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〜日記から始まる日々のエール〜コミュの【涙】◆◆ 柚子マーマレード ◆◆

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*こもれびさんから作品をご提供いただきましたので掲載します。

『ママ、この味噌汁、しょっぱいよ〜、昨日の茶碗蒸しだって味、濃すぎー』

母は悪びれもなく「そう」とだけいい、ケタケタと笑っているのです。
そして、本日のメインディッシュの肉じゃがに手をのばし、ホッコリ煮えているじゃがいもを口の中に入れると・・・
『なにこれ?辛いよー、醤油の味しかしないじゃん。色だって真っ黒けだよ』
一瞬母の顔がくもり
「ここんところ、舌がおかしいというか・・・なんか、味がわかんないのよね」

母は料理が得意です。
というよりは、料理だけは得意なんです。
仕事の傍ら家事をこなす母の言い草は
‘人間、散らかった、汚い部屋でも生きて行ける!掃除しなくても食べれば死なない’なんです。
小さいころから、母の料理上手は私の自慢であり、友達に誇れる唯一の母のとりえでした。

私はその晩、婚約者の一也に連絡をとり、母の症状を相談しました。
一也は早速、パソコンで詳しく調べてくれました。
味覚障害という病気には違いないだろうけど、とにかく早急に病院で検査を受けるようにと。
その話を母にすると母は屈託のない笑みを浮かべて

「よっしゃー!こうなりゃ、まな板の鯉だよ。病院でも刑務所でも行ってやろうじゃないのよー」とテーブルの上のトマトを丸かじりしながら明るい叫びをあげていました。

翌日、父に付き添われ大学病院へ向かったのです。

診察を受けた母はなぜか、その場で精密検査入院の要請を受けたのでした。
突然の要請に不安を隠せない父とは裏腹に母は全く動揺せずトンと拳で自分の胸を叩き

「なんてことないよ!ドンと来いさ。任せておきなさい。」と大声で笑っていました。

我が家は私も父もこの笑いにいつも励まされているのです。

その夜は何故か母は台所、居間、押入れ、寝室などの大掃除を始めたんです。
お掃除嫌いの母がこんなに必死でお掃除をしている姿は多分・・・
初めてでした。

母が検査入院してから一週間後、父と私は担当医から病状の説明で病院へ呼び出されました。

母の病名は・・・・

末期の肝臓がんでもう既に手術の余地もなく、身体のあちこちに転移が認められている。
味覚障害も市販の薬の副作用?とのことでした。
父も私も医師の言葉が理解できず何度も何度も聴き直しました。
母は一年ぐらい前から体調の悪さに気づいていたのに仕事を休めないことから、市販の薬を買いあさりとりあえず、鎮痛剤などでその場しのぎの処置をしていたということでした。

そんなこと・・・
イヤだ!
父も私も冷静ではいられずに、淡々と説明を続ける医師の目を睨みつけ思い切り罵声を浴びせたい衝動に駆られました。

(このやぶ医者め!なに言ってるんだよ!)

そして、母も病名をわかっていると・・・・・

どのくらいの時間が経ったのでしょうか?

その足で父と私は母の病室へ向かいました。

<柚子の部屋>
この病院の病室は普通の病院のように病室に100号室とかの番号を付けないで植物の名前が付くんです。

柚子の部屋・・・今日は一際この響きが悲しくて知らず知らずのうちに涙がこぼれ落ちました。
父もうつむき加減で泣いているのを隠している様子です。

病室に入ると母は満面の笑みを浮かべて

「こらぁ、パパも絵美も何て顔しているのよ。先生から聴いたのね。大丈夫よ、ママはこれからも必死で生きるから!」

なんて、悲しい言葉なのか・・・・

ベッドの隣りの台の上には大学ノートが2冊置かれていました。


次の日から仕事休みの日と仕事帰りに病院に行くことが私の日課になり、時には一也とのデート場所は病院でなんてコースも作り、母の元へ通う日々が続きました。

ある日、母が突然、

「ねえ、‘柚子の部屋’で思い出したんだけど、今朝、めずらしく朝食にトーストが出て、オレンジマーマレードがついてきたのね。でもソレが美味しくないのよ〜。香りが全然しなくてね。ねぇ、うちの庭の柚子でマーマレードを作ってみてよ。ほら、いつもママが作るでしょ、アレよ。
手作りマーマレードが食べたいな。さっき、そこの紙にレシピは書いてみたから・・・」と言うのです。

