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プロパガンダ研究コミュのゲッベルス(ゲッペルスではない)

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ヨーゼフ=パウル・ゲッベルス(1897-1945)
ナチス・ドイツで国民啓発宣伝大臣を務める。

Wikipedia[ヨーゼフ・ゲッベルス]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%B9

コメント(9)

【BBCビデオライブラリー】
メディアと権力 WE HAVE...WAYS OF MAKING YOU THINK
1.大衆操作の天才・ゲッベルス[日本語版]
http://pub.maruzen.co.jp/videosoft/bbc/search/html/1600111.html
----引用
 ナチスドイツの啓蒙宣伝用ゲッベルスこそ、映像メディアの持つ力をいち早く理解し、利用した人物であった。国民が何を欲しがっているのかを熟知していた彼は、あからさまな政治プロパガンダ映画を嫌い、娯楽作品に巧妙な政治的仕掛けを施した。楽しませることが最善のプロパガンダと信じたゲッベルスが、悪化する一方の戦局にあっても、人々に現実を忘れさせるための作品を作りつづけて行く…これまで私たちの知らなかったゲッベルスの真実の姿を解き明かすため、取材班は彼の制作した映画の監督や作曲家、女優たちにさまざまな角度からインタビューを試みる。また、当時の作品やニュース映像を交え、現代にも十分通用する、彼のメディアに対する考え方浮き彫りにする。ヨーゼフ・ゲッベルス−ハイデルベルグ大学で博士号を取得したナチス随一のインテリ。若くして啓蒙宣伝相に就任、政権の中心人物としてプロパガンダ政策を推進する。しかし、その先に待っていたのは実に悲劇的な結末であった。
----引用

ほ、ほしいっ……! 税込42,000円て何だコラ。
あ、これ…たぶん、というかきっと見た事ある!
昔大学の図書館でドイツマニアの友達(ヒトラーの演説のCDとかを買ってるような人)と一緒に見たと思う。ちょう面白かった。
そうか、大学の図書館に行けばいいのか…でも学生証の提示とか必要な気がする、だめだ。観たいよう。
大学の図書館!暇を見つけて見てみよう、でもライブラリでこれ指定するのちょっと恥ずかしいな…
学生証の提示は必要かもなあ、きっと。俺ももう入れないのかな…。ちなみに見たのは日吉の図書館です。見た後、友達と二人でこの素敵な方法を参考にして、大衆を扇動するために色々と方策を練ったものですが……まあ今のところその目論見は結実していません! いや、でも、とても面白いものだったので、閲覧の際には恥ずかしがらず不撓不屈の精神でもって指定しましょう!
参考のために、クルト・リース著/西城信訳『ゲッベルス』(図書出版社)からゲッベルスの宣伝手法が表れている部分を引用しておきます。

1927年、ベルリンのファルス・ゼェーレ(共産主義者が集会を催していたホール)でのナチス集会の模様。

---

 警官が到着したときには12人の負傷したSA隊員と75人の傷ついた反ナチ主義者を数えることができた。壇上には大乱闘の間中、腕を組んだゲッベルスが平然と立っていた。(中略)
 ホールには徐々に静けさが戻ってきた。負傷したSA隊員をのせた担架が聴衆全部がみえる所に置きっぱなしにしてあった。呻き声が聞こえた。ゲッベルスの指令である。
 ゲッベルスはなにげなく降りむいて負傷者の手をしっかりとつかんで聴衆に呼び掛けた。「この勇敢な人々の手を私は握らずにはいられない」感動に震える声でつづけた。「このまま私が今晩の議題を(それは『ブルジョア体制の崩壊』であるはずだった)述べることができぬことを諸君はおわかりだろう。これから『無名のSA隊員』について話そう」
 ゲッベルスは演説した。数分後、負傷したSA隊員の1人が運び去られた。10分の間隔をおいて他の隊員たちも1人1人運び出された。10分ごとに聴衆は憤り同情の念に我を忘れた--これこそゲッベルスがねらっていたところである。(p. 52)
1931年、映画『西部戦線異常なし』を上映禁止に追い込んだ手口。

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 スキャンダルをつくるチャンスはまだあった。ハリウッド製作の映画?西部戦線異常なし?のロードショーがベルリン西部でおこなわれたときのことである。(中略)これに対する攻撃はとりもなおさずナチの宣伝になる。同じ理由でゲッベルスは映画をやっつける気になったのだ。
 ことの次第はゲッベルスの友人で伝記を著わしたウイリー・クラウゼが書いている *。
   *ウイリー・クラウゼ『ゲッベルス』
「プレミアショーの翌日、われわれはヘーデマン街にあるガウライター *1のオフィスにいた……ゲッベルス博士は数分間である計画を説明し、命令した。これが実行されれば、ベルリンをひっくり返すようなセンセイションがまきおこる。
『そんなに沢山の切符をどうやって、手に入れますか ?』と誰かがたずねると、ゲッベルスは立ち上って指を鳴らし、二、三電話した。切符は手にはいる ! 30分後、切符は全員に配られた。その夜の劇場はナチで一杯だった……」
「その後のことは、よく知られている。白鼠が4、5匹走りまわって不快な気分をつくり、そこへ悪臭弾が炸裂した。場内にたとえようもない臭気がたちこめた。観衆はとつぜん恐慌状態におちいった。はいってきた警官もただうろうろするばかりで、いたずらの犯人を誰もつかまえられなかった。場内の者はみな映画を見せろ、と叫んでいた」
(中略)翌朝の《デア・アングリフ*2》の記事はゲッベルスが口述した。彼は現場にいたから、事件をことこまかに憶えていた。その結果……映画はドイツでの上映を禁止された。(p. 82)

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[引用者註]
*1 ナチスの大管区指導者を指す。ゲッベルスはベルリン大管区のガウライターであった。
*2 ベルリン大管区でナチスが発行していた機関紙。
1932年の大統領選決選投票のための選挙キャンペーンの例。

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(さらに数週間後、)「これから数ヵ月、われわれの仕事の中心は選挙宣伝である。技術全体が徹底的に洗練されねばならない。現代的な方法のみがわれわれを勝利にみちびくのだ」
 ゲッベルスがこの選挙のため編み出した新機軸のなかでとりわけ現代的なのは?ヒトラー、ドイツ全土に姿を現す?であった。ヒトラーのために彼は飛行機をチャーターした。「これならヒトラーは広場や公会堂で日に2、3度は演説できる。時間がなくとも、150万の人間に話すことができる」彼はスケジュールをつくり、よりぬきのナチの新聞記者を同行させ、従軍記者のスタイルで記事を書くことを命じた。(p. 92)
1932年の州議会選挙におけるゲッベルスのキャンペーンの例。

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 翌朝、ゲッベルスは新しいキャンペーンにとりかかっていた。今度は、プロシア、バイエルンのいくつかの州議会の選挙が2週間後に迫っていた。ゲッベルスは1晩に3度も演壇に登り、一度に数百の弁士を指揮した。開幕を飾るために彼は首相ブリューニングに公開討論を申し入れた。ブリューニングはゲッベルスと同じ演壇に立つことを拒否した。その夜、ゲッベルスが会場に現れたとき、大きなスーツケースが壇上に運ばれた。「首相は出席を拒否したが、ここへ連行した」とスーツケースを開け、ケーニヒスベルクにおける首相のラジオ放送のレコードをかけた。ゲッベルスはレコードのスイッチを点滅しながら、目に見えぬ相手と演壇でわたりあった。(p. 92)

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