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清水欣也コミュのゴキブリ狩りは愛ではない

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生前、清水欣也氏は頻繁に
「部屋でゴキブリに遭遇した話」を私にしました。

今思えばそれは当然です。
 
私は「ゴキブリが嫌いなんだぁーー。嫌いといったら嫌いなんだー。」
という自分側の意思だけしか見ず、
“ゴキブリの側に立つ”ということ一切しない
人間だったからです。

以下、某MLに清水欣也氏が投稿された文章です。

---------------------------
あらたけやえこ様
清水欣也です


まず、狩られる側に立ってみてください。

いま、カラレル⇒刈られる、の変換になりました。
駆られる、も、借られる、もみんな「られる」側は迷惑。
中でも「狩られる」は、ほぼ命なくして、コマギレにされて、
焼かれて、食われて、皮をはがれて、靴にされて、
刈られる、だって、胎児をちぎりとられて、卵を抜き取られて、
殻をこすりとられて、釜茹でにされて、食われて、糞にされて、
下水に流される。

ぼくは嫌だ、どの「られる」も「れる」も。
皮はがれたくない、釜茹でにされたくない、靴にされたくない。
自分の嫌なことヨソサマに押し付けるのは、よほ
ど止むに止まれぬときだけ、ごめんね、悪いね、
許してね、すみませんね、で初めて、
米粒の籾殻を剥ぎ取るべきではないのでしょうか。
「・・・べきなのです、断じて!」
むろん、ぼくも、オウチャク構えて、ほとんど挨
拶抜きで、牛の皮引き裂いて袋状にした物を足に
突っ込んで、地べたに降り立っています。失礼なハナシです、まったく。

その他、日常身辺は死屍累々。
金属鉱物製品、石油加工製品などを集めるのは、
ふつう収集と言いますか゛、これを「狩る」と
言ってもいたようなので、この場合だってついで
に言えば、金属鉱物、石油石炭なども、すべても
とあった場所に返すべきです、本来は。

狩り=ドロボウ、強盗、追いはぎ、窃盗、強奪、殺戮、
死体陵辱、遺体毀損、傷害、万引き、詐欺。

どれもこれも、卑しい行為だと思いませんか?
しかも、いずれもおおむね、強者が弱者を、無抵
抗の、それこそ無辜の万物を、手当たり次第、や
りたいほうだい、ときには遊び半分で、首をちょ
んぎったり、足で踏み潰したり、毒液吹き付けたり、、、、
これを卑劣、下劣と言わなくて、何と言えばいいのですか?

ゴキブリ嫌いです。でも、ある夜、暗いDKに
入って明りをつけたら、
テーブルの上に小さい子どものゴキが一匹いた。
二三歩近づいたら、ちびゴキくん、迫ってくる巨
大怪物(=私)に気づいた、大慌て、ど、どう
しょう、しばらくテーブルの中央で右往左往、
やっとのことで逃げる方向見定めて、無事逃げ延
びていきました。
あれ以来、ゴキブリ狩り、出来ません。


《笑顔》と『ファイト・クラブ』・・・、の《笑
顔》は、通常《愛》とか言われているものです
よ、それをドロボウ、強盗、追いはぎ、窃盗、強
奪、殺戮、死体陵辱、遺体毀損、傷害、万引き、
詐欺などの対象物に据えるのは、冗談としてもほ
とんど不成立。なぜなら卑語としても程度が悪す
ぎるから。こう言ってみたまでのことでした。

コメント(1)

私は最近わかったのですが、
「られる」側に立つにはまず、

“自分と自分以外の他人、もの、生物は違うものなのだ”

ということを芯から理解することが
先決なのだということに気がつきました。

以下、とあるコミュにて
ごく最近私が書いた文章です。

```````````````````````
こんにちは。
私はトピが有意義か有意義じゃないかは
個々で感じればいいことだと思ってます、
てことをふまえまして…
「常識」「非常識」という考えについて
私の感じたことを少し書かせてください。

【常識とはそれを盲目的に受け入れる者同士にとってのみ常識となる】

↑これ、うちの夫の受け売りです。
でも私も深く同意してます。

人によって考えている「常識」「非常識」
というのは違います。
考えようによっては
それが人と人との差でもあるわけで。

「常識」って個人個人の
「物事こうであってほしい」
という願望が根にあって、しかし
「別に物事こうであってほしいとは全然思わない」
人にとっては「常識」でもなんでもなくて
思えないのに「こう思うべきだ!」と
強要して出来るモノでもない気がするし。

ちなみに私は
「立つ事に何も問題ない人なのに席を譲らない人」は
そういう個性なんだと今は考えるようにしてます。
しかたがないかな、と。
(というか、確かに問題があるかどうかは
 見かけでは決してわからないので
 後から「実は問題がなかった」とわかった場合は
 そう思うだろうな、ということです。)

人の成長はあくまでも当の本人が思い立って行動するもので
他人である私がどうこういうことではない、と私自身は考えてます。

「他人の行動は自分の思い通りにはできない」

ということを芯から感じて理解することも
私は自己の成長のひとつと考えてます。
(あくまでもワタシの考えです)

なぜなら、これを芯から理解してはじめて
自分と他人は違う人間なんだ、
本当に色々な人間がいるんだ、という
自分以外の他人に対しての想像力に
繋がる気がするからです。

他人からどうこう言われて、ではなく
自力の想像力で「色々な人がいるんだ」と
深く理解出来たときはじめて

「わたしも少しは成長したな、うんうん」

と思える人間なのかもしれません。私って。

私は他人の成長を文章や言葉のみで促すよりも
自分自身が成長していく方が実はとても難しいしキツイ事だと
感じていたりします。

他人の行動をあれこれどーのこーのというのは
ある意味とても簡単ですからね(笑)。

子供ってそれらの事を私に身をもって
教えてくれているような気がします。
本当にありがたい存在です。

ちなみにこれはあくまでも私自身の考えです。
個々によって色んな成長があると思いますので…。

それにしても…うーん、私、文章へたですね…
なかなか上手く書けません。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。

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