ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

千載和歌集コミュの俊成の歌  その3

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
俊成の歌  その3

崇徳院に百首歌たてまつりける時、よめる

   さみだれはたくもの煙うちしめり
     しほたれまさるすまのうら人  (夏歌 183 皇太后宮大夫俊成)

「五月雨で焚く藻の煙もうち湿って、藻塩がたれまさっているように、涙にくれる須磨の浦人(わたし)である」(イベリコ)

 崇徳院に奉った久安百首の歌の一つで、久安百首が完成したのが久安六年(1150)のことである。
永治2年(1142年)4月28日、巣徳天皇は異母弟である近衛天皇に譲位するが、自らの上皇としての立場は鳥羽法皇により実権を完全に削がれ、悶々の生活にあったころと想像される。この久安百首の題が崇徳院から下されたのは康治年間(1142年〜1144年)のことで、崇徳院の立場が鮮明に悪化していく時期である。

 この歌は古今和歌集の次の歌を下に敷いている。

田村御時に、事に当りて津国の須磨といふ所に籠りはべりけるに、宮の内にはべりける人につかはしける 

   わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に      
     もしほたれつゝわぶとこたへよ  (雑歌下 962 在原行平朝臣)

「ひょっとして、私のことを尋ねる人があったならば、片田舎の須磨の浦で、藻塩をたれながら、わびしく暮らしていると答えてください」(久曾神昇)

 行平の歌では「須磨の浦」、「藻塩」と「佗」が鍵となる言葉である。俊成の歌には「須磨の浦」と「藻塩」が使用されるが、ここから当然、「わぶ」が連想されるわけである。俊頼などは次の歌のあるように、煙に注目して「わぶ」が消えている。

   須磨の浦に塩やく窯の煙こそ
     春にしられぬ霞なりけれ  (「金葉集」俊頼)

俊成は「須磨の浦」のイメージとしての流謫、その悲しみというイメージを 重視している。しかも、俊成は「しほたれまさる」「煙うちしめり」と五月雨の言葉と一層の膨らみをもたせていることで歌の地平を拡大させている。

また、俊成の歌では五月雨から長雨を思わせ、自然と、源氏が「須磨」の段で、梅雨の長雨の頃、京都のことを思われる様を想像させ、そして源氏が藤壺(尼)に送った次の和歌を連想させるのである。

   松島のあまの苫屋もいかならん
     須磨の浦人しほたるる頃ころ

 俊成はこの歌の下の句の四句と五句を転置させ。俊頼の煙をも取り込んでより拡がりのある歌になしたと言えるだろう。

 蛇足ながら、俊成の歌、「さみだれ」と「いほたれ」が対となり、歌の調子を整えている。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

千載和歌集 更新情報

千載和歌集のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング