ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

西郷隆盛の肖像写真を検証するコミュの宇高随生の検証から

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
下記の文は宇高随生が昭和59年3月1日発行の「歴史への招待29」に表題「西郷隆盛の真影」として寄せたものを一部抜粋します。無許可のためこのトピックは消すことになるかもしれません。
クレームがくるまではそのままです。

「これを見ると、中央に島津図書(ずしょ)、珍彦(うずひこ)兄弟がおり、その右に大兵の武士が椅子に掛けている。
実はこれが後にも先にも西郷の残した唯一の写真であると、いうことになっている。もちろんこれは、明治以来論争の中心となっている問題の写真であるが、これは東京浅草の大太地に明治二年(1869)2月開館した内田九一の撮影によるものであって、時あたかも御東征大総督宮有栖川タル仁親王東京滞在中のことである。

江戸の銘菓司金沢丹後の明治二年己巳の日記によると島津兄弟は岩城少輔と称して金沢宅に潜伏し、天下の成り行きをうかがっていた事実が記されている。また写真右端は大久保市蔵、左端は伊藤俊輔と称され、明治二年五月二日付け「中外新聞」は
「薩州公並ニ大久保五代伊藤吉井等東京来着ノ由」
と報じ、大久保、伊藤ニ名の東京在留が立証され、最後に図中後方左端の若侍は有栖川宮附小姓小野熊三郎であることも判明している。以上このように群像写真六名の、東京在留の事実が論証されている。

これに関連して同写真館で撮られた有栖川宮御東衛当時の装束姿の写真がある。
西郷はもちろん総督府参謀として常に側近にあり、たまたま供奉の武士たちと扈従して写真館に立ち寄り、計らずも生涯一度の姿を残したのではなかろうか。
なお有栖川宮写真と関連性が考えられることは、六人中身分違いの宮附小姓小野熊三郎が同席していることである。
以上の理由によって、宮写真と群像写真との連鎖関係が推測される。」

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

西郷隆盛の肖像写真を検証する 更新情報

西郷隆盛の肖像写真を検証するのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング