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世界史をボチボチ楽しむ会!(^O^)コミュの太平天国革命[中国]?(^O^)

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1853年6月、太平天国の一隊は 黄河を渡り、北京を目指し進軍しました(⌒〜⌒)
太平天国の一隊が「天津(てんしん)」に着いた時、戦闘が始まり 太平軍は清軍に退路をたたれ、飢えと寒さのなかで壊滅しました(≧ε≦)
一方、湖南にまで勢力を広げた太平軍は、地主勢力を後ろ盾とした湖南省出身の役人『曾国藩(そう こくはん)』の率いる自衛軍(湘軍 しょうぐん)に、行く手を阻まれます(≧ε≦)
この兵士たちは、かなり訓練されており、団結力も強く 太平軍も次第に守勢に立たされます(≧ε≦)
『曾国藩(そうこくはん)』の部下で安徽省(あんきしょう)出身の役人『李鴻章(り こうしょう)』の率いる部隊(ワイ軍)も 太平天国軍を攻めたてます(^O^)手(グー)
民衆の指示する太平天国は、追われるうちに統制がなくなり 指導者の間にも争いがおけり、衰退していきます(≧ε≦)
1853年、太平天国が南京に都を定めた時 イギリス・フランス・アメリカは、使節を送ります(^O^)目的は、通商の自由と 安全の保障をとりつけ、太平天国の内情を探るためでした(^_^;)
清朝政府に力を貸して 太平軍を鎮圧するか、太平天国を利用して 自国の商品を、中国市場に売り込めるようにするか、決めるためでした(^O^)
中国にいたキリスト教の宣教師や、商人のなかにも 太平天国を支持し援助する人々もいました(^O^)太平天国が勝利をすれば、全国の伝道と商業のために開放されると期待していたからです(^O^)
各国の使節に対して太平天国側は、アヘン貿易や不平等条約は認めない、それが守れるなら外国人との自由貿易をしようと回答しました(^O^)
欧米諸国は、中国の内戦に 中立という立場をとります(^O^)
1860年、太平天国は 3000名の兵士をくりだし、上海を攻めます(`ヘ´)
ここに逃れていた江南(こうなん)の地主や商人たちは、『曾国藩』や外国人に防衛を依頼します(^人^)アメリカ人『ウォード』は、外人兵士を集めて戦う報酬として 清朝政府に銀3万両を要求(^O^)ドル袋
この取引は、すぐにまとまり 彼は、100人の兵士で太平軍の基地を攻撃しました(^O^)
太平軍が敗れると、外人部隊に対する清朝の役人や地主などの信頼が高まり、欧米諸国も活躍に期待しました(^O^)欧米諸国は、中立政策をやめ 『ウォード』の軍隊を公然支持し、清朝政府は外人部隊を「常勝軍」と呼んで歓迎した(^O^)

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