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ペラーズ PERA-Sコミュの連載小説(?)「ペラいやつら」

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コメント(21)

第1回
ゆういちろう編



肌寒くなってきた日だった。丁度今くらいの。

2002年10月。
その男は突然、僕にこう言い放った。

「そんなにギターソロばっかり練習して楽しいですか?コード弾きもしたらいいじゃないですか。」

…ムカっとした。
当時大学2年だった僕は軽音サークル内でギターが上手い部類だった。
まず何よりもギターソロばかり弾いてたわけではない。しっかりバッキングも練習していたのだ。

それを、だ。

ギターのことなど何も知らない、おれのこともよく知らないであろう1年坊主が生意気にも口を出してきたのである。

そいつは小さくて痩せてて。
髪の毛なんて前半分だけ金髪。

パンチきいてる奴だな。と思った。

これが彼とのファーストコンタクトである。

遅れて軽音サークルに入ったおれは後輩には不思議な奴に見えただろう。

髪の毛は肩まであるロン毛。
今どき流行らないメタルばかり聞いて。
とんがったギター弾いて。全身真っ黒な服しか着ない。

自分でもおかしかったと思う。

しかし、だ。
それを差し引いても、この失礼な後輩は事あるごとにおれに突っ掛かってきた。

この男が後に「ペラーズ」というバンドの創始者になる男である。
第2回
たかし編


そんな失礼な後輩とも顔見知り程度に絡み、サークル生活を送っていた。

同期の女の子が一人暮らしをしていた。
僕らの代は実家暮らしが多かったために、その女の子のアパートでよく飲み会を開いて居候のごとく居座っていた。

月日は流れて。

2003年4月。

出会いの季節である。

僕らの居候していたアパートにも、高校卒業したての坊やが入居してきた。
小さくて痩せてた子だった。

入居してきたその日に、居候の僕らと部屋主の女の子とで歓迎会を開いた。
「このアパートの住人で仲良くしよう」と。


歓迎会というのは建前であり、酔い潰して介抱して恩を売り、無理矢理サークルに勧誘しようとしていたのが実のところであった。

その子はまんまと歓迎会に来た。
参加者はその子と…僕ら4〜5人。
威圧感など感じさせぬよう楽しく飲んだ。

かなり酔っ払ったところで切り出した。

「実はおれらは、ここの住人ではないのだよ。」
「全員、軽音サークルの3年生なんだ。」

かなり飲ませて仲良くなってた。

とどめを刺す。

「軽音サークルに入らないかい??」

すると…

「いえ、せっかくですけど、僕はテニス部に入ります。高校までテニスやってたんで。」

内心「むかっ」となりつつも、僕らは大人の対応をした。

「そっか、残念だな。ま、このアパートには良く来るし、仲良くしよーや。」

「はい、ありがとうございます!」


…これで終わるわけはない。
この後も日本酒一気のみさせたり、ガツガツ飲ませた。

彼はふらふらになり急に立ち上がった。

「今日は本当にありがとうございました!」

「お?そろそろ帰る?…じゃあ軽音サークルに入らないかい??」

「いえ、せっかくですけど、僕はテニス部に入ります!!」

「そーか、じゃあ、もう少し飲もうや。」

これが数回続いた。

最終的にはぶっ潰れて倒れた。
彼は引っ越してきたその日、自分の新居で寝ゲロした。僕らは恩を売る絶好の機会だと考え、服を着替えさせたりと介抱した。

…数日後

軽音サークルには彼の姿があった。

「あの、先日は介抱ありがとうございました。これからドラムを始めてみようと思います。」


後に「ペラーズ」というバンドの初代ドラマーとなる、たかしである。

つづく。
第3回
青木編


ゆういちろうとも少しずつ仲良くなり、
たかしも初心者ながらドラムを練習して叩けるようになっていた。

オレはというと…

Funny Toneというバンドでガイルスに出始めたりしていた。

私生活では渡瀬と仲良くなってきていた。
彼がスカンクに加入する前か加入した直後だったと思う。

そしてまた月日は流れて

2004年4月。
オレは大学4年生になっていた。
後に最大の問題児となる男が入学してきた。

入学式の後に「サークル紹介」なるものがある。
各サークルが自らのサークルを紹介したり出し物をするのだ。

オレら軽音サークルは、オレ所属のFunny Toneのライブ、という形のサークル紹介だった。

自信はあった。新入生が来てくれるという自信が。

Voは可愛いし
楽器隊も素人目で見れば激ウマに見えたのではないだろうか?

女の子をサークル紹介に出せば、女の子の部員が入ってくる。そして、その女目当てに男も入ってくる、というオレらの読みは当たった。

サークル紹介後、軽音の溜り場でタバコ吸ってくつろいでいた。

「あの…すいません…」

ん?振り向く。

「先ほど演奏されてた軽音サークルの方々ですよね?」

オレは目を疑った。
かなりの美人がそこに立っていた。
オレは心の中でガッツポーズしかけた。

が

よく見ると隣に男が立っている。

小さくて痩せてる男が。

「ちっ、彼氏つきかよ」

オレは落胆の色を隠せなかった。

「うん、軽音サークルだよ。入部希望者?」

「はい。よろしくお願いします。」
と2人は言った。

入部希望者はその日のうちに飲み会に誘うものである。
例にもれず2人を誘った。
飲み会中に聞いた。
「2人は付き合ってるの?」

「まさか!」
という見事に2人揃った返事が帰ってきた。
ガッツポーズ復活。

しかし。


この時期以降、青木と絡んだ記憶がない。
彼はサークルに顔出さずにバイトばかりしていた。

彼と絡みだすのはオレが卒業を控えた頃からだ。

彼こそが

後に佐賀バンド界を揺るがす大事件を起こす張本人にして、
「ペラーズ」というバンドの初代ギタリストであり、後の3代目リーダーにして3代目ボーカル、青木である。

続く。
第4回
たつや編

青木が入学したのと時を同じくして、

2004年4月
もう1人の痩せたやつが入学してきた。

ものすごい天然パーマだった。

話をしてみると、おれの中学校の後輩であり、弟の友達であった。

急に親近感が湧いたオレは、「楽器やってたの?」と聞いた。

「はい、アコギで弾き語りしてました。」

と彼は言った。

‐それなら、ちょっと弾いて歌ってみてよ‐

…

とても残念な結末であった。

そして彼はとても酒に弱かった。
すぐ真っ赤になるし胃があれて血を吐いたりしてた。

音楽×
酒×

おれと仲良くなる要素が一つもなかった。

そして青木と同じように彼もサークルには顔を出さなかった。

彼と絡みだすのも、オレの卒業間近からである。

天然パーマが凄すぎて、スーパーハードなスプレーでオールバックにしても、30分後には元のアフロヘアー。

そんな彼こそが、ペラーズ初代ベーシスト、たつやである。


続く。
第5回
西九州大学軽音楽サークル編

そんな4人が偶然出会い、始動したバンドがペラーズなのであるが、

始動するのはまだまだ先のお話。

しかしながら、ペラーズというバンドが西九軽音で産声をあげたことに間違いはない。

おれが今、バンド続けていけているのも、このサークルのおかげである。


佐賀県は神埼市の山奥に、

それは在る。

それは…おれにとっての一生忘れることのできない青春の場所である。

初期ペラーズメンバー全員がサークルに籍を置き始めた時…

すなわち、おれが大学4年生の頃。

このサークルは大所帯であった。

1年〜4年生合わせて40人くらい居た。


40人の男女が

である。

40人もの男女が一緒の時間を共有するのである。
狭いスタジオにこもったり、キャンプにいったり、毎晩のように飲んだり。

お察しの通り、昼ドラ顔負けの男女ドラマがそこにはあった。

その男女ドラマのせいで、軽音生活を狂わした先輩や後輩が何人もいる。
幸いおれは、それとは無縁であった。

が、巻き込まれることは多々あった。

実際、男女の修羅場に不運にも居合わせてしまったことは1度や2度ではない。
その度に憤りを感じた。

なぜ、その欲求やエナジーを音楽に向けれないのだ?こいつらは、と。

しかしながら18〜23歳の男女が集まっているので当然のごとくある。

逆を言えば、ある男女が幸せになった瞬間にも遭遇していた。
そんな時はおれも幸せな気分になれるのだが…

困るのは。

メンバー間で男女の関係になった時である。
いくらコピーバンドとはいえども、かなりバンド内の空気に影響する。

付き合いだした時はいい。
しかしだ。

頭のいい読者諸君は察してくれるだろう。
狭いスタジオで険悪な男女とバンドを組んでしまったばかりに気まずい思いをした当時のおれの姿を。

結果的に、この手の話は

おれの在学中、いや卒業した後も
そして現在でも

やはりサークル内にある。

おれはそんなサークルが大好きであった。


