心許ない。朝鮮しかり、ベトナム、カンボジアしかりである。

そして、嘘で塗り固められたイラク戦争に支持を与えるに至り、日本国憲法第九条に掲げられた平和主義の精神は泥にまみれた。泥を塗ったのは他ならぬアメリカ、もっと言えばネオコン政治家達である。

アメリカに付き従う自明性が国民を支配する平和の時代は政治的無関心を招き、裏金がものを言う時代でもあった。商機に敏感な資本家と官僚はこの機会を見逃さなかったのである。 

コメント(2)

最近思うんだけども。
恐るべし世間。
阿部謹也のいうところの「世間」
明治維新前後で世間は変化したという。明治の人たちは、欧米の個人に憧れた。だけど、和魂洋才にとどまったから、非常に複雑な構造になった。彼らは公には「個人」を語り、それが建前であり、現実には自分が属した世間に即していきた。世間が本音。しかし、個人に憧れている。

なんとめんどくさい。

この人たち、自分で判断せよといいながら、決して自分で判断しない人たちなんだ。世間という自明性に自らを託す。それが本音で、かけ声だけかける。そして、自明性をやぶる、ロジカルでフェアなものを潰しにかかる。そんなところで民主主義が育つわけがない。

でも、これほど自明性の底が抜けた時。
未だに古い枠組にしがみつく駄獣たちをさっさと葬りさりたいものです。

革命という選択肢が有効に思えたり、革命を成し遂げるまでの暴力の肯定という誘惑がちらちらするわけだ。アンシャンレジュームの強固な実態がこううかびあがってくると。歴史は繰り返し、言われているほど、人間は歴史から学ばない。それでも人間、されど人間か!(◎_◎;)

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