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江戸川乱歩異人館(山口譲司篇)コミュの『蟲』は、究極の愛情表現なのだろうか

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昨日、久しぶりに神田神保町に足を運び
古書を閲覧してきました。
乱歩先生のいくつか見ましたがとりあえず。一冊気になる雑誌がありましたのでそれを購入。
それだけでは、あきたらず今回。
『蟲』について書いてみました。

江戸川乱歩の小説のベーシックな幾つかの魅力を踏まえたうえで、“究極の恋愛物語”としての側面を伺わせる作品『蟲』を今回の漫画化で、むかし見た。
浅野版映画『乱歩地獄』の『蟲』観賞終わった時の感想。ただただ、「ヤられたぁ」と同じ思いにかられました。
ストーリーは、
あこがれの女優を完全に手に入れ ようとする男の壮絶な一方通行の恋の御話し。
なのですが、乱歩 作品には『白昼夢』、『蜘蛛男』『地獄風景』、『人でなしの恋』など、死体愛若しくは人形愛と密接に結びついたテーマがかいまみえます。
「愛する対象を死に至らしめ、人形とし、我がものとするものとすることで、意志を失ったその白い肉体は、その肉体を思うがままに弄び、まさに永遠にその対象を我がものとすることが出来るのである・・・・」
男は、そう確信するも究極の愛情表現は、歪んだ愛情であり。
全面的に所有権を手に入れたと考えるのは錯覚でしか無く。
「死してなお、その肉体は抵抗を止めよ うとはしない。無数の蟲をその硬直した肉体に這わせ、略奪された所有権から逃れるかのごとく肉体を腐 敗させて行く・・・・」
哀れ、現代でいう『ストーカー』と一言で片づけるのは、ごく簡単なことですが。
「究極の愛情」、「歪んだ愛情」を乱歩先生は、飽くまで量的な違いでしかなく、質的な違いではないものあえて、
死体愛を純粋な愛情の凝縮されたものと考えることは出来ないだろうかと思い描き。
『独自の世界観』この場合『文章世界観』のなかでしょうか、『愛情』を問いかけているのではないのでしょうか。
そういった意味で、この作品は 美しい輝きを放っていやもしれません。

次に劇中を読んでも男の心理、病理などが描けれてますが、
小説に限らず、すべての芸術の創作において は、病的な精神と健全な精神とを併せ持つことが求められるのではないだろうか、
この二面性を背反することで、極地点を何度も往復しながも。結果的に完全なる病者には、優れた芸術作品は生み出せない。
劇中でもそれを表現しています。
殺して、狂い、 死ぬまでの過程の描き方は、そうそう真似できるものではないだろう。良く発禁すれすれの内容 だですし。さすがに都条令に引っ掛かると思いますが、コミックス新刊を楽しみにしています。

多少横路に反れましたが、最後に
この「蟲」で描いた世界観は、究極の愛情、歪んだ愛情 とかいう観点だけでなく。
死体が腐敗してゆく 過程と、男が狂ってゆく過程を同時進行で 表出したことで、この世界観に飲み込まれ。
そして、死体の変化の描写にではなく、男が狂ってゆく様を生き生きと(?)、作者の譲司先生が主人公になりきっっているかの ように、描き切ったところに鬼気迫るものを感じました。
人は実際に こういふうに狂ってしまうのではないか・・・・そう、信じさせてしまう 説得力があり、乱歩先生の『蟲』しかり譲司先生自身も、猟奇を構想しつついらしていることでしよう。
ラストは、この文章を絵描かれてましたが、圧巻です!!
「柾木愛造は露出した芙蓉の腹わたの中へ、う つぶしに顔を突っ込んで死んでいたが、恐ろし いことには、彼の醜くゆがんだ、断末魔の指先 が、恋人の脇腹の腐肉に、執念深く喰い入って いたのである」というラストは、この作品で『江戸川乱歩異人館』は怪奇幻想小説は違った表現により、幻想的な美しさよりも、人間の猟奇を描き出してくれると思い。
次回作を楽しみにしています。

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