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封神研究コミュの地名空想3

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役小角(えんのおづぬ)と加茂氏について

この人は修験道の開祖で、日本の様々な山に登り、
霊山認定した人。

道教、密教、仙道、古来の龍神<>山岳信仰を呪術的にミックスして
独自の信仰を生み出した。

これは、この人が必死にお勉強して身につけたものではなく、出自から
もたらされる素養と、山での経験修行が生み出したものなんだと思う。
空中飛行や、テレポーテーション、鬼の使役など
ぶっとんだ伝説が多いが、つくづく興味の尽きない人だ。

因みに、安部清明とか芦屋道満とかも同じ加茂氏出身。

加茂氏は、数学や天文学に基づく当時の科学、今で言う
魔術を得意とする一族ともいえる。

さて、何故加茂氏はこのような大陸の文化をミックスした
呪術体系を持ちえたか。

それは、彼らが渡来人の末裔だからだ。
渡来人は、大陸の隣端から来たわけではない。
天文学はエジプトや、シュメールを端に、そして
ユダヤ人達が作りあげたカバラを核とする
魔術的数学体系が、シルクロードを通り、
それぞれ、土地の信仰に紛れる形で混ざり、変形しながら
大陸を横切り東征し、移動する民、に運ばれた。
なぜ、移動する民は、移動したのか。

それは宗教のためだ。
信仰といったほうがいいかな。

何世代もかけて、歩いて、あるいは馬で安住の地を探す移動開拓一族の
途方もない事業は、見えない力(予言)を信じていなければ
成し得なかったろう。
ユダヤの氏族が移動、製鉄された鉄器などの武力を背後に
大陸にやってきて、平定、秦王国を作る。

そのうち、長城建設に伴う国の統制的圧迫から逃れ
日本に入ってきた一群が秦氏だ。

解りやすい文章をネットで見つけたので
以下にペーストします。

秦となのる一族はBC240年ごろの応神天皇在位のころ
何処からともなく日本に10万人規模で渡来したといわれています。
何処からともなくというのは海渡来説もあれば
半島経由で移動してきたともいわれるからで、
10万人規模ですから夜逃げなどというようなものではないでしょう。
流民・難民ではなくこれは侵略ですらありうる話ではないでしょうか。
鎌倉時代の蒙古襲来のときを参考にすると一艘に200人乗せて
14万の大軍が攻めてきた軍船は、4000艘であったと
いわれていますから、それに近い数であったことでしょう。
4000艘の船団には日本国中が大騒ぎになったのにちがいありません。

秦の始皇帝の滅亡はBC200年ごろですから、
始皇帝死亡1年前に徐福が3000艘の船を率いて日本に向かったという話と符号します。
石の鏃や石の槍しかない日本列島先住民にとっては4000艘の大軍団は肝を潰す大事件であったはずです。
戦国時代を得て戦争もプロとなっていた、
徐福軍団に手向かいする部族などいなかったにちがいありません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この文章はこのあと、秦と神武天皇を同一視したりして
あれれなのですが。
これもあくまで数ある一説のうちひとつ。

しかし、秦氏とユダヤ民族の関係は、学問の世界でも
事実である可能性を踏まえて調べられている。

加茂氏の祖神は、鴨建津之身命(かものたけつのみのみこと。
舌噛み注意)という國ツ神で、この人は神武天皇を導いた八咫烏であると
言われている。
この人たちの拠点は京都太秦(ウズマサ)(また秦。)で、
秦(ハタ)一族の本拠地でもある。

コメント(2)

こんにちは。興味あるコミュだったので参加させていただきました。小角のことを調べていますが、地元の蔵王にもさまざまな痕跡がのこされています。蔵王権現をまつっている個人宅があったり、山頂に像があったりします。山形は修験道が盛んな土地柄ゆえ、小角とのかかわりが深いようです。出羽三山とのつながりも濃いですね。これからも調査していくつもりです。
HDマン さん

参加ありがとうございます。
出羽三山もヤタガラスが絡んできますよね。
吉野より、ストイックな感じがします。

湯殿の温泉入ってみたいです。
調査報告楽しみにしております!

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