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行方不明者、未解決、不思議コミュの助けられた命。栃木リンチ殺人事件

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1999年12月、栃木県のある山林で男性の異様な遺体が発見された。
 解剖の結果、絞殺されていた。異様と言ったのは、遺体表皮の約80%強が重度(三度)の火傷で覆われていたことである。さらに陰毛は剃られ、陰茎の先端にまで重度の火傷は及んでいた。肝細胞は一部変質し、あきらかに循環器不全の症状を呈していたという。 調査の結果、被害者は日産自動車栃木工場に勤めていたZさん(当時19歳)であることが判明する。
 彼がリンチを受け殺害されるまでの2ヶ月間に、Zさんの両親は16回も警察に「息子が犯罪に巻き込まれた可能性がある」と訴えていた。
 にも関わらずの、この結果であった。
 被害者にこれほどまでの凄惨なリンチをくわえたのは、被害者少年の中学時代の同級生3人である。
 なお主犯Aの父親は栃木県警所属の警部補であり、このことは長くマスコミからの批判を浴びた。
 黒木昭雄著『栃木リンチ殺人事件』では、主犯A、準主犯B、Cのことをこう書きあらわしている。「A=狡猾な小心者」、「B=甘やかされたお坊ちゃん」、「C=付和雷同タイプ」。なお主犯Aもややエキセントリックな母親と、祖母にべったり甘やかされて育ったようである。
 もともとはB、CともにAに搾取される側であり、背後にヤクザがいることを匂わせるAに逆らえず言うなりに消費者金融で金を借りて渡していたのだ。しかしCが同じ職場で同級生のZさんを「身代わりのいけにえ」に差し出したことで、彼ら3人は一瞬にして共犯者となった。
 ちなみにCがZさんを選んだ理由は、ただ
「まじめそうで、おとなしかったから……」だけだという。
 1999年9月、Cの呼び出しに応じたZさんは「ヤクザの車にぶつけてしまい、修理代を要求された。金を貸してくれ」というCの嘘を信じ、預金をおろして彼に渡した。死後、Zさんの友人が口を揃えて証言したところによると、
「人に頼まれるといやとは言えないお人よし」
「自分よりいつも他人優先し、金にまったく執着のない、虫一匹殺せない男だった」
 そうだ。Zさんは同僚Cの窮状をほうっておけなかったのだろう。
 主犯Aは一目でZさんの資質を見抜き「いいカモ」、「いい金づる」であると判断した。そしてZさんはこれから、2ヶ月半にもわたって彼らに連れまわされることとなるのである。主犯Aは会ったその日のうちに「俺は美容師だ」などと言ってZさんの髪をめちゃくちゃに切り、しまいには3人がかりで剃りあげてしまっている。
 A、BはまずZさんにサラ金めぐりをさせ、それぞれの店で計30万を手に入れた。彼らはその金で風俗へ行き、車で待っていたZさんのもとへ戻ると
「シートに煙草の焼けこげがついた。弁償しろ、50万払え」
「車のドアをぶつけただろう、15万だ」
「俺のサングラスを壊した罪で100万払え」
 などと口々に因縁をつけた。彼らはZさんにサラ金めぐりをさせるだけでなく、Zさんの友達全員から金を借りることをも強要した。もちろん「Zさんが借りる」という名目で、である。彼らはZさんを利用したこの一連の金集めを「ご融資」と呼んでいたという。 足りないぶんはZさんに命じて電話させ、Zさんの両親から振り込ませた。
 なおこうして手に入れた728万3000円もの金を、彼らは2ヶ月半のうちにすべて遊興費で使ってしまっている。主な使途は飲食代、パチンコ、ソープ、ピンクサロン、ブランドものの洋服、北海道への旅費などである。
 9月末、主犯らは無理やりZさんに酒を飲ませ、昏倒させたあと「起こしてやる」と言い、熱湯シャワーを浴びせかけた。Zさんは飛び起き、叫びながら避けようとした。主犯らはこの反応を面白がり、TV番組の企画にちなんで「熱湯コマーシャル」と命名。このリンチ方法をZさんが殺害されるまでに、以後34回も行なった。
 北九州監禁事件の松永が「通電リンチ」を気にいって主に使ったように、リンチの常習者は同じ手口を繰り返し使う傾向にある。もちろんその手法が気にいっているから、使い慣れているからというのもあるだろうが、一番の理由はおそらく
「おい、アレやるぞ」
 の一言で被害者をすくみあがらせることができるからであろう。支配においてもっとも有効なのは暴力よりも、むしろ恐怖だからである。
 10月になってリンチはさらに凄惨さを増す。
