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Cure All Japanコミュの被災地での活動レポート1

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●南三陸町ホテル観洋20110529

東京駅6時始発の新幹線で仙台駅へ。

途中、まったく普通の様子に見える福島を通り抜ける。ふむ。放射性物質飛散中なのだが、郡山も福島市も日常の顔。

8:30到着。みんなjoinの3人がピックアップしてくださって、一路南三陸町まで。

仙台駅は本当に平穏で、ごく普通の物流が回復済みで、震災の跡はほとんど見られない。1時間半くらい、平穏無事な風景が広がる。天気が良かったらものすごく綺麗だろうなあと思う北上川を越えて、ちょっとすると瓦礫が積んであるところなんかも見受けられる様になった。それでも、ちょっと小高いゴミ置き場くらいの規模で、「ああ、一時置き場なんだろうな」と思う程度。

それが、2時間くらい走った時に、風景が一変する。なぜかモアイ像が付いている橋を渡ると、川岸左手に一軒だけぽつんと建っている家。その1m付近のところまで瓦礫が来ているのだ。その先、左手には海岸線から5kmも離れているのに漁船がごろんと転がる。山裾の木々は潮で焼かれてまっかっかに枯れてしまっている。仮設住宅用か何かの丸太を切って置いてある資材置き場。スクラップ場じゃないのに、四角くつぶれた車が四台重なり、山を軽トラックが駆け上り、その場に乗り捨ててある。高台にある志津川小では復興市が開かれているので、近くの空き地(といっても、以前はなんだったんだろうね?そこは。)に車がたくさんとめてあった。そこから目を海側に転じると、もう、海岸線まですっかり見渡せる風景。でもたぶん、直線距離で海岸まで3kmはある。

建物は残っているけれど、中は筒抜けの志津川病院。すぐそこに例の防災センターが赤い鉄骨を晒して建っている。海岸沿いに建っている6階建てくらいのマンションは、逃げられないのが分かったので住民全員が屋上に避難。手すりにしがみついて、なんと全員が助かったそうだ。町に残っているのはいくつかの鉄筋コンクリートの建物。でも、それら全部、津波が通り抜けて筒抜けになっている。窓を開けてみたが、天候が悪く気温が低いせいかそれほど磯臭い感じはしなかった。

自衛隊が突貫工事で作ってくれた橋(鉄筋の丈夫な網でできていて、渡るとカンカンカラカラカラ!という音がする。渡る時ふと右を見たら、本来の橋脚があった。)を渡って、ホテル観洋へ到着。道が少し混んでいたので2時間半かかった。空いてると約2時間。この時点で10時半からの施術は無理で、12時少し前からの施術になった。(西條先生、古川から1時間で車で到着ってウソだよー。)

大部屋を一つあてがわれた。私一人には大きすぎだけど、布団も枕もタオルも貸してもらえる、なんて大盤振る舞いなの!さらに照明がムードたっぷりの時間で変化するものだったのも付記しておく。薄い色なのだけど、ピンク〜緑〜黄色に変化するのだ!

「もうよろしいですか?」と、ホテルの従業員らしき人たちがわらわらやってきて、五十肩だの腰痛だのを訴える。端から治療する。「いや、鍼は初めてだからー、どんなもんかと思ってねー。」

ここから先は忙しすぎて一人一人の症状を覚えていない。ただ、みんな水と空気と海が育んだ美しい肌をしており、ホテル住まいという状態がかなり症状を緩和しているらしく、ガッチガチの背中にはほとんど出会わなかった。

だんなさんが施術を受けて奥さんの膝を見て欲しいとお連れ下さった。わたしが「ここは天気が良かったらとても美しいところでしょうねえ」と言ったら、「今は何にもないけどもね、本当にいいところよ。食べ物もおいしくて。」お話しているうちに「この時期はウニがおいしくてねえ・・・今年は無理だねえ・・・」と泣き出しそうな雰囲気になった。その際だんなさんも「あわびもねえ・・・無理だなあ」と。私も泣きそうになったがこらえた。
本当に、正直美しいところだろうと思った。そうでなければ、こんなに美しい肌は生まれない。色の白い人も海でやけた漁師さんも、とてもなめらかな肌だ。東京じゃエステにでも行って手に入れるような肌質。「台風もほとんどこねえし、たまに地震が起こるくらいで、ほんとにいいとこなんだよ。そういうとこに津波が来るんかねえ」と、だんなさん。

シルバー人材センターで働いていたという30代と思しき男性。お子さん二人と、奥さんと全員バラバラになり、3日の間安否確認ができなかったそうだ。獣道みたいな山道を軽トラックで通って小学校へ迎えに行ったり、避難所を回ったり。その山道は地元の人でもしっている人が少ない道だったそうで、その方が教えてみんなを軽トラックに乗っけて小学校へ向かったりしたんだそうな。「これでも1ヶ月前よりはずいぶん楽なんですよ。体育館に寝泊りしてたときよりも。でも、日常の生活じゃないですから」と仰る。「仮設入っても仕事も・・・」と。
施術も終わりに近づいた時、親子連れが来た。お母さんは眠りが浅くて早朝覚醒、日中に眠気が来ると訴える。5歳の子供は過活動性膀胱らしく、5分と経たずに「おしっこにいきたい」というので、親がイライラしてしまって悪循環なのだそうな。母親は背中の異常なこりがあったのでそれを目標に施術し、子供は小児鍼を行った。歯ブラシでやるのを教えようかと思ったのだが、たまたまバネ針を二本持っていたので、一本差し上げて施術方法を教えた。

母親を施術し終えて、もう一人のいとこか親戚のお姉さんを施術する。その間、ホテルの従業員と母親が話していたことが「ほら、ウチのは水産加工だったから工場流されてね。解雇されてアルバイトだから」「子供が小中学校になったらお金かかるし」「あれ、右折だったから助かったの。左折だったら流されてたわ」「給与も国の保障が3割出るとか出ないとか?」などなど。これが被災者さんの今の生の言葉なのだろうなと実感。

4時55分まで施術して、5分で片付け、お迎えのバスに飛び乗る。そして、コレを新幹線の車中で書いている次第。12時から5時まで、18名施術。

5歳の子に「またね!」と言って手を振ったので、出来たらもう一回行きたい。ドアの向こうで「おねえちゃんまたねっていってたよねえ。」とその子が言っていたのだ。

東京について五反田からタクシー。降りたところで雨に降られて、
「あーおうちかえる。おうちかえるー。」と思ったところで、
そうだ、あの子に帰るおうちはないんだな。きっとお気に入りの
お人形も何もかもないんだな。涙が出たよ。

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