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ヨーロッパ☆外国映画を観ようコミュのLE FILS DE L'EPICIER 食料品屋の息子

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LE FILS DE L'EPICIER   (2007年)

邦題; 食料品屋の息子

監督:
Eric Guirado

出演:
Nicolas Cazalé (Antoine)
Clotilde Hesme (Claire)
Daniel Duval (le père d’Antoine)
Jeanne Goupil (la mère d’Antoine)
Stéphan Guérin-Tillié (François)
Liliane Rovère (Lucienne)
Paul Crauchet (le Père Clément)
Chad Chenouga (Hassan)
Benoît Giros (Fernand)
Ludmila Ruoso (Sophie)

ジャンル:ドラマチック・コメディ
制作国:フランス

96分

アントワーヌは、親友のクレールに金を貸す約束をしてしまった。しかし、日々食べてゆくだけで精一杯の彼には、もちろん金などない。仕方なく、病気の父に代わって、南仏の田舎を回る移動食料品店の仕事を買って出たが…。

通常当てにする映画データベースには監督名、邦題、原題で索引しても何もでてこず、映画といえどもアメリカものが席巻し、見立てや興行成績だけで走る映画界のアメリカ一辺倒の様子をここでもしることとなるのだが、それでもネットでフランスのテレビ局、TV5MONDE Japan があり、そこにデータと予告編のクリップが上記のようにあり邦題を知ることになった。

TV5MONDE Japan のサイト;
http://www.tv5.org/cms/japon/programmes/p-330-s10-z109-lg7-LE-FILS-DE-L-EPICIER.htm?prg_id=237863&

更に検索するとフランス映画祭2008の折、「映画の森」サイトに下のような解説がでていたのが引っかかってきた。 ここの方が上記テレビ局のものよりより話の筋が詳しく解説されている。

http://www.cinema.janjan.jp/0803/0803142810/1.php

日曜の夜、昨晩はベルギーのテレビ局でベルギーのエリザベートピアノコンクールの最終決勝コンサートがあり久しぶりにオランダの青年が課題曲に加えて韓国人作曲家の曲を引っさげて優勝したというニュースがあり、ベルギーテレビ局を中心にした芸術家の振興のためのコンクールの発表もあり、そこでは6000点のなかから選ばれたのがスランス語圏の作家だったというそれぞれフランス語圏、オランダ語圏の担当大臣の解説を並べて発表されたニュースのあとで本日のテレビガイドのお勧め映画として深夜にベルギーのオランダ語圏テレビ局で放映されたフランス映画をオランダ語字幕で観た。

上記の情報の中にジャンル;ドラマチックコメディーとしてあるが、これは少々誤解を招きやすいように響く。 人々の生活の中の日々の様子を描写するものがホームドラマというのならばそれは簡単に受け入れられるものであって、それは大体どのようなものかはイメージができるものだし、一方、ドラマチックというと大抵はそれを訳して劇的、というようになるのだがそうなると何か非日常的なものが突如として登場人物のなかに起こり、それも大きくその周り、当人の世界をあたかも天変地異のように、また事故や犯罪、といったものであったりそうでなくとも人の感情を大きく揺すぶるようなもの、というようなイメージをもたらすように響くのだ。 それに加えてコメディーだ。 大小の笑いがあることも期待されているのかもしれないが、人々の日常を淡々と描写してその中の営為が悲喜こもごもと例えられるようなものもコメディーであり、コメディーには必ずしも哄笑を必要としないことを確認する必要がありそうだ。 日本のほのぼのドラマ、といわれるものの多くがこのジャンルにはいるのではないだろうか。 だからここでドラマチックコメディーと書かれると、本作ではアメリカハリウッドのドタバタコメディーといえるような作品やテレビのシットコムのあたかも笑いを強制するそういった強迫観念を伴うような挿入された笑いに包まれたものに見られるような哄笑をともなうものは全く期待できないと覚悟をする必要があるだろう。  本作では日本の良質の「ほのぼの映画」に通じるものを見終わったあとに感じることが出きると期待してもいい。  そしてその多くの感傷としても捉えられうるものは本作の中にみられる美しい景色とともに都会から田舎に回帰する青年の話としての「ほのぼの感」として残るものでもある。 しかし、はたしてその感傷、もしくは「ほのぼの感」は手放しで喜べるものなのだろうか。

オランダに長く住んで、他のオランダ人と同様ヴァカンスの季節が近づいてくると夏の時期、家族連れで3週間ほど訪れるのに一番人気のあるのはフランスでそこですごした何回かの夏のことを思い出しのんびりしたそういう土地に惹かれる。 それもとびっきりの田舎なのだ。 パリなどの大都会にはまちがっても寄り付かない。 南フランスは誰にも人気があるし、ブルターニュ、ノルマンディー、ドルドーニュもそれに劣らず過ごしやすい。 光があり、自然があり、のんびりした田舎があるからだ。 家族連れだと近くに観光地やレクリエーションの場所もふくまれていると尚いいだろう。 どこでも地元の観光案内所にはプロモーションの各種大小のパンフレットがおかれている。 本作を眺める我々にはそこに写される自然と村々の様子がなんとも魅力的にうつることか。 都会から離れ高速道路を離れ観光地から離れたところにこういう風景は潤沢にあるのだ。 だれもがバカンスの旅情に惹かれて観光案内所にないような、なにもないこういう村に家を借りて、、、、、と夢見心地になることは疑いが無いし、そんなとき、ふと昔、道に迷ってこういう村に着き、そこにある村の八百屋を覗いて日常雑貨から食料まで狭い空間にところ狭しと並べられているのを見たときには、日常経験する街の全国系列のどこの町にもディスプレーが同じ長い棚に並んだスーパーマーケットの様子からはかけ離れているその懐かしさにほっとするのだ。 けれど、実際にそこに生活するとなるとそこで買い物をするかどうかは別問題となる。

