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日本の名レース100選コミュのvol.21 '85 WECジャパン

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名峰富士の麓は気まぐれなお天気に翻弄されていた。
豪雨と濃霧
遠来の強豪達はフォーメイションラップでレースから撤退していまう
冷たい雨に曝されながら、ただ状況を見守るだけの8万人にのぼる観客達
だがこの日、日本一速い男が世界一華麗なドライビングを披露してくれた
選手権常連のヨーロッパ勢のいなくなった
変則的な世界選手権の一戦となってしまったとはいえ
日本人初の世界選手権優勝者が誕生した事には間違いは無かった
それはまた、グループCの闘いのフィールドに於いて
宿敵ポルシェに負け続けたニッサンが
初めて一矢を報いた瞬間でもあった
そしてニッサンは“ルマン”という世界の扉を開く事になる・・・

コメント(8)

確かポルシェワークスは立て続けにドライバーが事故死して
安全性をとても重視してボイコットしたんですよね!?

ベロフとかもセナに匹敵したかもしれないドライバーだった模様で。
>かげさん

あのレース、余りにもヘビーウエットだった為
外国勢はそれに対応したタイヤを持ち合わせていなかった・・・
と言うのがまず第一です。

ただあの年、M・ウィンケルホック(クレマー)やS・ベロフ(ブルン)らの死亡事故や
J・パーマー(R・ロイド)の大怪我等々の問題があった事も
ひとつの要因に為っていたかも知れませんね。

ベロフは、もし生きていたらセナを越える逸材だったかも知れませんね?
この本を買いましたが
TOMS・トヨタの、
中嶋さんと関谷さんが若い!
トヨタ84CがRAYSカラーで
小河等さんのドライブで出場
していたというのも知りませんでした。
またあきらかに85C-Lっぽいマシンが
35番車として出てるのも・・・。
この頃のトヨタのマシンは
今どこにものこってないんだろうなあ・・。
>ある(さまんさ。)さん

あの当時、小河選手はRAYSのサポートで
F2にも参戦していました。
但し、型落ちのマーチでしたが・・・

慢性的な資金難に喘ぎながら
その後才能を開花させ、日本のA・プロストと言われるまでになりました。
惜しむらくはあの事故さえなければ・・・でしたが。

初期のトヨタのCカーは、殆ど現存していないと言うのが現状のようです。
STPカラーの、87か88が残ってますよ
去年、富士でデモランしてるの見ましたよ

トムスのミノルタカラーのには、ガレージ内ですけど
乗せてくれましたww
>アバルトさん

87C、88Cってあれだけ作られたのに
その大半が現存しないというのも解せない話しですよね?
当時、新開発の3S-GTのテスト用に、
85C-LがTRDに譲渡されたあとは
どうなったんだろうなあ・・。
ルマンで12位に入ったマシンなのにもったいない。
TOMSは当時、金かかるCカー
作ってて、財政難だったのかなあ。

だから売却されて
86CにDFZ積んだモデルがあったもんなあ・・。
>>ある(さまんさ。)さん

意外とある所にはあるのかも知れませんね?
表ざたに為っていないだけで。

この手の車輌は結構後処理が面倒のようですから
所有権やら色々と。。。

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