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東日本大震災記録コミュの530.関東大震災からの復興は「国債と減税」が支えた 歴史に学ぶ、当たり前の「財源確保策」

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 1923年9月1日。日本史上最悪の被害をもたらした、関東大震災が発生した。東京都、神奈川県を中心に、死者・行方不明者は10万人を超え、首都の金融システムも麻痺状態に陥った。金融システムが機能しなくなってしまったため、決済などが不可能になり、日本経済全体も大混乱に陥ってしまったのである。

 震災発生の翌日(9月2日)に山本権兵衛内閣の内務大臣に就任した後藤新平は、その日の深夜には「帝都復興」のための復興根本策を起案した。後藤新平が帝都復興のために用意しようとした予算は40億円(「関東大震災発生後における政策的対応」国立国会図書館 ISSUE BRIEF NUMBER 709[2011.4.28.]より。以下同)。当時の一般会計予算(約15億円)の2.7倍に相当する。現在の日本に置き換えると、250兆円ほどであろうか。

 その後、震災からわずか4週間後の9月27日には、帝都復興院が設置され、後藤新平が総裁の座に就いた。後藤新平が起案した復興根本策を基に、帝都復興計画が提案され、予算が確保された。当初、後藤が確保しようとした予算は先述の通り40億円だが、あまりにも巨額であるため議会の賛成を得られず、当時の政府が緊縮財政路線を採っていたこともあり、最終的には6億円となった。それにしても、国家予算の3分の1強の規模である。

破綻前のギリシャと同じような状況なのに

 さて、後藤新平ら当時の日本政府がどのように財源を確保したのかといえば、主に「海外向けの国債発行」である。当時の山本内閣は、12月24日に震災善後処理公債法を可決し、発行上限約10億円の震災善後処理公債の発行を決めた。

 とはいえ、当時の日本は第一次世界大戦後の不況に苦しみ、国内で多額の国債を消化することは困難であった。そのため、山本内閣は上記国債を欧米諸国に販売しようとした。一応、欧米諸国は約5.5億円の日本国債について引き受けることを決断したものの、震災後の日本のファンダメンタルを不安視し、金利は日露戦争時を上回る8%であった。さらに、当時の日本は日露戦争時の償還期限も迎えていたため、欧米諸国に国債を販売することで調達した資金について、全額を震災復興に回すことはできなかった。

 ともあれ、日露戦争時の外国向け国債という対外負債を政府が抱え、かつ長期金利が世界最低でも何でもなかった1920年代の日本であっても、震災復興の財源は国債に依存したのである。

 なぜ、関東大震災後の山本内閣は、現在と比べると極端に厳しい環境にありながら、震災復興の財源を国債に求めたのだろうか。何しろ、国債金利が8%で、しかも消化を外国に頼らなければならないのだ。ちょうど、2010年5月の破綻前のギリシャと同じような状況である。

 山本内閣が震災復興の財源を確保するために国債を発行した理由は、非常に明快だ。それが、当たり前だからである。

世界で最も復興財源を国債発行で調達しやすい国

 前回も解説した通り、増税とは国民の支出意欲を削ぐ政策だ。ここで言う支出とは需要のことであり、GDP(国内総生産)そのものだ。震災により、ただでさえ萎縮している国民の支出意欲を削り取り、GDPが低成長もしくはマイナス成長に落ち込むと、当然ながら政府の税収は減る。結果、被災地の復興の財源が先細りになってしまう。

 さらにGDPが成長しないと、被災地が復興し、その地域から生産物などの付加価値が生み出されるようになった時、国民がその対価を支払うに充分な所得を得ることができなくなってしまう。

 現在の日本は、国内の過剰貯蓄という問題を抱え、長期国債金利が世界最低という、深刻なデフレに悩んでいる。過剰貯蓄ゆえに国債の95%超は国内の金融機関などで消化され、しかも100%日本円建てだ。すなわち、日本は世界で最も復興財源を国債発行で調達しやすい国家なのである。

 過剰貯蓄問題とは、要するに国内の金融機関に「運用先が見当たらないお金」があふれているという話だ。預金や生命保険料など、各金融機関が「負債」として集めたお金の貸出先が増えていないのである。結果的に、金融機関は国債購入に走り、長期金利が低迷している。

 そして、なぜ金融機関に集まるお金の運用先がないのかと言えば、もちろんデフレだからだ。デフレ下では実質金利が高まり、同時に投資収益が下がるため、企業は融資を受けてまで投資を拡大しようという気にはなれない。