 B、Cが噴霧型の殺虫剤に火をつけ、立ちのぼる火炎でZさんをリンチすることを思いついたからだ。逃げるZさんをB、Cは執拗に追いかけまわし、腹や手に火炎を浴びせた。火炎はZさんの性器にも目がけて噴射され、Zさんは身をよじって逃げたが性器先端と太腿に大火傷を負った。その後部屋の隅に追い詰められたZさんは背中一面にこの火炎を何分にもわたって浴びた。
 肉は腫れあがり、皮がべろりと剥け、異臭が漂う。
 そのうえ夜になってAが加わると、この大火傷を負った皮膚へ、3人はさらに熱湯シャワーを浴びせかけているのである。このことについてCは
「泣いて逃げるのが面白くてやった。どうせ火傷するのはZだし、自分が熱いわけじゃないから気にしなかった」
 と述べている。
 11月には従犯D(当時16歳)も加わった。
 治療されることのないZさんのやけどは悪化する一方であり、はちきれんばかりに水疱がふくらみ、じゅくじゅくと黄色い汁を垂れ流していた。彼らはその皮膚めがけて毎日熱湯シャワーを浴びせた。皮膚にこれほど広範囲に重度の火傷を負いながら、Zさんが2ヶ月半生きながらえたのはやはり若く、体力があったからだろう。しかしそれはかえって不幸なことであったかもしれない。事態の深刻さに気付かぬ犯人たちのリンチは面白半分にエスカレートする一方だったからだ。 彼らはZさんを精神的にいじめ、いたぶり、椅子や拳で殴り、それに飽きると全裸にして熱湯を浴びせた。
 なお、この頃銀行の防犯カメラに、顔中にひどい火傷を負ったZさんが、犯人らに取り囲まれながら金をおろしている姿が映る。だが栃木県石橋署の署員はいつものとおり、両親の訴えをまともに取りあわず、
「もしかすると、刑事事件になるかもしれんなあ」
 と電話越しに言っただけだった。
 11月末、数十分にわたってZさんに熱湯を浴びせたのち、AとBはZさんに2人の精液入りのジュースを飲むことを強要する。Zさんはこの命令を受け入れざるを得なかった。また、Dに対する口淫を命じられ、Cの精液を混ぜた小便を飲むことも命じられた。
 これは犯人らが一線を越え、Zさんを「モノ」扱いしはじめるようになった瞬間とも言える。最初のうちZさんは「金づる」であり「いいカモ」だった。それが熱湯攻撃を境に「奴隷」に代わり、いまや性的な使役を強いることもできる「モノ」となった。モノに性別はないからである。
 彼らはその後もZさんに熱湯を浴びせ、消費者金融のCMを真似て歌い踊らせたあと、倒れたZさんを午前3時まで蹴りつづけた。 Zさんの陰毛が剃り落とされたのはその2日後である。Zさんに口淫させ、熱湯を浴びせ、歌い踊らせたあとのことであった。彼らは焼けただれてべろべろに皮の剥がれたZさんを靴べらが折れるまで全身殴打し、睾丸を蹴りあげた。ポットの熱湯がなくなると「また沸かした。朝までやった」という。
 これらのリンチがAがいないときに行なわれると、Aは帰宅後「再現してみろ」と言い、もう一度やらせた。BとCは言われるがままにふたたびZさんに熱湯を浴びせた。Zさんが動けなくなると、頭から浴びせかけた。
 Cいわく「Zの皮膚はぜんぜん治療してなかったから、皮がべろべろで、汁みたいなのが出て、気持ち悪かった」。
 そもそもZさんを身代わりのいけにえとして差し出した、元同級生であり同僚の発言がこれである。
 11月30日、警察の決定的な失態となる電話が鳴る。
 Zさん両親が警察署に訴え出ているときにZさん父の携帯電話が鳴り、それに出た署員が「石橋だ、石橋の警察だ」と不用意に発言。もちろん電話はすぐに切れたが、署員は「あれ、切れちゃったよ」ときょとんとしていたという。
 この電話により警察が動いていることを知った犯人らは、Zさんの殺害を決意する。
 12月2日、犯人らは銀行に振り込まれていたZさんの最後の給与を引き出したのち、山林へ向かう。穴はAの命令でBとCが掘った。その様を見ながらZさんは車中から
「生きたまま埋めるのかな、残酷だな」
 と呟いた。この期に及んでも、AはZさんに消費者金融のCMソングを歌わせてなぶっている。そして、Zさんを車から降ろした。「チャッチャとやってこい」
 犯人らはZさんに服を脱ぐよう命じ、「くせえから服は袋に入れろ」と言った。Zさんの手当てされることのない皮膚はすでに壊死し、全身から膿臭と腐敗臭が漂っていたのである。その後、犯人らはネクタイでZさんを絞殺。掘った穴に入れてセメントを流し、ベニヤ板を敷いて土をかぶせた。
 この夜、犯人らは『追悼花火大会』を行ない、
「15年(時効期間)を逃げきろう!」
 と祝杯をあげた。主犯Aにいたっては、そのあとガールフレンドとともに両親と会食している。

