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村上春樹∽短編小説コミュのレーダーホーゼン

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僕がこの本に収められた一連のスケッチのようなものを書こうと思いたったのは、何年か前の夏のことだった。その時まで僕はこのような種類の文章を書きたいと思ったことは一度もなかったし、もし彼女が僕にその話をしてくれなかったら――そしてこういう話は小説の題材として成立し得るものなのかどうかと質問しなかったとしたら――僕はあるいはこの本を書いていなかったかもしれない。そういう意味ではマッチを擦ってくれたのは彼女だったということになる。
(本文より)


■初出
書き下ろし

■収録
1985年10月 回転木馬のデッド・ヒート

コメント(14)

二月からは新しい本の「回転木馬のデッド・ヒート」に入ります。
最初の作品はレーダーホーゼン。やや不可解なお話かもしれませんが、感想お待ちしています。
何度か読み返して、だんだんと腑に落ちてきました。
長くなりますがお付き合い下さい。

どこから書こうかなー。
私の中では「なるほどねぇ」「わかるわぁ」なんですが、うまく説明出来るか…


この話は前置きが長いですが、ザクッと説明すると

ある女性がドイツ旅行中に、夫への土産としてレーダーホーゼンを買い求める。夫のサイズぴったりのものを作るために、夫の体型そっくりな男性を連れてきて彼をモデルに、レーダーホーゼンを作ってもらう。
モデルの男性は夫にとてもよく似ていて、その姿を見ているうちに女性は夫との離婚を決意する。

という話ですよね。
普通に読んだら「なんだそりゃ?」ですが、ごく簡単に言って、

・日常を離れた場所で
・夫そっくり(の体型)な男性を見て
・客観的かつ冷静になって考えてみたら
・自分が既に夫を愛してなかったことに気付いた

のだと思いました。

夫は以前、女性関係でなにやらゴタゴタした時期があったようですね。
多分きっかけはそこだと思います。
そのゴタゴタの前後で、愛情はあらかた無くなってしまっていたのでは。
でも結婚生活は平穏?に続けていた。それは自分が既に日常という連続した時間に乗っかっていて、降りることが難しかったからでしょう。
日常をベルトコンベアに例えてもいいかもしれません。
自分は間違ったレーンに乗ったかもしれない。でもベルトコンベアはどんどん動いていって、自分をどこかへ運んでいく。
だから黙って乗っていた方が楽。。。

惰性ともいうかな。
そうやって日常をやり過ごしていれば、夫婦としての愛情はなくても「共同生活をする仲間」くらいの情は沸くでしょう。

それが、日常を離れたドイツに来て、夫そっくりな男性を見て、「自分はこんな時まで夫のために苦労しなきゃいけないのか」「自分は一生この男の影に支配され続けるのか」「もう一緒にいる必要はないんじゃないか」と思い立った。
子供も大きくなったし、やることはもう無い。
「共同生活をする仲間意識」といった情ですら、実は義務的なものだったと付く。
それを踏まえて「どんな種類の愛情も持てなくなった」という台詞が出たのでは。
昨今、熟年離婚なんて言葉をよく耳にします。
いろんなケースがあるので一概には言えませんが、よくあるパターンとして
・子供が成人して
・夫が定年退職して
・妻の方から
離婚、てのが多いらしいです。
夫婦の義務は果たしたけど、あなたの面倒はみませんexclamation ×2今まで我慢してきたけど、これからは自由にさせてもらいますexclamation ×2
ってことらしい。
それを明確に意識している人は何年も前から離婚を視野に入れて計画的に行動していたりするから、恐ろしい…
(保険とか貯金とか年金とかね)

この女性は勿論、計画的な離婚ではなかった。
でも心情的には同じなんだと思います。
遠く離れたドイツの地でもつきまとう夫の影。それに耐えてきた今までの時間。
これから死ぬまで同じように夫に耐えて生きていくのか?
私の人生は何だったのか?
そう思ったら、日本に帰ってのんびり離婚の話し合いをする時間も勿体ない…と、実力行使に出たのでしょう。


男性の怒りが火山なら、女性の怒りはパンドラの箱です。
怒りの瞬間瞬間を蓄積させて、ある日突然全てが噴き出す。
希望が入っているとしてもそれは「相手にとって」ではなく、「自分にとって」です。
パンドラの箱を開けることで自分が救われる(こともある)。。。
相手にとっては…どうだか解らないけど…


