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日本震災福祉支援協会コミュの経過報告

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(活動の経過報告)
震災直後
震災後、横浜で高齢者住宅の見守りや帰宅難民の移送を独自で行う。その際の行政のストップ状態をみて被災地の危機的状況を想像し、厚生労働省、神奈川県、横浜市、宮城県の行政活動の実態を調査した結果独自に福祉の見地からの救援活動に踏み切ることを決定する。会合呼びかけ、口座開設を検討する。

3月13日
MIXI上に震災救援用のコミュ 「震災救援ボランティア」(現、日本震災福祉支援協会)http://mixi.jp/view_community.pl?id=5522962を設置する。
14日 東京、国家ビジョン研究会事務局長 富山氏の主催する震災救援活動検討会に出席、同じく活動される「東北太平洋沖地震生活支援協会」丹野代表を富山氏に紹介する。

15日 原発に関し力のあるグループに原発対策を提言する。政府で検討される。

18日 支援呼びかけを英文、中文に翻訳する。

19日 活動団体立ち上げ集会実施 被災地入りしたグループより情報を収集する。

20日 名古屋、大阪、神戸を回り、支援活動の連携をNPOに呼びかける。
   特にNPOウィズアスと強く連携し被災地の介護事業復興支援構想を起
   案する。
   このころから厚生労働省、横浜市、神奈川県の介護、障害担当部署と   密に連絡を
   とりはじめる。独自での介護職、車両派遣の必要を確信する。
24日 アニミ服部代表、横浜移動サービス協議会により介護車両1台が被災   地に向かう。

31日〜4月3日
   石巻入りする。県庁介護保険課訪問、先に石巻入りしている災害支援   のプロである
   スタート永田の金田代表、湊小学校の庄司代表と復興支援について話   し合う。
   同時にMIXIで繋がった大阪の介護職の女性の湊小での支援活動のサポ   ートをする。
   サポート内容は被災地での救援場所紹介、金田代表紹介、宿泊場所の   斡旋、ガソリン代の支給、大阪から被災地までの男性ドライバー同行   とその経費の支給 ボランティア保険加入 にとどまり、活動の為の   マンスリーレンタカー代、生活費は自費で活動していただくことにな   った。
   石巻の高齢者集約避難場所「遊楽館」訪問 運営担当者と話し合い、   介護車両手配を実施する。また、介護職ボランティア派遣の協力を申   し出る。
   以前から状況の悪化を宮城県庁介護保険課から聞いていた雄勝支部に   行き、支援協力を申し出る。丁度車両が流されて寸断された個人宅の   訪問調査ができていなかった状況で、看護師、保健師さんと一緒に個   人宅をまわり、状況調査に協力する。道路はあちらこちら陥没し、が   け崩れをしていて命がけといってもよい訪問になった。疲れ切った看   護師さんがお宅に訪問すると、どこの家庭でも「あんた無事だっ
   たんだ」「もう仕事していいの?」と抱き合う場面があった。帰りが   けにある廃墟とかした病院を見上げて看護師さんがポツリと呟いた。   「ここの屋上で仲間の看護師がみんな死んだ 私だけが一人生き残っ   た」 被災地では看護師も、介護職も、そして行政マンも皆が被災者   なのだ。何かを忘れるように仕事に取組み、時に笑顔を見
   せても、お独りになられた時は辛さに耐えきれないのかもしれない。   それが当然だ。

4月4日 入浴車を贈ろうプロジェクト開始。独自口座を開設する。

4月5日 市民フォーラム21 藤岡事務局長と相談。復興支援計画にご協力    をとりつける。

4月8日〜11日
    日中に横浜市長への意見書申請、地元での介護の仕事を終えてから    夕方から石巻を目指す。当社の女性ワーカーを1名同行する。仙台    市内、近辺の宿泊先がいっぱいの為、宇都宮で1泊して後、再び石    巻入り。今回は調査ではなく明確な目的を携えての訪問であった。
    まず真っ先に宮城県庁介護保険課を訪問し災害等従事車両証明書、    県知事の意見書発行をお願いした。以前から趣旨説明を十分にして    課長さんに賛同を頂いていた為、車両証明書はその場で、そして意    見書も確約していただいた。迅速で有効な処断のできる行政さんで    あると感心した。横浜市の障害福祉課も同じで風遠しが良く、相
    談者の話を良く聞いてくださり、処理が早い。また、型にはまらな    い判断をできる行政マンがいる。
    渋滞の石巻市内を少し走り、港にでると壮絶な光景が広がってい     た。原爆が落ちたがごとき、光景の中で消防や警察の方がそこここ    で並んで敬礼をしている。ご遺体がみつかっているのだ。
    次に高齢者集約避難所である遊楽館を訪問し、夕方まではワーカー    さんと排泄介助、 声掛けのお手伝いをした。津波で伴侶を失った    ご高齢者二組のお話をうかがう。お知症で排泄もままならない。も    うお1人も介護度が高い。これからのお二人の行く末を考えると厳    しい現実に声もない。しかし、重要なことは、お二人とも誰かに聞    いてほしい、と思っていることだ。その気持ちを隠し、あるいは蓋    をあけてあげる方は周囲に少ないのだろう。今後、心のケアの面     で、笑いによって辛い思いでを忘れていただくこと、同時に少しづ    つでも吐き出していただくことの両面が必要になるだろうと感じ     た。もちろん、被災者の気分にも構わずアレコレ聞き出していこう    とすれば気分を害して逆効果だが、介護でいう傾聴の姿勢に徹する    ことが被災高齢者の方と接するスタンスとして重要であることを考    えれば、今後介護の熟練者や心療スタッフによる傾聴ボランティア    も必要になるだろう。
    管理者の方にワーカーさんを託して19時に石巻湊小に向かう。湊小    に駐在するスタート永田、金田さんに今後の復興プランを提案しご    意見を頂く。22時ごろまでお話し、その日は遊楽館に宿泊をお願い    した。