続く
第6回
西九州大学軽音楽サークル編2

そんな男女のことばかりが記憶に残っているが。

おれは思う。

大学とは

サークルとは

「人間関係を学ぶ場である。」と。

基本的な礼儀やマナーや空気の読み方はもちろん。

遅刻をしない。
悪いことをした時には謝罪する。
自分の責任は自分で持つ。

などの人間として当然のこともだ。

皆そうやって成長してきたのだ。


軽音サークルでは、3年生がサークルを仕切る。
西九では「代」と呼ばれている。

この「代」を経験することによって大きく成長するのだ。

40人の集団を運営しなければならない。

年間のライブをはじめとした行事の計画。
機材購入や修理のための予算の経理。
音響や照明なんかも自分達でやる。

ここでまず、責任感のないやつ、というのが毎年何人か出てくる。
そんな奴に限って本番直前や直後に色々口出してくる。

しかしだ。

3年の秋の学園祭ライブで「代」を引退するのだが、
その頃になると皆の顔つきが変わってくる。

それぞれの部署の仕事を責任持ってこなすようになってくる。

おれは4年生時には引退して自由気ままに軽音生活を楽しんでいたが。
それでも最高学年として後輩を引っ張る立場であった。

おれは照明部署に所属していた。
むしろ西九軽音の照明部署はおれが作ったと言って過言ではない。

ペラーズ初期メンバーは

ゆーいちろー  企画開発室室長
たかし     PA(音響部署)
青木      PA部署
たつや     照明部署

であった。

学園祭ライブの企画は大変であった。

ステージの設営はもちろん。
パンフレットの広告どりなんかもする。

企画段階では何日も寝ずに準備したりする。

その合間をぬって練習する。

そして…意見のぶつかり合いから喧嘩が必ずと言っていいほどおきる。
特に「代」は。

21歳の大人になりかけの集団である。

自我や自己というものを確立しだす時期である。
それは…ぶつかるものだ。

しかし。

学園祭前日から軽音サークルの男子は学校に泊り込む。

ステージにおいている機材等を守るためである。

過去には暴走族などというものが夜中に入ってきたこともあるらしいが、
怖いのはそんな奴らではない。


雨である。

ステージに屋根がついてはいるのだが、
強い雨だと意味をなさない。

むしろ屋根が破れて大量の水がステージにふりそそぐ。

不思議とその時期には雨が毎年降る。


夜中だろうが朝方だろうが、雨が降ってくると部員全員が外にでる。
ステージを見回る。

そして10メートルほどの高さがある屋根にのぼり、

必死で雨を屋根からバケツでかき出すのだ。

夜中真っ暗な高所。
柵などない。落ちたら死ぬ。
しかも雨。寒い。

そんな中、学園祭を成功させたいという男達の手により、ステージは守られてきたのだ。
みんな必死で作業する。

こうやって男達は大人になっていったのだ。

そして女達は…

毎年自腹を切って炊き出しをしてくれた。

雨で冷えた体と、眠気と疲労で遠のく意識には

涙が出るほど美味かった。

こうやって、西九軽音部員達は大人になっていった。


この年の学園祭については後述するが。

この場所でペラーズは生まれた。

続く。
第7回
それぞれのパート編

軽音楽サークルに所属している以上、
やはり楽器を手にする。

それは後にペラーズとなる4人にとっても例外ではなかった。

ゆーいちろーは
ベースを弾いていた。
おれに対して偉そうな口をきいていたので期待してライブを見たのだが…
とても「ベーシスト」とは呼べなかった。
おれは内心爆笑、いや嘲笑した。

こいつ、ぺらいな。

と思った。普段の発言も行動も音楽も。

途中から彼はベースを弾かなくなった。
平行してやっていたVoに専念しだした。
そしてこの時期より少し前、彼は新しいバンドを組んだ。
「髑髏印」
という、後にライブハウスで活動しだすバンドのVoとなっていた。

重くて速い曲にシャウト多用の音楽。
ジャンル名にうといおれには上手いジャンルの表現は出来ないのだが、メタルコアとでも言っておこうか。

当時の西九では異色中の異色バンドであった。
メロコア全盛期のサークルであったためである。
おれがやってたメタル(オジー、メタリカ)のコピーバンドでも冷ややかな目で見られていた時代である。