「眠り」の時も思ったけど、村上さんはつくづく主婦の気持ちをよくわかってるなぁと思いました。
わかってるというか、よく観察しているなぁと。

主婦はもっと村上春樹読んだらいいよ(笑)
読んでみたけど・・・・なんだそりゃ?でした。(^^;
これは男性には理解困難な思考の方向でしょうね。

でもじゃがいもうさぎ。さんのコメントを見て少しだけわかったような気がします。

母親はもしかすると、ドイツ人の男が夫そのものに見えたのかもしれません。
なんでこの人と一緒に居続けないといけないの?
と強く思ったのではないでしょうか。
30分間、この男と一緒に暮らし続けることを考えて、結局何の意味も見いだせなくなったのでしょう。
その間、多分夫の良い面もたくさん思い浮かべてみたりもしたのでしょうが、結局そんな面はどうでもいいと思ったのでしょうね。
じゃがいもうさぎ。さんの言うように嫌になるスイッチはとっくに入っていて、ごまかしながらここまで来たけどもうそんなことする必要はないと強く感じたのだと思いました。

多分、母親はドイツで成長したのだと思います。
ドイツで解放感を感じて、おとなしくて常識的だった自分が、突拍子もないことを人に押し付けることができてしまった。
その瞬間、一線を越えたのでしょう。
我慢し続けなければならない人間から、我慢しなくてもいい人間に。
> INOさん
夫そのものっていうか、夫の影・影響力の象徴みたいに感じました。
例えばですが、夫が「お土産なんて気にしなくていいから、のんびりしておいで」って言っていれば、彼女も離婚なんて考えず今まで通りの暮らしを続けてただろうなと思うんです。
でも、遠く離れたドイツに来てまで、夫のお土産のために丸一日潰して奔走している自分に対して「なにやっているんだろう」と感じたのでは。
夫そっくりのドイツ人を見ながら「せっかく一人でのんびり旅行しているのに、こんな時まで私は夫のために尽くしている」と思うと…
今まで我慢してきたものがフツフツ沸いてきた、って感じでしょうか。


確かに彼女は成長したと思います。彼女にとっては良い決断だったでしょうね。
以下、私が重要だなと思った箇所を書き出してみます。


1・彼女が結婚できないのはそうすることを彼女が心からは望んではいないからであろうと僕は想像した。

2・大学二年生のときに両親が離婚して以来、

3・彼女の言によれば、その頃彼女の両親の仲は比較的親密であった。少なくとも大きな声で夜中に口論をしたり父親が腹を立てて何日か家に帰らなかったり、ということはなくなっていた。かつて父親に女がいた頃にはそういうことが何度もあったのだ。

4・「性格は悪くないし、きちんと仕事もする人だったんだけれど、女関係では比較的だらしのない人だったようね」と彼女はまるで他人事のように淡々とした口調で語った。僕は一瞬彼女の父親が既に死んでしまったのかと思ったほどだったが、父親はまだ元気に生きていた。

5・基本的には彼女の母親は我慢づよく――ある場合には想像力がいささか不足しているのではないかと思えるくらいに我慢強く――家庭を大事にする人だったし、娘のことをも溺愛していたからだ。

6・一人で旅をすることはなんて素晴らしいのだろう、と丸石敷きの道を辿りながら彼女は思った。考えてみればこれは彼女にとっては五十五年間の人生の中ではじめての一人旅なのだ。一人でドイツを旅しているあいだ、彼女は淋しさわ怖さや退屈さを一度として感じることはなかった。全ての風景が新鮮であり、全ての人々は親切だった。そしてそのような体験のひとつひとつが長いあいだ使われることなく彼女の肉体で眠っていた様々な種類の感情を呼び起こした。彼女がずっとこれまで大事なものとして抱えて生きてきた多くのものごと――夫や娘や家庭――は今はもう地球の裏側にあった。彼女はそれについて何ひとつ思い煩う必要はないのだ。

7・母にわかることは、そのレーダーホーゼンをはいた男をじっと見ているうちに父親に対する耐えがたいほどの嫌悪感が体の芯から泡のように湧きおこってきたということだけなの。彼女にはそれをどうすることもできなかったの。(略)そして母は自分がどれほど激しく夫を憎んでいるかということをはじめて知ったのよ。