 だが12月4日、従犯Dが自首。彼は早々に少年院送致が決まった。
 事件発覚後、Zさんの訴えを一貫してしりぞけてきた主犯Bの母は、Zさん宅に電話をかけてきて「うちの子が逮捕されちゃったぁ〜」と泣きわめいた。Zさん母は激高し、
「なにが『うちの子が』だ! 生きてるだけましだろう。うちの息子はあんたのその子供に殺されたんじゃないか!」
 と我慢できず怒鳴り返したという。
 なおこのB母は裁判でも「主犯Aは執念深く息子を誘い、息子は逃れきれなかった。でもあの子は熱湯もかけてないし、一緒にいただけです。私たちは息子を信じているし、かわいいんです」などと証言している。
 そして犯人ら3人がZさんから巻きあげた728万3000円について、犯人側は一切の弁済をしていない。Zさん両親が苦労してなんとか全額返済したのである。
 地裁で公判が始まったのは2000年3月のことだが、全国での耳目が集まったのは2000年4月になってからのことだ。
 産経新聞栃木版の記事に目をつけた「フォーカス」記者が追跡し、報道したことによってであった。
 マスコミの攻撃は主に栃木県警と、同じく事件隠蔽に走った日産自動車に向かった。とくに警察に対する糾弾は厳しく、16回にもわたる訴えを無視し続けたこと、「石橋警察だ」と無造作に名乗り、被害者殺害のきっかけを作ったというのに何ら恥じることないその姿勢は連日批判された。 そして主犯Aの父親が栃木県警に所属する警部補であることも、もちろん注目された。
 以下の石橋署副署長の言葉は、当時何度も引用されたものである。
「お父さんお母さん。あなたがZくんをかわいいと思うように、お巡りさんも自分の子供はかわいいんですよ」。
 その他、地元警察は「石橋警察だ」と名乗った署員が、Zさんの母が電話に向かって「うちに金はない、おまえみたいな馬鹿は死んじまえ、デレスケ野郎」などと罵倒したため電話が切れたのだ、と稚拙な虚偽証言をし、一審判決後までそれを撤回しないという無様な対応ぶりをも見せている。
 2001年、AならびにB、無期懲役が確定。Cは5〜10年の不定期刑となった。
 公判中、Aはあくびをし、証言台においては涙も流さず大声で泣き真似をした上、「彼女と一緒に、Zくんの分まで頑張って生きたいです」などと発言した
なお2002年、栃木県警を相手取った訴訟の判決を見ることなく、Zさん母は脳出血で亡くなった。
 2007年、高裁は「警察の怠慢とZさんの死に因果関係は認めない」として一審判決を変更し、わずか県に1100万円の支払いを命じただけにとどめた。

コメント(3)

拉致、暴行に関わった連中は全員死刑にすべき

石橋署員、栃木県警も当事者や幹部は責任取って辞表出すべき

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