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名も無き者たちからのメッセージコミュのすべてなるものからのメッセージ

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深夜に目が覚め、

こ「自分から離れている、という表現を伝えるのがなかなか難しい。」

から始まるつぶやきをしようとしたら、
メッセージが振ってきました★

どこからきているかではなく、
使えそうなら使ってください蟹座ぴかぴか(新しい)

結構長いですが、
自分は、これが大好きです。
呼んでもらえるとうれしいです

原文:http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1706824200&owner_id=4209164


---------



「すべてなるものからのメッセージ」


人類のなかで、
他人に寄り添う、離れるという表現はあるが、
あなたが自分に寄り添う、離れるという表現は
あなた方には理解しずらいみたいだ。


あなたが「神聖な」「あなた」から
離れているとでも表現しようか。


あなたが「神聖なあなた」
つまり「愛」より離れている場合は。


あなたがたは総じて「分離」を経験する。


「神聖なあなた」からの分離だよ。

「神聖なあなた」から分離した魂は、不安を経験する。


だから、
力なく見えるわけだ。


「神聖なあなた」に寄り添う魂は、
力あるように見える。

つまりそれは、
魂の情熱や、楽しさ、に飛び込んでいるとき。
それは、
「最も神聖なあなた」の側面のひとつだ。


あなたがたが、
自分と離れているとき、すぐにわかるのだよ。


「ああ、離れている」と。




あなたは、それを「直感的」に知覚するが、
それを違う理解により、埋めようとする。





「人間はそんな存在だ。」
「私は、その程度の人間だ。」

とね。




そして、人類に教え込まれた考えによって、それを「強化」する。



つまり、

「教化」で「強化」するわけだ。




すると何を経験するか?
あなたは、「あなたと離れたあなた」を経験する。


あなたとは「愛」である。


つまり、
「愛から離れたあなた」を経験するのだよ。


あなた方は、総じて、
比較の世界に生きてきており
「凄い人」を造り上げ、

自己という「神聖そのものであり愛そのもの」という
「凄い人」から遠ざかってきた。


自己否定は、
すべてなるもの=神=愛=自由を否定する行為だ。


それにより、
「あなた」は「あなた」から離れる。

「愛」の相対「不安」を経験するのだよ。


他者によって、
愛の偉大な側面を理解することも、しないことも出来る。




人類の大多数がやってきたのは、常に後者だったね。



そして、あなたはあなたから離れるのだ。



神聖なるすべての愛の側面であるあなたから離れるのだ。


あなた方は、教えにすがる。
常に、答えを求める。
出された答えに飛びつき、答えを出した人を「あがめる」。



そのゲームを繰り返して来たのではなかったかな?



「神聖なるすべての愛の側面」である私を、
尊敬し、敬い、愛する のをやめて。

全く、その逆だと理解する。


つまり、
「私」以外のものに対して、
尊敬し、敬い、愛する。


なぜ、これが起こるのだろうか?

なぜ、こう考えるのだろうか?


それは、
あなた方が、自己を神聖なる創造主だと忘れているからだ。
自分には力がないと感じている。


「教化」に「強化」されてね。



なぜ、その素晴らしい相手を惹き付けて、
それを創造し、経験できたのが、
自分がしたことだとは思えないのだろうか?

なぜ、信頼がそこまで欠如するのだろうか?


誰かが、教え込んだのではないだろうか?


「自分以外に凄い人は沢山いる。
その凄い人たちから学びなさい。」
と言われたのではないのかな?


正しくはこうだ。


「自分と同じく、凄い人は沢山いる。
その凄い人たちからも学びなさい。」


相手は、自分を経験することを許してくれる。



「鏡」のようだと聞いたことはないかな?



「あなた」は「相手」という「あなた」を経験することにより、
「神聖なあなた」に戻る。


あなたは、なぜこれから離れてしまったのか。
そして、不安と恐怖と落胆の渦にいるのか。


理由は、はっきりとしている。
「神聖なるあなた」から離れているからだよ。



あなたの口からでる言葉はこうだ。

「自分は自分が嫌いだ。」
「自分には出来ない。」
「自分には愛がない。」
「自分より優れた人が沢山いる。」
「自分はこの程度だ。」


あなたは、何度自分を否定してきたのか?

