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メキシコ料理世界遺産コミュの“メキシコ料理”の世界遺産登録はメキシコにとって幸か不幸か?

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PROMEXICO機関誌『NEGOCIOS』の2011年1月号に、メキシコ料理世界遺産登録に関する記事が掲載されました(以下抜粋)。

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世界を魅了するメキシコ料理

メキシコの魅力的な伝統料理が、ナイロビのケニアで2010年11月18日、正式にユネスコ世界無形文化遺産に登録された。

1519年11月、スペインの征服者エルナン・コルテスと、アステカ王モクテスマ2世は、初めてこの時顔を合わせ、メキシコ・テノチティトランは、スペイン人の手に落ちたのである。
この時、征服者と被征服者はテーブルを共にしお互いの産品を分け合ったが、先祖伝来のメキシコ料理の秘密は、分け与えられることなく、先スペイン期の石竈の奥深くに営々と守られていた。

今日の多彩な数々のメキシコ料理は、カトリック教徒と異教徒との間で宗教的な熱意の下で練られた調理法がまさに体現されたものである。伝統的なメキシコ料理が世界遺産に登録されたのは、その味わいが世界の人々の味覚を惹き付けたからにほかならない。独立200周年のこの年、この大きなご褒美には、当国にとって、ひとつの大きな義務をも伴う。

伝統と義務

メキシコの国連機関(UNESCO)への世界遺産登録申請は、この度遂に成功を収めた。最初の試みは2005年にされたものの、その申請は却下された。その後5年にわたり、メキシコ伝統食文化の保護団体であるメキシコ伝統食文化継承機関(CCGM)は再申請に努力を重ねた。

「我々の食文化を守るのはとても重要なことであり、その点で世界遺産登録は役に立つでしょう。しかし、ご褒美などとは程遠く、逆に大きな義務が発生したと思っています」とCCGM役員で、グロリア・ロペス・モラレス女史は言う。このCCGMは、シェフ、政治家、科学者、社会問題専門家や学者など、皆それぞれメキシコ料理に興味を持つメンバーで構成されている。特に彼らは、料理そのもののみならず、5世紀以上にわたって様々な困難をも乗り越えて継承されてきた複雑なメカニズムに関心を持っている。

「ユネスコの認定は大きな義務を伴います。正直なところ、このことに真剣に取り組むと、自分たちの上にのしかかる負担は非常に大きくなります。とは言え、これは大変意義深いことなのです。」と、ケレタロ州の高等調理学院(IGES)の教授で、研究者、また調理人でもあるピラル・ファウスト女史は言う。

ピラル女史は続けて言う。
「この国際的な“印”を守るには、これから各地域にある問題点を調べ、研究を進めていかなければいけません。地方の人々の間で使われている原成分(オリジナル添加物)を救い出し、土壌や自然作物の汚染を差し止めねばなりません。また、これまで口伝えで受け継がれ、何の記述もない伝承を救出しなければなりません。そして、これらと同様に重要なことですが、いわゆる“ジャンクフード”を食べる機会が多く、失われてしまった私たちの味覚を再教育せねばなりません。今日、私たちは、美味しい「モーレ(メキシコの一般的なソース)」と不味い「モーレ」を識別することも出来ないのです。」

メキシコの食卓における聖なる三種の材料は、60種類以上の豆、知られているだけで20種類以上の唐辛子、そして古代人に最も神聖な植物と崇められた300種類のトウモロコシである。これらはすべて、今でも祖先からの伝統に則ってメキシコ人たちに食されているが、それでもなおこれらの伝統は失われる危機に瀕している。
しかし「始めるに遅すぎることはない」という諺の通り、あるいは著名なメキシコ人シェフ、パトリシア・キンタナの「メキシコ料理は、往ったり来たりの料理である」という言葉に道理があるとするならば、私たちもフリア・バニュエロスの“少しづつ”と商売を始めたビジネスモデルと同様に、いまから始めることが可能であろう。

