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千載和歌集コミュの慈円の歌  その(2)

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慈円の歌  その(2)


   山陰や岩もる清水おとさえて
     夏のほかなるひぐらしの声  (夏歌 210 法印慈円)

 「山かげの岩からもれる清水の音がさえて、山には秋を思わせるような蜩の声がしていることであるよ」(イベリコ)

 この歌を見て、上の句と下の句に面白い関連があるように思える。慈円の耳には岩もる清水の音だけが響いていた。それしか聞こえなかったのだろう。それが、何かの拍子で、蜩の声がしているのに気付いた。それまで、彼の耳には入らなかったようだ。突然、清水の音と蜩の音が見事に調和して、自然の中に響き渡ってきたのだろう。そして、どちらも夏の暑さを忘れるような声で涼しく響き、また鳴いていた。それがこの歌の趣旨ではないだろうか。

 この歌は慈円の歌集、拾玉集の「日吉百首 夏」に収められている。この百首は二首一対の形式というユニークな形になっている。例えば、次の如くである:

   先の世を思ひ知るより泣く涙今我が袖にかわく問もなし
   後の世は今宵か明日か泣く涙思ふばかりに猶ぞたまらぬ

 この日吉百首をまだ見ていないので、この千載集に掲載された「山陰や岩もる清水」の歌と対になっている歌がなんであるのか知らないのだが、人間の心が何かに奪われていると、別のものが見えないというようなことが歌の意味として述べられているのではないだろうか。日吉百首を見てから、改めて、この歌に迫りたいと思う。


 同様の歌が式子内親王にある。

   夕さればならの下風そですぎて
     夏のほかなる日ぐらしの声

 「夕方になると楢の木の下風の冷気が袖元で知られて、夏とは違う涼しさの中で蜩の声がしている」(イベリコ)

式子内親王の歌は百首夏歌の最後に置かれている。この歌では、慈円のような仏教的な匂いがしないように思う。下の句は慈円の歌の下の句と全く同じである。慈円の歌では水の音がしているのだが、式子内親王の歌では風が彼女の着物の袖を揺らすという、より直截的な感覚が表現されている。そして、式子内親王の上の句は音感ではなく、触感である。しかも、風は行き過ぎるものとして捉えられている。しかし、蜩の声は行き過ぎもせず、彼女の耳に響き渡っている。彼女には自然の中に行くものと留まるものが見事に調和して存在していることが見えていたのだろう。

参考サイト:
http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/2297/7182/1/AN00044182-38-yamamoto.pdf
 

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