なぜ、そのことが可能なのだろうか?


それは、
あなたが経験することは、
あなたが創造するからだよ。

そう、信念によって。


「教化」により「強化」された信念を
経験することは可能だろうか?



イエスだ。


そして、あなたは本当にその通りだという経験を惹き付けて経験する。

それが、さらに強化されるのだ。


これにより、「教化」は信念となり、より自己を強化するのだ。


つまり、
自分は、「神聖なる存在ではない」とね。


あなた方は、自分がそうであるのは恐ろしく、
他の魂をまつりあげる。


多くの宗教のようにね。
あなた方は、宗教をやるなら宗教を通して、自分を経験すればよいのだ。


キリストは何と言ったかな?

「私は、皆と同じく、神の子です。」


と言わなかったかな?


あなた方は、同じことをなぜ言えない?



恐ろしいからだ、
「神聖な存在です。」

と宣言することが恐ろしいからだ。


自分の犯した過ちを知っていて、評価されるのが恐いからだ。


「とても、そんな風には見えない」からだ。


なぜ、すべてなるもの であるあなたが、
すべてなるものを持ってないことが出来ようか。



あなたに、その「神聖な側面」はあるのだよ。
そして、それこそがあなたなのだよ。


否定することにより、
「神聖なあなた」が「神聖ではないあなた」を経験しているのだ。


もちろん、ここには言葉のあやがある。


あなたが「神聖な存在」でなかった瞬間なんて一度もない。

しかし、忘れて離れていた時間は大いにあると言うわけだ。
魂たちよ。


あなた方は、「あなた」から離れるということが理解できない。


会話はどうだ?

比較はどうだ?

視点はどうだ?

現実はどうだ?


常に、「神聖なあなた」からそれていたのではないかな?

「神聖なあなた」に向かうように努める時間など
なかったのではないかな?



そして、

「神聖ではないあの人」
「神聖なあの人」
を見る時間に使って来たのではなかったかな?


しかし、もういいのだよ。
思い出してもいい頃なのだ。


「あなたは神聖なる存在である。」

とね。

「私は神聖なる存在である。」

とね。


そこに向かおうと努めなさい。


あなたは「あなた」へ向かおうと努めなさい。
あなたたちよ。



「誰か」が「答え」であると叫ぶのはやめなさい。

あなたは、叫ぶ度に、自分から離れているのだよ。



「あなた」は「答え」そのものだよ。



したがって、

「あなた」の「答え」だけが
すべての「答え」だと宣言するのもやめなさい。




なぜか?





気づかないのかな?





まず第1に、
他の魂が「神聖なる私」から離れて
「あなたの答え」をみるかもしれない。
つまり、「私」から離れるのだよ。


第2に、
あなたがそう宣言する必要はなぜかな?

なぜ、自分のみでは自分を慰められないのかな?

他人に評価されたいからだよ。

「神聖なあなた」は評価を必要としない。




他人に認められたいと他人に寄り添うのは勝手だが、
やはり、「あなた」は「神聖なあなた」から離れる。



これがわかるかな?
わかるだろうか?



とても微妙なニュアンスを伝えている。
非常に重要なことを伝えている。


あなたは、「神聖な何者か」であり、
それ以上なものである。

すべての人が「神聖な何者か」であり、それ以上なものである。




このすべてのメッセージをあなたは受け取れるだろうか?

あなたは、あなたの素晴らしさを受け取れるだろうか?


評価など、一切必要なく、
最初から神聖であった「あなた」を思い出せるだろうか?

そこへ、向かおうと努めているだろうか?


今、この星で起こっているのは何だろうね。


病だよ。
慢性的な病だ。


自分を忘れて、
何者かを信じて、何事かを信じて、

自分を忘れる方向にある魂が大勢いる。



私は、多くのメッセンジャーを通じ、
いろいろなレベルで、
いろいろな方法で伝えている。


あなた方は、いちいち名前をつけないといけないようだがね。


あなたが覚えておかなければならないのは、
「あなたが神聖な存在」であるということだ。

「すべてはひとつ」だということだ。


すべてはひとつ であるのに、
何かだけが特別だということがあろうか?