スペイン、フランス、中国、北米、ドイツなど異なる料理の伝統・・・・スペインの家畜(食材)、アメリカのバー(酒場)、フランスのケーキ、ドイツのコーヒー栽培、コーヒーにミルクを入れる中国の発想など・・・・をメキシコは採り入れ当地風に変えた後、私たち独自のスウィーツを作り出し、バーを当地風のカンティーナにし、豚のラードをタマル(バナナの葉でトウモロコシ粉などを包んだ蒸し料理)につけた。
もしこれらが、その独自の「メキシコ風味」に到達しているのなら、時の経過や人間の気まぐれに打ち克って幸いにも存続しているこの遺産を、私たちが再び手に入れる可能性が残っていると言えよう。

厳密な意味のグルメ料理として、メキシコ料理は、スペインの征服とともに真正なる「血の結婚」を成し遂げ、その結婚から味覚も風味も、世界の人々からの称賛を勝ち取るに至っている。
スペインは、度々征服された歴史や長い国際貿易の伝統があり、メキシコの土地に、旧世界のみならず地球の隅々から莫大な種類の物資を運び込んだ。
他方、今日メキシコとして知られている広大な地域に領土を広げていたアステカは、征服した土地に固有の道具類の使用や、器具や技術の輸入に慣れており、こうしたすべてが、独自な料理システムを豊かにしていった。

メキシコには多種多様な野生の食用キノコがある。テコマテ、ホトラリッチ、テハマニレスは、メキシコ料理で供されるナナカトゥル(キノコ)とは、また違った種類である。
メキシコ環境省(SEMARNAT)によると、メキシコ32州の内28州において、少なくとも200種が広く分布している。その半分の種は人工栽培ができず、原産地以外では収穫できない。

アステカ人に占有されたトルテカの伝説によると、「今日のメキシコ人は五番目の太陽の息子で、トウモロコシの人間である」という。これは、別の神話では、人が何も食べるものが無くなった時、ケツァルコアトル神が一匹の蟻に変身し、スステナンセ山から急に現れ、トウモロコシ(セントゥリ)を人に与えたと言われている。

このように、メキシコやアメリカ大陸の他の地域においても、トウモロコシは、遊牧民を新しい定住社会に導き、その後何世紀にもわたり、文化の誕生と洗練された文化を生み出す鍵となった。それ故、この文化圏ではこの植物が永遠に神性を持つものとされてきた。人びとはいつの日にかセントゥリ神がこの贈り物を取り返しにくるのでないかとの恐れから、歌い継ぎ、語り継いで崇拝してきたのである。

歴史家により修復されたメンドーサ絵文書によって、スペイン征服以前の人びとの食習慣が明らかになった。「3歳からトルティーリャは日に半分、4〜5歳は丸1枚、6〜12歳は1枚半、13歳からは2枚を食べる。」と。
トルティーリャは、トウモロコシを原料に水と石灰を加え「メタテ」で挽いて作られる。「メタテ」は、今でもメキシコの家庭で広く使われている伝統的な台所用品である。
トルティーリャは、スプーンや皿、ナプキンの代用品にもなり、塩味や甘い味にしたり、直接塩をふりかけたりひき肉をのせたりして、巻いたり二つ折りにして食べる。

トウモロコシ本来の性質を変え異なった風味を引き出すこの食べ方はこの地域でしか見られず、スペイン人がこの新大陸植民地で最初のトウモロコシ製粉機を発明したにもかかわらず、長らく他の大陸に伝播することも、真似されることもなかった。
そしてスペイン人所有の製粉工場が現地の人手を雇い入れるようになり、その後19世紀に全土に広がった有名なトルティーリャ屋に発展していった。
今日、メキシコには約4万軒ものトルティーリャ屋が存在し、何世紀も前に原住民の女性たちが作っていたのと寸分違わないトルティーリャを、洗練された機械で製造し操業をしている。
メキシコ人は、年平均約1千枚のトルティーリャを食べていると言われており、この「トウモロコシ・パン」に対する国民的ひいきは、いつまでたっても変わることはない。

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