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行方不明者、未解決、不思議コミュの未解決?スチュワーデス殺人事件

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【事件概要】

 1959年3月10日、東京杉並区の善福寺川宮下橋で、BOAC社スチュワーデス・T子さん(27歳)が死体となって発見された。
 6月、重要参考人とされた元交際相手のベルギー人神父(当時38歳)が突如帰国し、この事件は迷宮入りとなった。

――――――――

【殺されたスチュワーデス】

 1959年3月10日、東京杉並区の善福寺川宮下橋で、川に女性が仰向けとなって浮いているのを、通りがかったサラリーマンが見つけた。近くにはオーバー、ハイヒール、パラソル、マフラー、ハンドバッグなどが散在しており、所持品から遺体は世田谷区松原に住むBOAC(英国海外航空)スチュワーデス・T子さん(27歳)のものと判明した。遺体に外傷などは見当たらず、検死の結果でも溺死と出たので当初は自殺と見られた。
 
 T子さんは兵庫県芦屋市の出身。両親ともに熱心なクリスチャンだったこともあって、彼女も幼い日に洗礼を受けている。高校卒業後に上京し、聖母女子短大に入学。看護学を学んで、卒業後は芦屋に戻り看護婦として働いていた。その後、親に結婚を反対され、再び上京。中野区の乳児院で働き始めた。
 T子さんは叔父がBOAC東京支社営業部長だったこともあって、58年年12月に同社のスチュワーデス試験に合格。初めて同社に採用された日本女性8人のうちの1人だった。語学に不安のあったT子さんは学校に通い、猛勉強で会話をマスターしようとした。
 その後、ロンドンでの講習があり、2月に帰国したばかりだった。13日には香港線の初フライトが予定されており、彼女が希望に満ち溢れた時だっただけに、自殺の理由は出てこなかった。

 慶應附属病院での司法解剖の結果、少し水を飲んでいたために他殺と判明。死因は窒息死か、首を絞められたことでのショック死とわかり、体内にはAかAB型の精液が検出された。すぐさまT子さんの交友関係が洗われた。

【ある神父の浮上】
 
 捜査員は3万枚の目撃情報を求めるチラシを配ったが、T子さんの8日朝に日曜のミサに行った後、下宿の近くの叔父の家に戻って昼食をとり、「駒込の叔父さんの誕生会に招かれているから」と外出した午後3時以降の足取りがどうしてもつかめなかった。

 その頃、7日午前9時ごろにT子さん宛てに「ドン・ボスコ社」から速達が届き、それを読んだ彼女が一瞬顔色を変えたという下宿先での証言を得た。手紙は発見されなかったが、T子さんの手帳には「ドン・ボスコ社」で会計主任をしているベルギー人の神父B(当時38歳)の名が記されてあった。
 T子さんは航空会社に合格する前に、「聖アデリアホーム乳児院」に住みこみの看護婦として働いており、B神父と顔見知り、しかもスチュワーデス試験に合格する前まで交際していたこともわかった。

※ドン・ボスコ社・・・・カトリックであるサレジオ会の社会事業団体のひとつ。事業内容は出版による布教などで、所在地は下井草サレジオ教会敷地内の杉並区八成町。発行雑誌は「カトリック生活」など。

 B神父は1920年ベルギー・ウェストカークで生まれた。農家の長男だったが、カトリックの司祭を希望し、1948年神学生として来日。サレジオ会に所属し、司祭の資格を得てからは、同会敷地内の学校の英語教師を経て、ドン・ボスコ社に転属し、副社長として会計を担当していた。

【八兵衛とB神父】

 「昭和の名刑事」とうたわれる平塚八兵衛刑事はB神父の専従となるが、捜査は難航した。
 これまで外国の聖職者が殺人事件の重要参考人となったことはなく、ローマ法王庁から派遣された神父を取り調べることは、間違えば国際問題にまで発展する恐れがあった。このため、マスコミにB神父のことを知られてはいけず、慎重な捜査が必要だった。ところが、平塚刑事がP神父について聞き込みを続けている間に、ある新聞社がすっぱ抜いてしまった。

 それでも平塚刑事の聞き込みによって、意外な事実がわかってきた。乳児院の保母らの証言によると、B神父は彼女らに対して抱きつく、下半身を触るといったセクハラを続けていたことがわかった。神父にあるまじき行為に、捜査陣の疑いの目は強まった。

 さらに驚くべき目撃証言が浮上する。
 T子さん失踪3日前の3月5日に、彼女とB神父は原宿竹下通りのホテルで休憩。外人客は珍しかったため、従業員が神父の顔を覚えていた。
 他にも遺体発見現場となった善福寺川付近で10日午前5時ごろ、近くの主婦が走り去る白っぽい小型乗用車を目撃。主婦は警察で車のカタログを見せられ、ルノーの写真を指した。B神父の車もルノーである。
 またT子さんの胃の中には中華料理に混ざった松茸が発見された。松茸は切り方から言って缶詰のもので、この商品を扱う荻窪駅前の酒店のおかみが、B神父によく似た男にその缶詰を売ったと証言した。

 こうしてB神父への疑いはますます濃いものとなっていった。 
 事件当日のB神父には完全なアリバイがありはしたが、教会内部の人間としか会っていないため、いまだ疑わしかった。

 5月11日、警視庁はB神父を重要参考人として任意出頭を求めた。教会側は同月5日の要請には「サレジオ会の施設外では絶対出頭に応じ難き旨申述べて拒否」としていたが、今回はなぜか了承している。こうしてバチカン市国大使館1等書記官、弁護士の立会いのもと、B神父への取り調べが行なわれた。
 B神父はT子さんと原宿のホテルで休憩したことは認めたが、「相談にのっていただけで、何もなかった」と男女の関係を否定した。
 その後、アリバイなどに対して取り調べは続けられたが、キメ手はなくまもなく神父は衰弱を理由に入院した。

【闇の中へ】

 6月10日、羽田国際空港の出国手続きカウンターで、B神父がエールフランス機でベルギーに向かおうとしていた。入国管理局の審査官は警察に連絡したが、B神父には逮捕状も拘引状も出ていないためどうしようもなく、そのまま出国許可はおり、飛行機は飛び立っていった。
 B神父の突然の帰国により、この事件は迷宮入りとなり、1974年3月10日に時効を迎えている。

 松本清張は事件から5ヶ月後、この事件をモデルにした小説「黒い福音」を発表している。内容は神父はスチュワーデスの女性を麻薬の運び屋として使っており、そのことが重荷になったため、ホテルの帰りに殺害したというものである。サレジオ教会は戦後直後には悪い噂もあったため、その説は大変説得力があった。

リンク

≪参考文献≫

アストラ 「あの事件を追いかけて」 大畑太郎 宮崎太郎
一声社 「昭和事件史」 加太こうじ 
季節風書店 「事件の顔 特集・12人の事件記者による謎の大事件の真相」 
現代評論社 「現代の眼 78年8月特大号 全特集・戦後犯罪史−怨恨と欲望の社会病理」
小出書房 「現代実話 八月特大号 特集おんなの犯罪と迷宮入り事件」 
廣済堂出版 「20世紀の迷宮犯罪 真犯人・黒幕は誰だ!」 上村信太郎 
恒文社 「誰が私を殺したの 三大未解決殺人事件の迷宮」 朝倉喬司
社会思想社

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