いや、ない。

すべてが特別な恩恵だ。




あなたは、このメッセージの中に、
「あなたの素晴らしさ」を見いだすことができるだろうか?




メッセージがくるこないなど、どうでもよい。
大したことではないのだ。

霊的能力があるないなど、どうでもよい。
大したことではないのだ。


メッセージがくるあの人を、
霊的能力があるあの人を、
答えだ!と崇める前に、


「あなた」は「あなたが神聖な存在」だと気づくことが出来るだろうか?


そこが問題だ。



「あなた」が「神聖な創造主」であると気づくだろうか?


そこが問題だ。


だったら、
すべてにあなたは神を見いだせるのではないか?


すべてに神聖なものを見るとき、
そこにいっさいの分離は生じないのではないか?


すべては、
あなたがあなたに寄り添うことによって。

あなたがわたしに寄り添うことによってだ。


このメッセージを本当に受け取れるのならば、あなたは宣言できるはずだ。


「私は、すべてと同じく、神聖な存在である。」と。


すべての争いはなくなる。
特別の競争をしなくてもよい。
どれが正しいか?など気を張らなくてもよい。



あなたが「純粋な愛」に近いとき、すべてはほどけるのだ。



他に、神聖さを見いだすように、自分に神聖しを見いだしなさい。

他に、愛を見いだすように、自分に愛を見いだしなさい。

他に、自由を感じるように、自分に自由を感じなさい。

他を、崇める前に、自分を崇めなさい。

他を、信じる前に、自分を信じなさい。


自分を、信じるように、他を信じなさい。

自分を、称えるように、他を称えなさい。

自分を、自由にするように、他を自由にしなさい。

自分を、愛するように、他を愛しなさい。

自分に、神聖さを見るように、他に神聖さを見いだしなさい。


自己を顕示しなくていい。
他人から評価されずともよいのだ。
神聖な側面は、それを必要とすらしないのだ。


あなたは、大好きなあなたを、愛せるあなたを表現しなさい。

自分に寄り添うことによって。


それが、あなたを解き放つ。
無条件の愛であるあなたを表現する。


あなたは、この神聖な理解と実践により、
この星にすべての恩恵をもたらすのだ。


誰かがメシアではなく、あなたこそがメシアなのだ。



素晴らしいと思う人がいるなら、
その側面が自分にあることに感謝しなさい。

その側面を自分に見せてくれることに感謝しなさい。



あなたが、あなたに寄り添うとき、
あなたのハートが目覚めるときだ。



そして、すべてに真実があることを覚えておきなさい。
どれかだけ真実だということではない。


あなたが真実だと決めたことは、真実となる。


ただし、
「あなた」が「真実そのもの」だと十分に思い出す必要があるのだよ。


あなたは神聖なる存在だ。
それ以上の存在だ。


それ以上でもそれ以下でもない。


あなたがあなたという神聖さに気づけるように。


気づいたのなら、それを世界に発信しなさい。


色々な表現がある。

あなたの一番好きなやり方で表現しなさい。


あなたの一番正しいやり方ではなく。

他を攻撃したり、従えたりするのではなく。


あなたの「神聖な愛」を。
「愛」そのものであるあなたの「神聖さ」を。


表現しなさい。


何度でも言う。

あなた方は、答えを探しにきたのでも、
答えを求めてさ迷いにきたのでもない。


あなたという「答え」を表現しに来たのだよ。


神聖な存在のあなたよ。


神聖な存在のわたしよ。


まっすぐでいなさい。


「あなた」という「神聖なあなた」が答えてくれる。



あなたは、このメッセージの中に、

「あなたの素晴らしさ」
を見いだすことができるだろうか?


それだけが、すべてだ。

コメント(4)

ありがとうございますわーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)

ぜひぜひ〜バンザイぴかぴか(新しい)

自由に転載して下さいませ〜わーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

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