 ともあれ、現在の日本の問題はあくまでデフレであって、マスコミなどで騒がれる「日本は国の借金で破綻する(=デフォルトする)」などという話ではない。前回も書いたが、政府が金融政策と財政政策のパッケージという「普通のデフレ対策」を行えば、日本はデフレから脱却することができる。

2011年5月23日(月)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20110518/220028/

 話を関東大震災に戻す。日露戦争の戦費などで政府に外貨建て対外負債があった当時の日本政府であっても、復興のための財源を国債発行に求めた。さらに、各種の「減税」も合わせて実施された結果、政府の財政は悪化した。

 また、復興需要で輸入が拡大し、震災前まで1ドル=2.04円だった対ドル為替レートは、震災後には1ドル2.5円と急落した。2011年の東日本大震災発生後は、日本円の為替レートはむしろ「急騰」したが、それは現在の日本経済が極端な供給過剰に悩まされ、政府の対外負債もないに等しいためである。関東大震災後の日本を含め、普通の国は大震災に見舞われると、為替レートが下がる。

 財政悪化や円の急落を受け、時の日本政府は復興が一段落した途端、緊縮財政に舵を切り、政府支出の削減を始めた。さらに、震災により金融システムがダメージを受けたこともあり、当時の日本は物の見事にデフレ経済へと突っ込んでしまう。いわゆる、昭和金融恐慌である。

 図2-2の通り、政府の緊縮財政により、もともとデフレ傾向にあった当時の日本は、関東大震災後に再び東京小売物価指数がマイナスに落ち込んだ。1926年の東京小売物価指数は、対前年比で8%超も下落したわけであるから、まさしく「デフレ」だ。

 復興後のデフレ深刻化を受け、日銀は「印刷機をフル回転させ」日本円の紙幣を刷り、マネタリーベースを拡大させた。時の蔵相、高橋是清も、一部の銀行に対しモラトリアム(支払猶予措置)を行うなどの手を打ち、何とか恐慌を沈静化させたわけである。

東日本大震災は「特別な事由」でないのか

 昭和金融恐慌が収束し、物価はプラス方向に向かい始めたのだが、1929年10月のウォール街株式大暴落に端を発した世界大恐慌が始まり、日本経済は再びデフレの谷底へと落ち込んでしまう。しかも、時の濱口内閣が金本位制復帰を目指し、またもや緊縮財政や産業合理化に突き進んでいたことが、日本のデフレ深刻化に拍車をかけた。すなわち「昭和恐慌」の始まりだ。

 1930年の東京小売物価指数は、対前年比で何と14.6%ものマイナスである。深刻なデフレを受け、高橋是清が再登板し、日銀の国債引き受けや政府支出拡大などのリフレーション政策を実施した。結果、日本は世界が羨むほどの速さで恐慌から脱することができたのである。

 さて、話を「今」に戻す。東日本大震災の復興の財源確保のために、日銀による国債引き受けを主張する人がいる。筆者は別に日銀に国債を引き受けさせずとも、国内に過剰貯蓄があるわけであるから、普通に建設国債を発行すれば良いのではないかという意見だ。とはいえ、本当に日銀の国債引き受けが実現できるのであれば、もちろん筆者も賛成する。

 問題なのは、復興増税を主張する政治家や評論家などが、
「日銀の国債引き受けは法的に禁止されている」
「日銀が国債を引き受けると『歴史的に』インフレを制御できなくなる」
などの虚偽情報を流していることだ。

 日銀の国債引き受けが「法的に」禁じられているという話は、前回も解説した通り、明確なうそである。財政法第5条は「特別な事由」がある場合の日銀引き受けについて、国会の決議の枠内において認めている。東日本大震災のような大規模災害が、「特別な事由」でないはずがない。

円の供給量が増えれば円高も一服

 また、現在の日本は消費者物価指数(CPI)上昇率がマイナスで推移し、国債金利も世界最低だ。日銀が国債引き受けでマネタリーベースを増やしたところで、インフレ率が制御不能な状態に陥るような事態は発生しない。

 しかも、リーマンショック以降にアメリカが極端な量的緩和政策を採っており、日本円の流通量が足りないこともあり(何しろデフレだ)、円の為替レートは高めに推移している。日本政府は、震災後3月16日の1ドル76円台という極端な円高を受け、「円売り、外貨買い」の為替介入を行った。とはいえ、日本円の流通量が「相対的に」少ないという大元の問題は解決されていないため、円の為替レートはすぐに上昇に転じてしまった。