当然ながら皆、どん引きである。
女の子が多いサークルだから当然である。
冷ややかな視線と嘲笑を受けながら、彼はギャーギャー叫んでいた。

こいつ、ぺらい奴だから直ぐに辞めるだろ。
とおれは予想していた。

しかし、だ。

彼は辞めなかった。
その後も冷ややかな視線に心が折れつつも、活動をやめなかった。

意外と根性あるな、と正直思った。

そしてこのバンドは西九から飛び出し、ガイルスを拠点に活動する。

そして彼らは西九軽音の歴史を変える。


が…

それはまだ先のお話。

この当時の彼は「代」なのにも関わらず、突拍子もない発言ばかり繰り返し、「ぺらい奴」とのレッテルを軽音全体から貼られている時期である。

彼のパートはシャウト系Voで固定されていった。

続く
第8回
それぞれのパート編その2

佐賀に引っ越してきたその日に、見知らぬ先輩から酔い潰された男がいた。
そう、たかしである。

そんな彼ももう2年生になっていた。

彼が選んだ楽器は「ドラム」。
元々興味はあったようだ。

こいつはいつもニコニコ笑っていた。
何に笑っているのか解せないが、いつもニコニコしていた。

この時期、彼は音響部署の下っ端として馬車馬のようにコキ使われていた。
責任感が強い男である。

当時おれは音響部署ではなかったが、音響機材に詳しかった。音響機材もギターやアンプ、エフェクターと兄弟みたいなものだからである。

ある学内ライブの打ち上げ後、珍しく真顔の彼がいた。

「なおとさん、もっとお話が聞きたいです。勉強させてください!!」
と申し出てきた。

「わかった、じゃあ飲みなおそう。」

と、当時居候していた部屋で飲みなおすことになった。

…そのまま朝までオレは違う話をした。
彼は眠気でフラフラになりながらも耐えた。
責任感の強い男である。

この2年後、全く同じことをもう1度するわけだが、それはまた後ほど。

とにかく彼はドラムを選んだ。

ザ、平均。

と言った感じで順調に上手くなっていってた。

「いえ、僕はテニスがしたいです!」と言ってた1年前の彼は何だったのだろうか。
同じ代のなかでは1番上手いドラマーになっていくのだが。
それは後の話。

続く
第9回
それぞれのパート編その3

この年に入学してきた2人。

そう、
青木とたつや。

思い出を必死に紐解いてはいるのだが…

どうしてもこの時期(2004年初夏)の2人の記憶がない。
4年生と1年生だから絡みが少ないのが普通なのではあるが…

それにしてもない。
同じ代の女の子達とはよく飲んでた記憶がある。

青木が入部した日に一緒にいた綺麗な子や、
後にペラーズでベースを弾くあの子や
後にペラーズのVoとなるあの子達である。

この代の女の子は皆かわいかった。

だからこそ男達の記憶がほとんど無いのであろう。
しかも彼らはバイトやらでほとんどサークルには顔出してない時期である。

かすかな記憶の中では。

たつやはアコギをしていたと先に述べた。
しかし練習しているところをみたことはない。

彼がベースを弾き始めるのはこれから半年ほど後の話である。

青木は
入部したその日の飲み会でピアノを小さい頃から習っていたということを聞いた。
あの綺麗な子は幼馴染で同じピアノ教室だったとのこと。
そして歌が上手いということ。

しかし、そんなピアノの腕前を披露することなく彼はバイトに没頭していた。
ピアノの腕前を知るのは、たつやと同じく半年後である。


このように絡みが少なかった2人であるが、この2人のおかげでオレの人生が変わることになる。が、それはだいぶ後の話。

そういうわけで、
青木はVo
たつやは後にBaとなる。

思い出を紐解こうと写真を眺めていたら出てきた。

青木、入学式の翌日の写真。
そう、先に述べた入部した日に飲みに誘った時の写真である。
例の綺麗な子とオレも写っている。

続く
第10回
筆者編


物心ついた頃には…

オレは本に囲まれていた。

高校国語教員を父に持ち、祖父もまた教員であった。

幼い頃から本を読んだ。
本を読むしか楽しみが無かった。

小学生の頃
何千冊もの文庫本や書籍の重みで家が傾きかけたという嘘のような実話が我が家には伝わる。
その傾きを修正するため、父の部屋の反対側にあったオレの部屋に半分が移動した。オレの部屋が一夜にして本棚だらけになった。

そして何となく一冊の本に手をかけた。

司馬遼太郎
「燃えよ剣」
である。

そこから書籍にハマっていった。
いや、違う。

我が家は漫画禁止。ゲームなぞもってのほかである。
その名残か、いまだにTVゲーム等にはあまり興味がない。
本を読むしかなかったのだ。

この「燃えよ剣」は。
オレを一気に新撰組の世界へといざなった。

今考えると。
父はオレが読めそうな本ばかりをオレの部屋に移したのだろう。

ジュールヴェルヌの
「十五少年漂流記」
「海底2万里」

作者を覚えていないが
「アルケミスト」
「戦艦武蔵」

司馬遼太郎の歴史小説にハマり
それから、漱石、芥川などのスタンダードも粗方読んだ。
全部覚えているとは言いがたいが…

太宰は「走れメロス」が収録されていた短編集はしっかり読んだ記憶があるが…他の作品は小学生には難解すぎた。

年に1度ほどしか実家には寄らないのだが、もう1度読み返してみようかなと思う。
今なら。
彼らが書こうとしていたことを理解できるかもしれない。


続く
第11回
筆者編その2

生まれてからバラエティ番組などほとんど見たことが無かった。
父の教育方針からか一家にテレビは1台。
チャンネル選択権は当然、父である。
物凄い威厳であり、逆らおうなんて思わなかった。