8・その話を聞いたあとでは私は母のことを憎みつづけることができなくなったの。(略)きっとそれは私たち二人が女だからだと思うの。
引用だけで終わってしまった(笑)
補足していきます。

まず、
2・大学二年生の時に離婚
6・五十五年間の人生
とありますから、娘が二十歳で母が五十五歳の時の話。娘を産んだのは三十五ですね。兄弟の記述もなく、6で「夫や娘」と出てますから、一人娘だとわかります。
今は初婚も初出産も遅めですが、作品が書かれた1985年当初はやや遅めの結婚だと思いますね。
もしくはなかなか子供に恵まれなかったのかもしれません。
そういった状況(晩婚or子供に恵まれない)で、女性は世間や親戚からも風当たりは強かったでしょう。
更には夫の浮気が3で語られています。子供がなかなか出来ない&やっと授かったのに女のもとへフラフラ。
それでも5で「想像力がいささか不足しているのではないかと思えるくらいに我慢強い」人でしたから、じっと耐えてきたのでしょう。
娘もそれを覚えているくらいですから、母が泣いている様を見ていたり、母子二人で寄り添って夜を過ごしたこともあるはず。
娘は父親をどこかで憎んでいて、だから4のように死んだ人みたく他人事のように語るのだと思います。

6は特に大事なので長いですが全部引用しました。
五十五年間の人生ではじめての一人旅…って、よっぽど家庭に縛られてたんだなぁと。結婚前も自由にあちこち旅したり遊んだりしたことなかったんでしょう。
更に「淋しさや怖さや退屈さを一度として感じることはなかった。全ての風景が新鮮であり、全ての人々は親切だった」とありますが、逆説的に言えば、日本にいる間は「淋しさや怖さや退屈さを日々感じ、全ての風景が凡庸で人々は不親切だった」のではないでしょうか。
そんな自由な一人旅に於て、夫や娘や家庭について何ひとつ思い煩う必要はないのです。

それなのに、夫の土産であるレーダーホーゼンがすんなり購入出来なかった。諦めて帰ることも出来ない性格故に、見ず知らずのドイツ人をわざわざ連れてきてまでレーダーホーゼンを作らせている。
店の兄弟やモデルのドイツ人は「なんて熱心な人なんだろう。夫のためにここまでするなんて、よっぽど愛し愛されているな違いない」って思っただろうなー…


そういや、結局レーダーホーゼンは作ったのかな?航空便で送った?途中で作るの止めた?作ってもらって買ったけど捨てた?
携帯からだと一回に投稿出来る文字数が↑で限界ですよexclamation ×2いい加減に指が辛くなってきたよexclamation ×2(笑)

こうやって大事な箇所だけ抜き出してみると、いきなり離婚突きつけてきてもなんら不思議はないように思いますね。
いずれこうなっただろうなー、みたいな。
娘にしても、そんな母とわかりあえるだけに、なかなか結婚したがらない(1)のですね。きっと。


まぁ、夫からすれば自業自得かなぁ(笑ダッシュ(走り出す様))
あ、年齢について訂正します。
作品が書かれた1985年の時に主人公は30歳として、この話をしてくれた女性も30歳。
自分が20歳の時(1975年)に母が55歳で、母がその女性を産んだ当時は1955年で35歳ですね。
1955年は、えーっと昭和30年かな?

昭和30年で、35歳で初出産はやっぱり遅めですよね。
結婚は早かったけど子供が遅かったのか、結婚そのものが遅かったのか。
どっちにしろ、周りからいろいろ言われたんじゃないかなぁ。
それにこの時代だと、「男の浮気は甲斐性」「女は黙って従うもの」って風潮がまだまだあっただろうし。
いちいち書かれていないだけで、この女性はかなり苦労したんじゃないかしら。。。
 みなさん、こんにちは。
レーダーホーゼンについて書いたのですが、例によってとても長くなってしまいました。そして実に深読みですが、よろしかったら読んでご意見を聞かせてください。


 この「レーダーホーゼン」という短編については、じゃがいもうさぎ。さんがすでに重要な点を列記して分析されているので重複を避け、僕の個人的体験から、この女性が夫に嫌悪感を感じ離婚に踏み切った要因のひとつを補足させてもらいます。

