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千載和歌集コミュの崇徳院の歌  その1

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崇徳院の歌  その1


百首歌めしける時、むめの歌とてよませ給うける

   春のよはふきまふ風のうつり香を
     木ごとにむめとおもひけるかな  (春歌上 25 崇徳院御製  )

「春の夜には吹き舞っている風で香りが移り、木毎に梅と思ってしまったことであるよ」(イベリコ)

 どの木も梅と思う発想はユニークであると思う。

 ただ、「千載和歌集」(松野・片野)によると、「木ごと」は木毎であり、梅の漢字を分解した形であると。そこに面白さをみたのだろう。そして、次の古今和歌集の和歌を下に敷き、視覚を臭覚に置き換えたものとする:

   雪ふれば木ごとに花ぞさきにける
     いづれを梅とわきて折らまし  (冬歌 337 紀とものり)

「雪が降ったので、どの木にもどの木にも花が咲いてしまったことよ。梅を折るとしたならば、どれがほんとうの梅であると区別して折り取ろうか」(久曽神昇)

 臭覚としての歌であれば、次の古今和歌集の躬恒の歌が第一に思われるだろう。

春の夜梅の花をよめる
   春の夜のやみはあやなし梅の花
     色こそ見えね香やはかくるゝ  (春歌上 41 みつね)

「春の夜の闇はまことにかいのないものであるよ。闇の中では、なるほど梅の花の色は見えないが、その香はかくれるであろうか、隠れることはないのであるから。」(久曽神昇)


 崇徳院の詠まれる歌では梅が香を夜風に舞わせて、移り香を周辺にあるすべての木におけば、もう梅の木でなくても梅となるわけである。

また、次の古今和歌集の歌、

題しらず
   色よりも香こそあはれとおもほゆれ
     たが袖ふれしやどの梅ぞも  (春歌上 33 読人不知)

「すぐれた色よりも香こそしみじみと趣ふかく思われることである。この宿の梅はいったいだれが袖をふれて、その移り香をこのように残し伝えたのであろうか。」(久曽神昇)

 この古今和歌集の読人不知の歌にあるように、もともと、文学的にはこの香は誰かの袖の香であったわけである。これは中国漢の武帝に銀公という后がいて、その人の袖が木に移り、彼女の散策したあたりの木花が古情を留めたとある。
  漢仙記云銀袖匂移。 木花古情留。

 ちなみに、松永貞徳の句「紅梅やかの銀公がから衣」がこの典拠による。

 崇徳院の歌は、銀公の袖の代わりに実際の梅の香りを春の夜風にのせて、周囲の木に移したのである。夜であるから、木がよく区別されず、梅の木のように香るわけである。

 崇徳院は銀公のような女性を思ってこの歌を詠んだのではとも想像される歌である。

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