小学生にとって。

学校の先生=怖い

おれの場合は家に帰っても先生がそこにいるのである。
悪いことをすれば当然殴られた。

さて、小学生のオレのテレビとのふれあいであるが。

帰宅してまずは宿題である。
きっちりしとかないと後々怖い目にあうからである。

そして父が帰宅すると玄関まで一家総出でお出迎えである。
父が一番風呂に入っている時に運がよければ、ドラえもんを見ることができた。

父が風呂を上がる気配がすると、チャンネルを定位置に切り替え電源を消す。

そして夕食である。
夕食中にテレビなど厳禁である。

夕食が終わるとリビングに移動し、父がテレビの電源をつける。
おれが定位置にチャンネルを切り替えたテレビである。

画面に先ず写るのは。

NHK教育。

父の最も好きなテレビ局である。

歴史ものや文学もの、世界遺産的な番組を見る。
たまに民放の動物番組を見る。
夜9時になると…

そうニュースである。

だからオレは実家でバラエティを見た記憶がほぼない。
しかも当時のオレは夜10時消灯であった。

学校での、とんねるずやダウンタウンの話などに着いて行けるわけがない。
いつもポカンとしていた。

しかし、オレはこの状況を悲観していなかった。

この状況はつまり

成績が良い

のだ。

小学校のテストなんて毎回100点だった。
まれに98点などの時は容赦なく怒られた。
「おまえの不注意が招いた結果だ」と。

このような感じで成績は常にトップだったのだが、数年後に大きな挫折を味わうこととなる。


悲観していなかった、と書いたが…

しかし、今なら1つだけ注文がある。

父よ。

小学生時分のオレに…

音楽番組を見させてあげてくれ。

小さい頃に音楽に出遅れたというハンデは、

もの凄いハンデとなって今のオレに襲いかかっている。


しかし父は尊敬できる人物であった。
それは今でも変わらない。

未だに何一つ勝ててる気がしない。

そんなわけで、エディプスコンプレックスなど感じないまま、小学生のオレは日々をすごした。

続く
第12回
筆者編その3


母は

母はなんにでも干渉したがる人であった。

オレは中学生になっていた。
教員の世界とは狭いものである。

オレの学校での生活は先生から父、そして父を通じて母へと筒抜けであった。

これについてはエピソードがある。

時間が進むが、大学時代。

大学時代と言えばオレはFunny Toneというバンドを組んでいて、Voの女の子とほぼ毎日行動をともにしていた。

それを大学の教員が見て。

巡り巡り父を伝い、母のもとへ。

ある日、実家に帰宅しろ命令が出た。

「横尾家の長男としてのあなたに、大事な話がある。」
と。

恐る恐る帰宅した。
やばい、バンドしていることがバレたか??
(バンドなんて父に言い出せるわけがなかった)

「あんた、大学で凄い派手な女の子と付き合ってるらしいやんね!
大分との遠距離恋愛中の彼女に申し訳ないと思わんとね!!!」

そして母はその当時の彼女に知らせるとまで言い出した。

あまりの急展開と身に覚えのない話に驚愕した。



察した。
FunnyのVoのことか、と。

「あほか!推測で話を大きくするな!」

と言い放った。


なのに、である。

その数ヵ月後。

たまたま祖母宅の前を、
本当にたまたま

嘘つき☆ライダーのVoさんと歩いたことがある。

嫌な予感はした。

それは的中した。

「あんた!!派手な女の子とばかり遊んでから!!また違う女と遊びよるんね!?   …結婚するなら地味な女の子を選びなさい!!」

唖然としたよ。
もう何も答えなかった。


時間がまた前後するが。
中学時代。

異性というものに興味を持ち出したオレにも女の子から電話がかかってくることが稀にあった。

携帯などない時代である。
実家への電話だ。

母がニヤニヤしながら部屋に入ってくる。

「…あんた…女の子から電話よ。彼女ね??」

中学1年生にとって親にだけは言いたくない話題である。
「違う!」
と言い放ち電話にでるのだが…

母はその甘い会話を盗み聞きするのである。

もう実家の電話で話すのは止めようと誓った。
この子が後の生まれて初めての彼女になるわけだが、
これ以降はテレフォンカードを使用し、公衆電話で電話するか交換日記だけとなった。

その交換日記すら勝手に読まれた。
さらには望んでもないアドバイスまでしてきた。
初めてもらったバレンタインのチョコすら勝手に食べられた。
オレの部屋を勝手に完璧に片付けるのである。
敏感な年頃なんだよ。
母親には特に知られたくない本なんかも綺麗に並べてあることがよくあった。



「彼女さんのお父さんの仕事は何ね?何人家族ね??」

と聞いてくる。
これは今までに付き合った3人とも聞かれたし、FuunyのVoの時も嘘つきのVoさんの時も聞かれた。
心配性で、そして、こういう話が大好きなのである。今現在の年齢で聞かれるのは、理解はできるが…


