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東京あるきテクトコミュの3/11浦和編

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快晴に恵まれた3月11日、浦和の街歩きに行って参りました。

JR中浦和駅を出発地点に、先ずは別所沼公園内にある、ヒヤシンスハウスを訪れました。

ヒヤシンスハウスは、詩人・建築家 立原道造が1937(昭和12)年冬から翌年春にかけて、別所沼の畔に、自らのために建てようと夢見た小さな週末住宅を、2004年に再現した物です。

5坪ほどの小さな、なんとも愛らしい建物で、小屋の前には別所沼の風景が広がっています。

ヒヤシンスハウスの詳細
http://www.tachihara.jp/info2-8/index_1.html


 

コメント(20)

西日のあたるベットサイドの窓。
立原道造が建てたかったのは沼の対面、東側だったので、この窓からは別所沼が見える筈でした。
当時のインテリアを再現した室内。
窓の鍵はネジ式、雨戸は木製です。
窓と揃いのドアノブ。
雨戸を閉めると十字の切り込みが、窓格子と重なる様になっています。
別所沼公園には、珍しい樹木が植えられています。
メタセコイアという針葉樹で、日本では化石として発見された樹木でしたが、中国から挿し木と種子を譲り受け、植えられています。

針葉樹でありながら冬には落葉してしまうので、今はこんな棒の様な姿に。根は板状になっています。

同様に落葉する針葉樹、ラクウショウなども多く植えられています。
今度は是非、緑豊かな時期に訪れてみたいですね。

メタセコイア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BF%E3%82%BB%E3%82%B3%E3%82%A4%E3%82%A2

別所沼公園
http://urawa.cool.ne.jp/yamachan/index.html
別所沼の周辺の住宅街は、かつて田畑の広がる地域でした。
その為、家々の間の道は細く、車で通るのは非常に困難です。

現在の住宅街の中に、農耕馬の供養塔があるのも当時の面影のひとつ。
昭和18年と記されていました。

生け垣と純日本家屋が残る街並。
その訳には、生け垣の補助が出されているからだそうです。
雨樋に雲型のデザインを施した門のあるお宅。
洋間の可愛らしいお宅など、小さな発見が楽しめます。
埼玉会館、 前川國男氏1966年の作品です。
後期の打ち込みタイルなどの特徴がみられます。

前川國男氏参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E5%B7%9D%E5%9C%8B%E7%94%B7
外壁壁面に打ち込みタイルの穴が見られます。
床タイルの模様。
正面入口を入ると、階段を降りるごとにホールが広がっています。
木の幹の様に梁を延ばした柱。柱と柱を結ぶ緩いアーチ型描いています。
下側から照らすライトが効果的。

正面には中庭が見える大きな窓が広がっています。
曾てここには鳳翔閣(ほうしょうかく)が建てられていました。
鳳翔閣は埼玉のサッカー発祥の、旧埼玉師範学校校舎です。
浦和レッズのエンブレムに、その姿が描かれています。

その後、北側に移設されて県立図書館として使用されましたが、昭和34年に図書館改築のため解体され、解体材の一部を浦和市が譲り受け、昭和47年、浦和市立郷土博物館 (現・さいたま市立浦和博物館) に利用されています。

浦和レッズのエンブレム、鳳翔閣

浦和レッズホームページ http://www.urawa-reds.co.jp/ より
プロフィール欄・クラブプロフィル参照
埼玉会館は、エントランスホールがいいですね。何か人が近づけるような仕掛けが必要な気がしましたが。
6番は住宅街ですが、中仙道裏のうなぎや、割烹、住宅街、これらも未発掘と言った感じで、特に和洋併設のお宅が少なからず纏まって残っていたのは何か訳がありそうで、今後の関心処のひとつでしょう。
中仙道に面した鰻屋さん、表側はこじんまりした佇まいでしたが、裏に廻ると渡り廊下がある離れがあり、全く別の顔を持っていたのにはびっくりしました。
通りを隔てた割烹料亭には、蔵作りの棟と洋館作りの棟があり、それぞれ食事処として活用されていました。
浦和に鰻屋が多いのは、別所沼付近は水が綺麗だったため、鰻が多く捕れたからだとか。
確かに浦和の水は美味しいですよ。(以外かも知れませんが本当です)

南浦和には、大きなお屋敷がそのまま鰻屋さんになっている所があります。私道を持つ程のお屋敷です。

一見の価値ありです。
http://www.unagi.org/meiten/5.htm

コースは高いですが、うな重くらいなら…
この日最後に訪れたのが、調神社(つきじんじゃ)でした。

到着すると、狛犬ならぬ”狛兎”が出迎えてくれました。
この神社は、至る所に兎がいます。
”つき”と云う響きが月と繋がり、月信仰に結びついたそうです。
月信仰の神社のため、月の使いとして兎が祭られている様です。

石灯籠には、三日月が描かれています。

調神社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%BF%E7%A5%9E%E7%A4%BE#.E6.AD.B4.E5.8F.B2
中山道付近で見かけた気になる建物をupして、浦和編のレポートを終わりにしたいと思います。
ビール姫さん、ご紹介有難うございました。
実は、他件で昨日も浦和に足を運びました。よく調べてみると、中仙道沿いの一角には「浦和ふるさと館」というのがあって、地域の方々がボランティアで郷土史を紹介したり、絵葉書を販売したりと地域紹介に大活躍でした。ユザワヤの並び、かつての東京ガスの営業所があった場所にあります。

ここの方々に、「浦和で2時間あったら、どこを見たらいいでしょう?」とお決まりの質問を投げかけたところ、やはりジャンボウサギで知られる調神社を真っ先に挙げられ、つづいて上には出てきませんでしたが、玉蔵院、幾つかの石碑などを挙げておられました。

この調神社では、毎年12月12日にお祭りを開きますが、これは浦和市民であれば知らない人は居ないほど盛大な催しです。今度は、この時期に訪れたいものです。

もう一つ。「焼き米」、こんなお菓子を帰りがけに頂きました。中仙道をまっすぐ行き、武蔵野線のガード下辺りが、かつては焼き米坂という茶屋がある場所で、ここで焼き米が供されたとか。浦和の古いルーツの一つです。
今頃になってですが、当日参加できなかったので、このレポをもとに散歩してきました。
が調神社によるのを忘れてしまいました。

埼玉会館のちかくに、鈴木写真館という素敵な建物がありました。
と、ちょっと気になる路地を入っていったら、背の高い高いマンションの間に蔵がひっそりとありました。

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