ベッドの横の台の上の大学ノートの上に「柚子マーマレードのレシピ」と書かれた紙がありました。

�ユズを半分に切り、スプーンでほじって皮と実に分ける。
�ジューサーで実から果汁を搾り出す。
�ユズの皮を千切りにして、たっぷりの熱湯に投入して茹で、苦味を少なくする。茹で上がったらたっぷりの冷水に晒し、ザルにあげて水気を切る。
�茹でたユズ皮と果汁をひたひたよりも少ないくらいの水加減で煮立て、ユズ皮の重さと等量の砂糖を投入し、焦がさないように木べらでかき混ぜながら煮詰める。
※ジャム類全般の共通要注意事項だが、煮詰め過ぎに要注意。煮詰め過ぎると冷めた時に、飴みたいに固くなってしまう。
�熱いうちに瓶詰めする。常温で長期保存する場合は脱気・殺菌する。
�日付と内容物を書いたラベルを貼って完成。

そして

「絵美、結婚したら食事つくりだけはしっかりやらなきゃだめよ。掃除や洗濯は手抜きでも死にはしないけど、一也君にたくさんの美味しい料理作ってあげてね。料理は愛情だよ」

入院してから一ヶ月ですが日に日に母はやせ細り、抗がん剤の副作用なのか食欲も全然ありません。
それでも、食事時間に私たちが面会すると心配かけまいと無理に食事を口へ押し込む母のいたいけな姿に涙することも多々あり、私は母の食べたがっている柚子のマーマレードを即作ってあげようと思い、家へ急ぎました。

その晩、私は庭からたくさんの柚子をもいできて、母のレシピ通り柚子マーマレードを作りました。早速父と味見をしてもみると

『美味い!!ママの作ったのと同じだぞ』と絶賛でした。

日付入りの瓶に詰めました。
とろーり、柔らかく優しい甘ずっぱさの柚子マーマレードはパテシエ絵美特製の世界で一つの最高級マーマレードです。


そんなことを考えていたら居間の電話が鳴り響き、父が電話に出てみると病院からで

「絵美、急ごう!ママが危篤だ!」

私は慌ててバッグにマーマレードの瓶を押し込み父と兎に角病院へ急いだ。
(落ち着け、落ち着け・・)と自分に言い聞かせた。

病院へ着くと母は人工呼吸器は付いていたものの少しの意識があった。
医師からは少し前に一時的に心停止があったものの、蘇生で安定したのだが依然、予断を許さない状態だとの説明を受けた。

『ママ、ママァー!ヤダよぉーー!私とパパを置いていかないでぇー』

涙と鼻水でむせて声にならず、母の胸にクシャクシャな顔を押し付けて泣きじゃくってしまうのだった。

すると、母は蚊の鳴くような小さな声でゆっくり言いました。

「大丈夫だよ、いつでもそばで見ていてあげるから、泣くんじゃないの」と。そして

「ママレード、作ったの?食べたぃ・・」

私は急いでバッグからマーマレードの瓶を出し、蓋をあけ、母の手をとり指につけてそっと、指を母の口元へ導きました。

「おいしぃよ、でも少し甘すぎない?・・・」ちいさな、ちいさな声でした。

『あれ?ママ、甘さがわかるの?味覚障害治ったの?』

「あら不思議?治ってる。病気も治ったらいいね。」弱弱しい呟きですが、母の心の嘆きを父も私もしっかり聴いた気がします。

私はまた目を閉じて眠りに入る母の姿から目を離し病室の窓から空を眺めました。
目に入る冬の星空に向かっていつの間にか心で叫んでいた。

(病気、治って!!)


その後、母は一時的に持ち直し、2日間の小康状態を保ったものの、病魔は母を貪りつくしていたのでしょうね・・・


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

寒い冬が訪れました。
今年も庭の柚子の木には柚子がすずなりになっています。

(今年もマーマレード作るからね。)


ママは入院中、大学ノート2冊にぎっしりと私のためにお料理レシピを作ってくれてたんですよ。
芸術的センスのまるでないヘタクソなイラストがところどころに描いてあるのには笑ってしまいました。

「料理は愛情だよ」

今日も屈託のない笑顔で私に囁く声が聴こえてくるような。。。。



喪の明ける来月、私はこのノートを持って一也の元へ嫁ぎます。


<完>

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