こういった母を持ったことが影響して。

いまだに過干渉な女性は苦手である。
女性に限らず、無駄にプライベートに干渉してくる男も嫌いである。

そこから逆に、自分自身が他人に干渉しないようになった。


こうやって悪い面ばかり書いているが。

初めての子供であるオレを心配する気持ちは今ならわかる。
当時のおれには苦痛だったが…

しかし、毎朝毎晩の食事、そして弁当も。
冷凍食品などほとんど使用しないで作ってくれた。

部屋を勝手に片付けるのも、

ハウスダスト性鼻炎と診断されて鼻水ばかりだったオレを心配して毎日完璧に掃除していたらしい。

らしい。
半分は興味本位であろう。絶対に。

とにかく。

こういう両親の元でオレは育った。
第13回
そして夏休みへ

2004年8月

ついにオレにとって大学生活最後の夏休みが始まった。

これ以前にも軽音ライブやキャンプなど楽しい行事があったのだが、やはり初期メンバーとの思い出は少ない。
それは今現在のオレのパソコン内に、当時の彼らの写真がないことでうかがい知れる。

一年生達には

「飲み会で尚人さんと目を合わせるな」

と噂されていたらしい。
目を合わせるとオレから飲まされるからだ。

体育会系出身のオレからすれば甘ったるい戯れ言にしか聞こえないのだが、彼らには重大なことだったのだろう。

しかし、彼らは三年後に全く同じことをする四年生へと成長した。


さて、夏休みに入り。

オレは悩んでいた。

進路を。

笑われるかもしれないが、音楽で食べて行きたいという思いがあった。

そして大好きなサークルの皆と少しでも絡みたいという思いも手伝い、

オレは全く就職活動をしなかった。
国家試験の勉強も。

皆と遊びたいが為に、
卒業論文ですら三日間で書き上げた。
もちろん、構想と下書きは以前からしていたのだが。

最後の夏休みは

狂ったように遊んで
そして部室にいた。


しかし、たかしを除く初期メンバーと絡んだ記憶がない。

なぜここまで絡んだ記憶がない奴らのバンドに今加入してるのだろうか。


この頃から当時加入していたバンドの活動に暗雲が立ち込めてきた。
オレの責任なのだが。

将来へ対する不安と、バンドの悩みで



オレは酒に溺れ
20キロ太ってしまった。


続く
第14回
学園祭編その1


2004年11月

おれにとって最後の学園祭の時期となった。

この年の学園祭から、地元のイベンターさんの力を借りてゲストバンドを呼ぶことになった。

そのゲストバンドは

ガーリックボーイズ
フルモンティ

ガーリック〜はオレは好きだったのだが、その選択は疑問であった。

女の子が半数以上を占める大学の学園祭である。
もっと歌モノがいいのでは??

誰もが思った。

ガーリックを熱望したのは…

そう、ペラーズ初代ボーカル、ゆーいちろーであった。
彼は当時「代」であった。


率直に聞いてみた。

「もっと、女の子とかに人気がありそうなバンドのほうがいいんじゃない?」と。

彼は答えた。

「そういう意見があることは知ってます。反対されていることも。

けど、ガーリックと対バンするのが夢だったんです!!」


と。

正直…少しだけ見直した。芯があるではないか。
反対を乗り越えてでも、自分の夢を実現する。

そーいう男は好きだ。

そうやって学園祭前日を迎えた。

以前書いたように、ステージやらの準備後、男たちは泊まり込む。

オレら四年生は

「最後の学園祭だね。」

って感慨深く、夜中の大学の中庭で酒を酌み交わした。
明日から演奏するステージを眺めながら。

こんなことがあったね。
あんなことも。

なんて、思い出話に花が咲く。

オレは当時珍しかった「赤霧島」という芋焼酎を持ち込んでいた。

青木達が近づいてきた。

「うわ、めっちゃレアな酒じゃないですか!!少しだけ飲ませてもらえませんか??」

と青木が訴える。

オレは即答した。

「おまえらには3年早か!!黒霧島でも飲んでおけ!」

と。

そんな感じで盛り上がりつつ、同期の皆にゆーいちろーの意外な芯の強さを話したりして、同期皆で彼のことを見直していた。

その後も思い出話で盛り上がり、少々深酒してしまった。

結局寝たのは夜中の3時くらいではなかったろうか。
寝ると言っても、食堂の床に布団をひいて雑魚寝である。疲れは取れにくい。

束の間の睡眠を貪る。


朝6時。

酒を一滴も飲めないゆーいちろーは早めに就寝していた。

すなわち早起きである。

彼は皆を起こして回った。


…チャイナシンバルを叩きまくりながら


皆、一斉に飛び起きた。

そして一斉にブチ切れた。
やりすぎや!!