    次の日は午前中から排泄介助、また天気が良いので一人のお婆さん    を車いすで散歩にお連れした。久々に日光浴にとても喜んでいただ    いた。避難所で過ごしてみて、確かに医療スタッフは充実している    ものの、水分補給や口腔ケア、トイレ誘導や見守り声掛け、外出へ    の誘導、などは申し訳ない表現になるがほとんど考慮されていない    としか言いようのない現状であった。また、避難所がボランティア    でバラバラに活動運営されている状態で、統制のとれた介助はとて    も行われていないようにみえた。たとえばトイレ介助は手を挙げて    も対応が少ない、表情や所作によってトイレ誘導するボランティ     ア、スタッフはほとんどみられなかった。認知症の方で起き出し不    安そうな表情をしたり、オムツを触っていれば初心者の介護スタッ    フでもトイレ誘導が必要なことはわかるはずなのだが・・・

今回避難所をいくつかまわってみて、医療スタッフの方、行政の方の「大丈夫」「支援は足りています」という言葉がいかに根拠のない物であるか痛感した。また、ボランティアの管理対応、介護的支援の対応が行政の方には通じにくく、対応が面倒であることすら感じられた。その点、さすがに介護保険関係の担当部署には話がスムーズに通じる。餅は餅屋にもってゆかねば事は運ばないわけだ。

午後からは石巻市介護保険課をめざした。カーナビで設定して行ってみたが、それらいし建物は影も形もない。通りすがりの方に聞くと、ビブレが臨時の役場になっていることがわかった。
ここに向かう途中、珍事件に遭遇した。路を走っていると、車が山積みされた1画があり、撮影の為に入っていくと、クレーン車が1台 50代の方が
しきりに車を足でたたいたり揺らしたりしている。
 近づいていくと「どこからきた、何しにきた?」と警戒されたので、これ
は近づいてはいけなかったのかと思い「市役所の用事で」と答えると、相
手の顔に恐怖に近い顔色が浮かび、トラックに飛び乗って逃げるように、
というより逃げていってしまった。
   廃棄される車といってもタイヤ、ラジエーター、電子機器、売れる
ものはいくらでもある。鉄そのものに価値がある。 一定期間告知して、ま
だ取りに来ていない車だ。あるいは引き取り手はあらわれないだろう。
火事場泥で大儲けしている者はかなりいるはずだ。しかし、たとえ人生の
一瞬でも、困っている人を助けず、困っている状況を利用して儲けようと
いう、貧困な心がけで人生を送っている者に、そうしなければならない背
景に悲しみを覚える。
珍事件の後、ビブレ前に到着、人だかりができていて、何だろうとのぞく
と、お相撲さんが炊き出しを行っていた。元千代の富士(ウルフ)が真剣
な表情で雑炊?を行列に出していた。
震災後の7階建のビブレがそのまま役所になっていて1から3階が市民対応の窓口、
その上が災害対策本部、広報、市長室などになっていた。
壁には行方不明の方のリストが1000人分くらいは並んでいた。とても写真を撮
る気にはなれなかった。
介護保険課長さんに活動の趣旨説明をし、要支援介護事業者をご紹介いただくこと
が決まった。よく耳を傾けてくださり、そして迅速かつ好意的にご対応いただいた。

市役所を後にして雄勝に向かう。ビルの上にあった観光バスは撤去されていたが、
街が総ざらい津波に持って行かれた姿はまだまだ惨状はなまなましい。
雄勝支部に到着すると懐かしい顔の保健師さんがいた。「状況はどうですか?」と聞
くと、私に気づかないようで「ハッピーライフさんという方のおかげで何とか・・・」
と言うので「私がハッピーライフの内藤ですよ」と言うと驚いて照れていらっしゃ
った。多くの方がきて、あまりに多くの出来事が起こる毎日。忘れて当然なのだが、
感謝していただいたことに凄く感激した。ありがた迷惑ではなかったろうか、と横
浜に戻ってから考え込むこともしばしばあったからだ。
ご要望のあったポータブルトイレをお渡しして、帰路、湊小に戻り介護職のボラン
ティアさんにボランティア保険の証明を渡し、金田さんに別れの挨拶をして遊楽館
に戻る。帰りがけの金田さんの少し淋しげな表情が脳裏に残った。人好きな本当に
優しい方なのだ。
その後、徹夜で横浜に戻った。何度か睡魔に襲われ高速のガードレールにぶつかり
そうになったことは同乗のワーカーさんには言えなかったけれど・・・

4月11日〜18日まで
   帰宅後、体調を酷く壊しつつも、年賀の助成金の申請作業に移る。当初知人に依頼
していたが、結局自分でやることに。とはいえ横浜市長への意見書の申請も提出に必要な
車両も見積もりも1日で終え、14日に届いた宮城県知事の意見書も添えて期限ぎりぎりの15日に市長意見書もいただき、提出を終えることができた。後は神頼み。
18日には市民フォーラム関係の助成金提出だが、今、この文章を打っているので提出できるかどうか・・・いや、何としてでも実行してみせる。これが僕が今できること なのだ。

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