 夫に対して、自分自身にも説明の出来ないほどの深い嫌悪感を持つきっかけとなった要因に、僕は時差障害というものがあったのではないかと想像しています。時差障害(時差症候群・非同期症候群)とは、いわゆる時差ボケと言われる症状です。飛行機で3時間以上時差のある国に旅行をした経験をお持ちの方なら、誰でも時差ボケの経験があるのではないかと思います。ただ時差ボケには個人差があり、まったく時差ボケを感じない人がいるかと思えば、僕のように時差ボケが非常に重いタイプの人もいます。一般には西から東へ移動する方が症状が重く、その反対に東から西へ移動する方が症状は軽いと言いますが、これも個人差があるようです。どちらにせよ日本とドイツの間には8時間という時差があるので、まったく影響を受けないという事はあり得ないと思います(時差障害のない人は、何人か知っていますが例外的)。

 この時差障害というものは、速度の速い旅客機で移動し、何時間も時差のある土地へ行くことにより、体内時間と現地時間にずれが生じるため、時差の多い国へ行った場合ほど症状は重くなります。夜眠れない。寝てはいけない日中に堪え難く眠くなる。体がだるい。胃腸の調子が悪い。集中力を保てない。これらの症状が特徴的です。

 以上が時差障害による症状ですが、それ以外に精神的な影響があるように思われます。これは精神医学では言及されていないようですが、僕自身がそう言う症状を体験し、また自分以外の数人の人たちにも質問し確かめているので、僕にだけ起きた特殊な症状ではないようです。さてどのようなことが起きたのかと言うと、70年代始めから90年代の始め頃までは、頻繁にヨーロッパと日本との間を往復することがありませんでした。6年間日本へは行かなかった時期もあったほどです。その当時、数年ぶりに日本へ行くたびに襲われた、不思議な感覚があったのです。それは日本にいる時、いったい自分はほんとうにヨーロッパで暮らしているのだろうか?あのヨーロパで暮らしている自分は別の人間であり、その自分の分身のような者が、自分がこうして日本にいる間も、ヨーロッパの家で日々暮らしているのではないだろうか?といった、実にシュールな感覚でした。

 また、日本から自分の生活の場であるヨーロッパに戻ると、自分は果たして日本へ行ったのだろうか?あの日本滞在の旅は夢ではなかったのか?また、ひょっとしたら日本には別の自分があのまま暮らし続けているのではないか?90年代始め以降、年に数回日本との間を往復するようになりましたので、さすがにそういう時差障害によってもたらされたと思えるシュールな感覚はなくなりましたが、これは一万数千キロという距離を、飛行機でわずか11〜12時間で移動するという異常な状態に精神的に慣れたということなのかもしれません。時差ボケの苦しみは、歳とともに辛くなりますが(笑)。

「レーダーホーゼン」の語り手の母親は、レーダーホーゼンの仮縫いを快く引き受けてくれた夫に似た体型のドイツ人を見ているうちに、夫に対する“絶えがたいほどの嫌悪感が体の芯から泡のように湧きおこってきた”と言います。その原因として、じゃがいもうさぎ。さんが列記された諸々のことがあり、“そして母は自分がどれほど激しく夫を憎んでいるかということをはじめて知ったのよ”と、その娘である語り手は言います。しかし、これらのことが、この母親の行動のすべてを説明しきれているとは言えないように思えるのです。なぜならば、彼女は夫だけではなく、娘まで捨ててしまったのです。もし夫に対する嫌悪感や憎しみだけであれば、いつも自分の側に立ってくれている、溺愛する娘までを捨てるというのはどういうことでしょうか。娘までも捨てる気持ちがないのなら、帰国後夫に知られないように娘と連絡を取る方法はいくらでもあったはずです。

続く↓
 思うに、彼女は初めての一人旅で日々素晴らしい体験をしているとき、淋しさや怖さや退屈さを一度として感じる事はなく、すべての風景が新鮮で、すべての人々が親切だと感じ、体の中で眠っていた様々な感情を持った自分を見いだし、“地球の裏側”で大事にしてきたものについて思い煩う事を、自分でも知らないうちに放棄し始めたのではないかと思います。そしてレーダーホーゼンを履いた夫に似た体型の男を見ているうちに、夫が象徴する今までのすべての生活をも嫌悪し、憎み始めたのではないでしょうか。そして、夫によって象徴される憎しみの対象の中に、娘を溺愛する自分自身も含まれていたのではないかと想像するのです。