昨夜のオレの見直しを返せ。

イラっとしつつも…

最後の学園祭、一日目が始まった。

続く
第15回
学園祭編その2

一日目が始まった。
最悪な寝起きの中スタートしたが、やはり軽音にとって最大の晴れ舞台である学園祭だ。

テンションはあがる。

この日、オレは、レミオロメンのコピーバンドとヤムヤムオレンジのコピーバンドで出演。

余談だが、この日一番盛り上がっていたのは軽音部員ではなく、後にペラーズの看板娘となる子の「いとこ」である。
半端ない盛り上がりようであった。

そして一日目も終了。

また夜を迎える。

この日も飲んだ。
大事な仲間達と。

22歳の男達の話す話題と言えば…

そう、女の話である。
正確には、女との交わいについてである。

普段どういった体位でしているのか
どんな体位でしているのか

などを酒の勢いも手伝い盛り上がる。

それを聞いていた青木とたつやがこの日も首を突っ込んでくる。

「その話、興味あります、教えてください!!」

と。

オレは即答した。

「まかせろ!」

と。

そこからオレによる「性交講義」が始まった。

まず、問答無用で青木を食堂に敷いた布団に押し倒した。

女役 青木
男役 おれ

である。

講義内容は…

48手についてである。

そのうち20手くらいを青木を女に見立てて実践した。
(もちろん、模擬授業である。)

