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創価学会無間地獄コミュの日蓮正宗の功徳(父が創価学会に入会後、焼身自殺した悲しみを乗り越えて)

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「妙観講支部・体験発表」

私は生まれつきの喘息で、幼い頃から、救急車で運ばれたり、気絶するほどの発作に襲われてきました。

私が小学2年の時、大好きだった祖母が亡くなり、その直後に両親が離婚。私達兄弟3人は父に引き取られ、私の心は歪んでいきました。

私は小学4年の時に万引きで補導されたのを皮切りに、中学に入るとシンナーを覚えて、最初は鑑別所に、次には少年院に入れられてしまいました。

更生しようと思ったこともありましたが、誘惑から逃がれることができず、シンナーに加えてケンカ、窃盗と、悪事を重ねた挙げ句、とうとうヤクザの世界に足を踏み入れました。

さらに、義兄から勧められて覚醒剤を覚え、たちまちのめり込んでしまいました。

私の場合、覚醒剤を打つと、他の人よりも激しい幻覚・幻聴に襲われ、周りの人が皆、敵であるような錯覚に陥ってしまいます。

そのため、覚醒剤による幻聴や幻覚に惑わされては、たびたび刃物で人を脅したり、自分の手首や首を切るようになりました。

こうして、覚醒剤使用・窃盗・暴行・公務執行妨害と、ありとあらゆる犯罪に手を染めた私は、20代のほとんどを刑務所で過ごす結果となってしまったのです。

刑務所を出たり入ったりを繰り返す中で、交際していた彼女とも別れてしまいました。

そして33歳で5回目の刑務所生活をしていた時、班長と出会ったのです。

同じ部屋にいた班長は、刑務所の中で信心をするようになり、毎日、壁に向かって、一人で勤行をしていました。

その姿を見て「偉い奴だなあ」と思ったのですが、班長から信心を勧められた時には、素直に話を聞く事ができず「自分は絶対に信心しない」と言い張りました。

その頃、父が焼身自殺してしまったのです。

父は、私の服役中に再婚したそうですが、相手が「創価学会員」だったことから、自分も「創価学会」に入ってしまい、その後、精神病になって、再婚相手と子供をおいて、焼身自殺してしまったのです。

私はこのことを出所してから知ったのですが、私達兄弟3人を育ててくれた父の悲惨な死は、本当に辛い出来事でした。

出所後、私は、母の勧めもあって和歌山に住むことにしたのですが、和歌山に向かう途中、以前、班長からもらった手紙に「和歌山にいる」と書かれてあった事を思い出し、懐かしくなって連絡を取り、さっそく会う事になりました。

久しぶりに会った班長は、日蓮正宗の信仰を続けていて、真面目に働き、結婚もして、間もなく子供も生まれるということでした。
見るからに立派になり、幸せな生活を送っていることが、はた目にもわかりました。

そして班長は、信心によって、いろいろな問題を解決してきた体験を話してくれ「邪教では絶対に幸せになれないし、成仏も叶わない。お父さんの追善供養も、日蓮正宗の正しい仏法でなければ成仏させてあげることはできない」と熱心に説得してくれたのです。

その話に後押しされ、私は、日蓮正宗に入信することにしました。
しかし、入信はしたものの、元来、怠け者だった私は、勤行も講中の会合も怠けていました。
もちろん「折伏など絶対にしたくない」と思っていました。

そんな私に手を焼きながらも、班長は一緒に勤行をしてくれ「僕も折伏が得意なわけではないけど、折伏をしないと幸せになれないんや。だから折伏をしているんや」と一生懸命に話してくれました。

そうした班長のねばり強い育成のおかげで、私も信心を続けることができ、入信3ヶ月が過ぎて、自宅に御本尊様をお迎えすることができました。
すると、幼少期からずっと苦しんできた喘息の発作が、勤行をするようになってから、いつの間にか、全く起きなくなっていることに気がついたのです。

御本尊様の御力を確信した私は、それ以来、欠かさず朝夕の勤行に励むようになりました。

また、その頃の私は、覚醒剤の誘惑と常に闘い続けていました。
せっかく真面目に生きようと決めたのに、再び覚醒剤を打ったりしたら、元の木阿弥(もくあみ)です。
しかし、覚醒剤は一度覚えてしまうと、生半可なことでは断ち切ることができません。
もう、どうでもよくなって、負けてしまいそうになることも度々でした。

ところが、御本尊様に向かって勤行をしていると「絶対に誘惑には負けられない。もう二度と薬に手を出してはならない」という強い気持ちが起きてくるのです。

この実感がハッキリと掴めたことから、私は「覚醒剤の誘惑をはねのけるためには、毎日、絶対に勤行を怠けてはいけないのだ」と思いました。
朝寝坊をして勤行できないまま出勤した時は、朝礼を終えて現場に向かう車の中で、同僚が見ていても「俺、勤行するから」と言って勤行しました。

その結果、多くの人が止めることができずにいる覚醒剤を、完全に断ち切ることができたのです。

また、折伏は勤行以上に苦手でしたが、月2回行なわれる本部講習会に参加していく中で、折伏の大切さがわかり、自然に実践できるようになっていきました。

折伏した知人が初めて入信できた時の感激は忘れられません。
それからは「もっと折伏していこう!」・「とにかく、できることは何でもやろう!」と、公明党のポスターを見つけては、バイクで『慧妙』を配布し、電話帳で学会員を探しては折伏していきました。

こうして折伏を進める中で、さらに御本尊様から、たくさんの功徳をいただいたのです。

まず、我が家の墓を、2年目にして建てることができました。
日々の勤行はもちろん、お盆やお彼岸でお塔婆を立てて、父の追善供養をし、さらに日蓮正宗のお題目を刻んだお墓を建立することができ、少しは親孝行ができたのではないかと思います。

また、和歌山に来た当時は、ゴミ収集のアルバイトをしていましたが、市役所のゴミ収集車の運転手の仕事を紹介され、収入も格段に増えました。

さらに、私が刑務所に入ったことで別れてしまった彼女から突然電話があり、折伏すると、素直に聞いてくれて入信し、結婚を前提に再び付き合うようになりました。

しかし、彼女の両親は、以前のひどい私を知っているため「絶対に結婚は許さない」と猛烈に反対されました。親御さんとしては当然のことです。

これはもう御本尊様に助けていただくしかないと思い、2人で勤行唱題に励み、折伏に回りました。
仕事場の人や、以前の刑務所仲間にも連絡をとって折伏していきました。

かつて、木刀を振り回して脅迫してきた私から「真面目に信心していったら幸せになれるから」という話をされた昔の友人達は、皆、度肝を抜かして驚き「自分も幸せになりたい」といって入信する人達も出てきました。

こうして折伏を続けていったところ、突如として彼女の両親が、私が更正したことを認めてくれ、結婚を承諾してくれたのです。そして、無事、彼女と結婚することができました。
その後、マイホームも手に入れ、刑務所を出てから3年半で、夢のような人生に大転換しました。

また、姉夫婦と姪・甥をはじめ、12名の人達を入信に導くことができました。
甥は一生懸命、折伏に励んでいったところ、悩んでいた斜視が治るという功徳をいただきました。

入信前は、人が泣こうが、苦しもうが、自分さえ良ければどうでもいいと思っていた私が、人の幸せを願って折伏に励むようになろうとは、考えてもみませんでした。

御本尊様に巡り合えた有り難さを心から噛みしめ「生きていて良かった!」と思う毎日です。
この大功徳に報いていけるよう、これからも、さらに、さらに、頑張ってまいります。

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