 十日間の一人旅であった予定を彼女はずるずると引き延ばし、ひと月半もハンブルグの妹の家に滞在してしまいます。レーダーホーゼンの店で夫に対する嫌悪感と憎悪に気づいたあとのひと月半、さらに帰国後離婚を決意するまでの二ヶ月は、彼女にとってそうとう辛い毎日だったのではないかと想像します。ハンブルグに滞在していたひと月半の間、彼女はどのように過ごしていたのでしょう。妹の家にべったりいたわけではなく、あちこちと出かけたでしょうし、小旅行もしたのかもしれませんが、夫に対する嫌悪感と憎悪に気づいてしまった以上、たんに面白おかしくヨーロッパ滞在を、本来の自分を取り戻した彼女が楽しんでばかりいたとは考えられません。

 ハンブルグ滞在中のひと月半、彼女の心の中は、名状し難い混乱が渦巻いていたのではないでしょうか。そこには、始めに書いた時差障害の影響が強くあったのではないかと、僕は想像しているのです。初めての一人旅でドイツに来て、それまで想いもしなかった自分がそこにいるのを見つけ、それでは日本にいた時の自分はなんだったのだろうと想いにとらわれたとき、結婚以来夫の浮気にも耐え、唯々諾々と家庭を守って暮らしてきた情けない自分だった事に気がついたのでしょう。それはあまりにも惨めな存在のように思え、その自分自身をも嫌悪する気持ちへと変わっていったのではないでしょうか。

 日本いた時の自分は、ほんとうにそのような自分だったのだろうかと思うと同時に、あのなにもかも心の中に押し込め、不平ひとつ言わずにいた自分は、そのまま日本であの生活を続けているのではないか。もしそうならば、あの自分には絶対に戻りたくない。今の解放されたあたらしい(本来の)自分を確固たるものにしたい。それは、彼女の五十五年の人生の中で初めての超現実的シュールな体験だったのでしょう。ここにいる自分とは別に、嫌悪すべき生活を続けている自分が地球の裏側にいて、いまドイツにいる自分が見つけた本来の自分に気がつかないままあの世界にいる。ひと月半の滞在中、その8時間という大河のような時差の彼岸には渡らないと決心が出来たとき、彼女は大阪にいるもう一人の妹の家で寄宿生活を始めたのだと思います。

 そして、大阪での生活を始めた彼女は、あのドイツでの体験は現実に起きた事なのだろうか?自分は本当にドイツに行ったのだろうか?という想いに取り憑かれます。そのシュールな世界は、まさにパラレルワールドのようです。あの解放された自分は、あのままドイツで楽しく暮らしているのではないか?あの経験をした自分が、本当に今の自分なのだろうか?それは、まるで焦点の合わないふたつの画像のようです。その画像の間を、彼女の想いは何度も何度も行き来したに違いありません。そして、時速千キロ近くの速度で移動してしまった自分の体という画像に、二ヶ月かかって一万数千キロの距離を追いついてきた精神という画像が合致し焦点が合ったとき、離婚手続きの書類を送るという電話を、夫にかける事が出来たのだろうと思います。

 村上春樹は、多くの作品の中でパラレルワールドを多用しています。80年代後半から海外での生活をしていた頃、彼も同じような体験をしたのかもしれないなどと、とくに「1Q84」を読んで思うのですが、皆さんはどのようにお考えでしょうか。
>>[11]
せっかく書き込んで下さったのにお返事がなかなか出来ずに申し訳ありません。
うりずんさんの書き込みで、いろいろ思い直すところがありました。
特に時差障害については新しい見方で、なるほどなーと思いながら読ませて頂きました。
なにせ、私、海外に行ったことも無ければ飛行機に乗ったことさえないのですもの…パスポートも持ってないですし…
なので、体調の変化による時差ボケはよく耳にしますが、そうしたメンタルでの時差ボケについては考えていませんでした。

私は、この女性が、レーダーホーゼンを着たドイツ人男性を見て激しく夫への怒りを感じたのについては腑に落ちるんです。
ただその後の行動や、その時の感情の持って行き方にはあまり深く考えていませんでした。
確かに、彼女の行動は突飛ですし、溺愛していた娘ごと切ってしまうのは極端ですよね。
彼女が混乱していたというのはもっともだなと思います。