 ちなみに、日本政府(財務省)の為替介入は、銀行などに「政府短期証券」という債券を発行し、調達した円でドルを購入するというスタイルだ。購入したドルを現金のまま保有していても仕方がないため、日本政府は米国債を購入することになる。すなわち、日本政府の為替介入は、政府の借金を増やし(=政府短期証券発行)、アメリカ政府に貸し付ける(=米国債購入)というプロセスになるのだ。

 大震災で復興のための「日本円」が必要な時に、何が哀しくて政府が借金を増やし、アメリカ政府に貸し付けなければならないのだろうか。日本政府が日銀に国債を引き受けさせるなりしてマネタリーベースを増やせば、復興の原資が確保できるのはもちろん、円の供給量が相対的に増えることで、円高も一服することになる。

 さて、日銀の国債引き受けに反対する人々が言う「日銀が国債を引き受けると『歴史的に』インフレを制御できなくなる」について考えてみたい。1929年の世界大恐慌のあおりを受け、デフレ状態に落ち込んだ日本において、実際に高橋是清が日銀の国債引き受けという対策を打った。果たして、「インフレが制御できなくなる」状況になっただろうか。

 高橋是清存命の時代、東京小売物価指数の上昇率は、ピークの1933年であっても6.5%に過ぎなかった。小売物価指数上昇率6.5%を「凄まじいインフレ」と評価するかどうかは、個人の価値観の問題だが、少なくとも「インフレが制御できなくなった」という言い回しは使えない。

制御不能のインフレは、軍事費が原因だった

 ところで、金融政策と財政政策のパッケージという「普通のデフレ対策」により、昭和恐慌から脱した日本だが、その後の東京小売物価指数の上昇率は確かに高まっている。なぜだろうか。

 実は、「普通のデフレ対策」により日本が恐慌状態を脱したことを確認した高橋是清は、政策目標を達したとして、政府支出の削減に乗り出したのである。政府支出削減とは総需要抑制策であるため、インフレ対策の一種だ。

「デフレの時には、デフレ対策を打つ」
「インフレの時には、インフレ対策を打つ」

 高橋是清は、まさしく現代の政治家が忘れてしまった「当たり前のこと」を実施しようとしたわけであるが、削減される政府支出は軍事費がメインになっていた。すなわち、高橋是清は総需要抑制策として、拡大した軍事費を切り詰めることでインフレを沈静化させようとしたのである。

 これに腹を立てた(これだけが理由ではないが)一部の軍人がクーデーターに走り、高橋是清は暗殺されることになる。すなわち、二・二六事件である。

 二・二六事件以降、日本は軍事費の削減が不可能になり、1937年以降、日中戦争に邁進し、国内のインフレ率は高まっていく。今も昔も、戦争こそがインフレを暴走させる。日本国内で生産される武器弾薬は、次々に軍隊により消費されるが、その費用はもちろん政府支出により賄われる。政府支出にしても、GDPの需要項目の一部である。国内のリソースの多くが軍に割かれ、供給能力が高まりにくい環境の中において、需要が拡大する一方になるため、物価は上昇傾向に向かうのだ。

 図2-2を見ると、日本の物価上昇は1941年以降に本格化している。もちろん、太平洋戦争勃発が原因だ。いずれにせよ、日中戦争以降のインフレ率上昇は軍事費の拡大が主原因であり、昭和恐慌時の日銀引き受けのためではない。日銀引き受けで『歴史的に』インフレが制御できなくなるわけではない。軍事費拡大による需給バランスの崩壊こそが、『歴史的に』インフレ率を高騰させたのだ。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

 1996年の橋本政権も同様だが、震災復興のために財政支出が拡大すると、政府は「復興後に」緊縮財政に走ってしまう。結果、日本経済にデフレ深刻化という病をもたらすことになったわけだ。関東大震災、阪神・淡路大震災(95年)と、日本政府は2度も「間違い」を起こし、震災復興後にデフレ不況を到来させてしまった。

 しかも、今回の東日本大震災に至っては、政府はなんと復興前の時点から「増税」というデフレ促進策を採ろうとしているのである。先にも書いたが、関東大震災後の日本政府は、震災被災者の生活を支援するために「減税」を実施した。

 今回、日本政府が本当に復興目的で消費税をアップしてしまうと、被災者までもが負担を強いられることになる。さらに、前回も書いたように大震災後に増税を実施したようなおかしな政府は、人類の歴史に存在していない。

 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。それでは、歴史からも経験からも学ぼうとしない人は、果たして何と呼ばれるべきなのだろうか。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20110518/220028/?P=3

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