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仏像や宗教などに関するコミュコミュの東福寺に、大仏が 存在していた(^O^)

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大仏と言えば、奈良県の東大寺や 鎌倉の大仏が有名ですね(^O^)人差し指
京都にも、方広寺にも 昔ありましたが、それ以前にも昔、鎌倉時代に 京都には 大仏があったそうです(^O^)人差し指
それが 東福寺の“幻の大仏”です(^O^)〔確か 退耕庵という東福寺の塔頭にもあったような〕
東福寺は、臨済宗東福寺派の大本山で 京都五山に名前を連ねています(^O^)ぴかぴか(新しい)
鎌倉時代中期、摂政・関白『九条道家(くじょう みちいえ)』の創建と言われ、開山は 『聖一国師弁円(しょういっこくし べんえん)〔円爾(えんに)〕』です(^O^)あせあせ(飛び散る汗)
寺の命名は、奈良の東大寺と興福寺から 1字ずつとって 付けられました(^O^)
これには、『道家』の「気宇壮大にして、隆盛を極める」という願いが込められていたようです(^O^)人差し指
『道家』の思いは さらに膨らみ、「東大寺の大仏のような 大きな仏像も 出来ないかな(・◇・)?」
と思い、東福寺大仏が 建立されたんです(^O^)
1243(寛元元)年の話しです(」゜□゜)」
この年の 6月13日、鎌倉大仏の開眼供養が行われていたんです(^O^)
現在の東福寺仏殿に 2層になった屋根と屋根の間に 扁額(へんがく)が見えます(^O^)ぴかぴか(新しい)
そこには、「廬舎寶殿(るしゃほうでん)〔廬のマダレは、不要〕」とあり、廬舎那仏(るしゃなぶつ)〔廬のマダレは不要〕、つまり大仏が存在したことを証明してます(^O^)人差し指
東福寺は、火災に遭わない寺として 創建以来 言われてきましたが、1881(明治14)年 12月16日 20時30分頃、火災に見舞われます(>_<)
その時に、奇跡的にも救い出したのが 大仏の左手でした(」゜□゜)」
焼けただれた大仏の左手は、現在 厨子(ずし)のなかに納められています(」゜□゜)」
大きさは、2メートルとも言われ これを基準に推定すると、高さは 約7メートルもあり、木造大仏だったことがわかっています(」゜□゜)」
東大寺の大仏が約15メートル、鎌倉大仏が約13.35メートルですから 両方に比べたら かなり小さい大仏だったんですね(^O^)人差し指

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