その混乱があればこそ、娘ごと切ってしまわなければならなかったのでは、とも感じました。
彼女は夫とのイザコザを、娘を愛することで気持ちを誤魔化していたんだと思います。
よく、子供がいるから離婚しないとか、子供を片親にしてはいけないとか、子供のためを思って離婚しないとか聞きますが、彼女も無意識に離婚しない理由を娘に押し付けていたのでは。
夫を憎んでいることを自覚すると同時に、娘への愛や執着の正体にも気づいてしまった。そのこともあって、彼女は娘とも向き合う自信が無かったのでしょう。
結果、何も告げず、突然離婚届を送りつけるという極端なやり方でしか、彼女は自分を救えなかったし表現出来なかったのでは。

そして娘が母に離婚の直接の原因がレーダーホーゼンにあると言われて、なんか赦しちゃう。そういうこともあるかもね、って。
それが分かり合えるのは女同士だから。
耐えて、耐えて、ずっと目を背けていたものが目に飛び込んできた。それで耐えられなくなってしまった。
うーん…なんかわかる気がします。

今まで気にならなかったのに、ある人のある一瞬の言葉や仕草でさーっと冷めてしまう。今まで気にならなかったのは、本当は気にならなかったんじゃなくて、気にしないように自分を誤魔化していたから。
あんなに好きあっていたのに彼氏の些細な一言でもう一気にダメになっちゃうのってあります…ね(笑

年齢を経るごとに読後感や感想が変わっていくのが村上作品のいいところです。
もうすぐ三十の大台に乗りますが、四十、五十となった時にこれを自分がどう読むのか興味深いです。

こちらこそ長々とすみません。
>>[12]

 コメント、有り難うございます。
「午後の最後の芝生」ほどではないにしても、今回も結局長いコメントになってしまいましたので、やはり「迷惑だろうなあ」と思い削除しようかと思い始めていたところでした(笑)。

 五十五年の人生の中で最も重要な期間である家庭生活というものを解消するには、よほどのことがない限りできないことですし、ただ相手に対する嫌悪感に気づいたというだけでは、現実として離婚に踏み切ることは出来ないだろうなと思います。さらに、最愛の娘までを切り捨てて別の生活を始めるには、それ相当の葛藤があったのだろうと思います。その葛藤の時間を苦しみ抜かなければ、それまでの自分自身の存在事由を象徴する最愛の娘を含む一切合切を切り捨てられなかっただろうし、またその一切合切を捨て去らなければ新しい自分を維持することが出来なかったのだろうと想像しています。

 彼女の場合、『子供のため』であるとか『経済的自立への不安』とかいう理由は、そこに逃げ込んでいた醜い自分を象徴するものだったのでしょうね!?なにはともあれ、僕はこの女性の決断を支持します。僕が支持してもなんの意味もないのですが(笑)。
>>[13]
いえいえ、こちらこそいつもお返事が遅くなっていてすみません。
言い訳になってしまうのですが、長男(一歳半)の家庭内暴力と、次男予定(30週)の胎内暴力で毎日が戦争です(^-^;
村上作品はきちんと感想を書こうとするとどうしても長くなってしまうので、まとまった時間がある時をみて書き込んでいるので、また今後遅くなると思いますが…ご容赦下さい。

幼児と胎児を抱えて村上春樹なんて読んでていいの?と言われそうですが、むしろ「この人達はどうしてこうなったんだろう」「自分がこういう家庭にしないためにはどうしたらいいんだろう」と考えさせられます。
村上春樹の短編には、多くの家庭内不和が描かれており、そのどれもが「端から見れば問題無さそうな、普通の家庭」だったりするんですよね。
この女性も、昔は夫の浮気に悩んでいたけど今は穏やかにやっている、普通の熟年夫婦でした。
それが唐突に終わってしまった。
それは、何も特別なことでもおかしなことでもない、誰にでも有りうることなんだと思います。

最後、母と娘がわかりあう場面で、「それは私達が親子だから」ではなく、私達が女同士だからっていうのがいいですよね。
お互いが対等な、一人の女であることを理解した上での言葉ですから。

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