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フェミニズムコミュの第三の審級(さにわ)とは何か?

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http://homepage3.nifty.com/BC/C5_1.htmより、

「シェイクスピアの作品においては、内部の感情と制度的表現の対立を基本形とするさまざまの対立が織り込まれているが、それらの対立の彼方にあってそれらを無化する第三の審級の存在が絶えず予感されている。Great Natureはその審級を表す一つの言葉である。それはまた、神、宇宙の秩序、運命などとも呼ばれている。しかし中世の人々のように制度にからめとられてしまって素朴に神や宇宙の秩序を口にすることは、近代のさきがけであるシェイクスピアにとっては不可能であった。内部の感情や自己への誠実が、彼にそのことを許さなかった。」(序文より)

以上、参考に、フェミニズムに(このコミュに?w)おける第三の審級とはどのようなものがありうるかのアイディアを語ってみるトピです。

ここでは、背理として、ではなにが第三の審級ではありえないか、という問いもしていきたいと思います。

#基本的に皆さんの「合意」を見出していく討論の場にしていきたいと思います。ゆっくりと話しあいましょう。

コメント(3)

うぁぁ〜、いきなりでかい話でんなぁ(笑)。

>内部の感情や自己への誠実
フェミニズムのいろいろな理論家たちから「主観性(subjectivity)」の重要性が主張されていることと、このシェークスピア評価と関連性が見えるように思いました。出来事に対する感情的・生理的なリアクションには、多かれ少なかれ「感情・生理をどういう形で処理すべき」という制度的な規制も伴います。道徳観念に基づいて「このリアクションは表出してはいけない」と自己規制する場合もあるし、賞賛や禁止といった人からの反応として現れることもある。自分の内部や外での、さまざまな反応のあり方を観察することで、自己という存在を位置づける制度のメカニズムを知ることができると思います。

でもこのような議論を導き出すためには、感情・生理といったものが、制度化される「以前」のものであるという前提が必要ですね。

懲罰制度や文化のいろいろな装置によって、感情や生理的感覚はすべて制度の一部として機能するためにコントロールされているのでしょうか?それとも制度にコントロールされつつも、制度にとっては「誤算」として残される割れ目やゆらぎのなかに、それぞれの人の「内部の感情や自己」は残されているのでしょうか?

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