ヨーロッパのどこの田舎でバカンス滞在をしてもそういう地元の食料品店、雑貨屋にはノスタルジーを感じるものの何週間かそこに住むとして、ほとんどヴァーチャルな定住といえるような「短い定住」をするならば日常の延長として、値段、質、種類に関して我々の選択を大きく許容するものとしてやはり大型スーパーマーケットを目指すだろうし自分もそのようにしてきたように思える。 地方の中都市のはずれにあって幹線道路にアクセスできるところにある、地方、全国規模のスーパーマーケットでガソリン給油所も大きな駐車場とともに付属されているようなところだ。 だから何も無いところにある「仮の短い定住」の家からは例え20kmほどの距離であっても一週間に一度ぐらいはでかけることになり国は変われども自国で慣れた便利さ、生活習慣に落ち着くのだしそれも現代の地元の生活習慣なのだ。 それはここに始まったことでもなく世界中どこでも大体このような現象はあるのだろうし、日本にもそのようにある。 そしてそれは田舎にあっては日常、車に頼る生活が普通になっていることを前提としている。

自分の日常を考えても毎週の日用品、食料の買出しはスーパーということになり、子供たちが家を出た現在はその量が圧倒的に減ったから車ででかけることは少なくなったものの上記の理由から買うのは依然として自転車ででかける大型スーパーで、ゆったりとした楽しみとしては町の中心地にある土曜日の青空市場だ。 歩いて5分もかからないような近所に個人のミニスーパーとでもいえるような食料品店があるのだが殆どそこでは買わない。 なぜか。 青物の質が劣る、割高だ、種類が少なく選択の余地がすくない、などという理由からだ。 だから時々買い忘れたものを一つ二つだけ慌てて近所のその店に買いに走る時ぐらいということになり、その支払いは大抵小銭でしかない。 大量の仕入れと大手スーパー間の絶え間ない値引き競争から離れたところにあるのがこういう地元の小売店なのだ。 だからどこも経営者が老齢で跡継ぎが見つからないとか、いよいよ採算がとれないとなると突然閉店となり地元の人々もそれも無理もない、仕方がない、と納得することになる。 そういう例をいくつも近所に見ているし、この10年ほどで自転車でちょっと走って買い物ができるような小さな食料品店がまわりからいくつも消えた。

本作で最後のほうで息子が父親と話す場面があり、お前はどうするつもりか分からないけれど、もしお前がやらないというならば夏が終わると移動食料品店をやめるつもりだ、という。 それに対して、息子は、それを頼りにしている年寄りたちはどうなるのか、と父親に言うが、その答えは、年寄りたちはこれがなくなってもなんとかするさ、と息子の優しさを認めながらも過疎地で生きるだれもが抱える厳しさも含めての答えが返る。 その、なんとかする、なんとかしなくとも、なんともならなくとも、それがなりゆき、止めることのできないことなのだ、という含意をもって自分の置かれた身を含めて将来をも射程にいれた現実を示すのだ。  過疎地で車をつかって遠出をできない老人の日常雑貨、食料品調達を巡る問題、そういう老人たちを相手の小商いの将来ということでもある。 過疎地に老人しか住んでいない現実は世界中のどこにでも見られる風景なのだ。 

ここに登場する年寄りたちの姿はすばらしい。 主人公やその女友達、家族をめぐるストーリーは別としても登場する年寄りたちのあまりにも普通の買い物姿がすばらしい。 そういう姿は機械化、効率化を推し進めるスーパーではめったに見かけないし、それはうちの近所のはやらない小さい商店でトレンデイーからはるかに離れたものを小さな買い物籠に入るだけの程度しか買わずにほぼ毎日やってきてそのたびに小さなレジの前で店の善良だが苦虫を噛み潰したような主人に日常の瑣末なことをあれこれと話しかける老人の姿とも共通するものである。 自分のまわりのこのような現象をみるとこれは過疎の村だけの現象ではない。

物語が一応終わりクレジットが流れる間にもその後の展開のようなものが挿入されて「ほのぼの」とした展開にいくかのように示唆されるようなシーンが続く。 それで話を締めるようなことなのだが果たしてこれが過疎の村に住む人々の将来に向けての希望を示す映像となるのかどうかは作家本人にも確信がないように思えるが如何か。 それが分かっているからの「ほのぼの感」の創出とも考えられるのではないか。 

我々のような、夏のヴァカンスの折だけ訪れる体裁のいい俄か短期定住者やそこに住み着いて文筆業や教師、公務員のような、地元の経済圏から収入を得ずただ消費者だけであるような、そういう人々は往々にして地元のものの眼から見ると気楽な余所者に見えるものだ。  牧歌的で都会に疲れた者には「癒し」に効果のあるような景色もそこで小商いや農業収入に頼って生活をする者の眼に映る姿は似て非なるものだ。 それでも都会からのUターンものがそこで生き延びられる道への可能性を含むのであれば希望的ではあるのだがどうも作家はそう言うふうには終わっていないように見受けられる。 

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