青木は本気で嫌がっていたが、数名の男で押さえつけ続行した。

気がつけば軽音の男のほとんどが授業を見ていた。
オレはクッションの使い方、前戯の方法などを事細かに教授した。

終わったあとの青木は抜け殻のようであった。


そして、たつやもまた犠牲となった。
性交講義は終了したが、たつやも布団に押し倒した。

そして…

両足をガムテープでぐるぐる巻きにし、一気にはがした。

大豊作であった。

それを見ていた青木は爆笑していた。

……

青木も同じ運命になった。
そして再度押さえつけ性交講義再開である。

が、
その時になって多数の女子がオレらの宿泊場所に入ってきた。

急いで青木を開放する。

そう、炊き出しを持ってきてくれたのだ。
この日の炊き出しも涙が出るくらい美味かった。

こうやって夜は更けていき。

学園祭最終日を迎える。

ここでは多くを書くまい。

一生の思い出になる最高のステージであった。

そして打ち上げでは過去最高に飲んだ。

酔ったオレは…

青木の局部の毛に火をつけ、焼き払ってやった。


これが、青木とたつやとの初めてのまともに絡んだ記憶である。


続く
第16回
最低な男編

学園祭も終了し抜け殻のようになったオレら4年生。

しかし、だ。

4年生といえば天狗状態である。

後輩と飲めば酒は注いでくれるし、敬語もいらない。
可愛い女の子も多数。

狂ったように飲んでいた。

そんな中、最低な男が現れる。

2004年12月。

サークルに所属していた女の子が学校を辞めて地元に帰るというので、焼き鳥屋にて送別会があった。

送別会といえども酔ってしまえば普段通りの飲み会である。

おれはギターの他にもベースやドラムもしていたので、飲み会の時には多数の後輩がオレの元へダメだしを求めにやってくる。

そして完全に天狗になっていた。

この日も普段のように天狗になっていたオレは…

とある1年生の女の子にダメだしをはじめた。
ドラムの。

その子は当時、ハイハットをきちんと閉めて叩けてなく。
そのことを指摘した。

かなり飲んでたのであろう。
記憶が定かではないのだが…

「ハイハットのしまりが悪いから、アソコのしまりも悪いったい!!!」

と、言ったらしい…

後から聞いた話では、その暴言後オレは笑いながら他の人間と飲みだし。

その子は…

トイレに行って号泣していたらしい。

なんて事だ。

いくら飲み会の席で先輩後輩の関係だとしても…

23歳の男が19歳の女の子に放つ言葉ではない。

しかも、「泣いていた」と聞いたのは翌日である。
愕然とした。


この時ほど自分の酒癖の悪さを呪ったことはない。

しかも謝るタイミングを逃してしまい…

この子とは気まずい日々が始まった…

最低な男である。


月日は流れ…

気まずいまま2005年の3月を迎えた。

このまま卒業するのは嫌だと思い、意を決してその子を飲みに誘った。


そして土下座して謝罪した。
3ヶ月遅れの謝罪である。

なぜすぐに謝罪しなかったのであろうか。
この出来事の後、天狗になるのをやめた。
飲み会の席で楽器の話をするのも極力控えるようになった。

救いは、
謝罪時にその子が「もう気にしてないから大丈夫です。」
と言ってくれたことである。
あんな暴言はかれて気にしないはずないのに…
いい子でよかった。


おれは最低な男だと自覚した大学4年の冬であった。


つづく
第17回
ぺらい奴ら、バンドをする編

2005年2月。

ついにオレが愛してやまない軽音サークルを引退する日が近づいてきた。

毎年3月に「卒業ライブ」というものがあり、それで4年生は引退、卒業するのである。

オレも軽音最後のライブを迎えようとしていた。

そして気づいた。

1年生とほとんどバンドしてないな、と。

前述の通り1年生の女の子と気まずくなっていた時期である。
1年生全体とも関わりが減っていた。

オレは決意した。

絡んでない奴らとバンドしようと。


まずはドラムに、たかしを迎えた。何気に一緒にバンドしたことはなかったのである。

そしてベースに、たつや。ヒマそうだったからである。

ギター兼キーボードに青木。完全に面白半分で誘った。

そしてVoに別の後輩を迎えバンドが始動した。


ビジュアル系のコピーバンドが。

LUNA SEAとシャムシェイド、ペニシリンのコピーである。

完全な冗談バンドであった。

たかしは16分の連打を叩けなかったし、
たつやに至っては全くベース弾けてなかったし。
数ヶ月前に一緒にベースを買いに行ったのにである。

青木は…

ピアノの腕前に驚愕した。
こいつ…もしかしたら凄いやつなのでは??
ハモりも難なくきめていた。

ビジュアル系とくくってしまったが、選んだバンドは難易度が高すぎた。
ギターソロが難しくて弾けない曲もあったので、そこは鍵盤で弾いてと青木に言ったら、その場でコピーしやがった。


このように、今考えるとペラーズの母体のようなバンドである。
この時すでに…

オレはペラーズという呪縛に捕まっていたのかもしれない。


そうして本番を迎えた。

たかしは上半身裸で出演。
うむ、ぺらい、いやヒョロい。

たつやは「オールバックにします!!」と、かなりハードなワックスで固めたのだが…
30分後には普段のアフロになっていたという、驚異的なクセ毛の持ち主であった。

青木は…なんか気持ち悪いキャラで通していた。

朝一での出演だったのだが、そこそこ盛り上がったのではないだろうか。
このバンドはこの後、3回ほど活動することになる。

初期ペラーズメンバーとの初の音楽的な絡みであった。

そしてオレはこのバンド以外にも7バンドほど出演し、
軽音人生を終えた。

感動で涙は出なかった。

やめたくない、という思いで涙が出た。


この後も軽音依存は止まらないのだが。

それは後の話。


つづく
第18回

ペラーズ、始動編

オレは大学を卒業した。

しかし、相変わらずの軽音依存ぶりが出て、
毎日のように勤務後に部室に行った。

そうでもしなければ心の平穏を保てなかった。
環境の変化のストレスは想像以上であった。

卒業してからもFunny Toneというバンドをボチボチで続けていたのだが…

5人中4人が社会人1年目という状況。
なかなか動けず2005年は5本ほどしかライブできなかったと記憶している。

そして2006年4月には解散となるのだが…
それは別のお話。

ペラーズに話を戻せば。

いくら軽音依存してサークルに顔出しまくってたといえども、そこは卒業生。

あっというまに…

学園祭の時期となった。

去年あんなに感情を込めたステージ。

世代としては、ゆういちろうが4年生。
オレは羨ましく思いながらも見に行くつもりであった。

しかし、縁あって。
卒業生の身でありながらFunny Toneで出演することになった。

今でも覚えている。
あの喜びを。

そして迎えた学園祭。

無事にFunny Toneも終了し、後輩のステージを眺めてた。

この年、軽音はオレ達の頃とは別物になっていた。

例年、学園祭のトリを飾るバンドは、メロコア等のコピーバンド。
誰でも知ってるような曲をコピーしたバンドで皆で盛り上がる、というのが慣例であった。

しかし、この年のトリは

ゆういちろう所属の「髑髏印」というバンドであった。
ガイルス等のライブハウスでも活動していたバンド。

そしてバンド名から想像できるようシャウト多用のメタルコアやハードコア的な音楽。

軽音の歴史上、そんなバンドがあるだけでも異例なのに、彼らがこの年の学園祭のトリ。

正直に言おう。

OBの中には反対意見も多かった。

「女の子が半数をしめるサークルで、ハードコアでトリなんて」

という意見。
恥ずかしながら、オレもソチラ側の人間だった。
無駄に伝統にとらわれすぎてたのだろう。
つい1年前までオレも参加して作っていた伝統だったから。

しかし、心のどっかでは
「何も考えずに、やりたい音楽やればいいんですよ!!」
と言い放ったゆういちろうがどこまで出来るのかを楽しんでる自分がいた。

しかし、蓋を開けてみると…

圧倒的な盛り上がり。

女の子達も首を激しく振って盛り上がってる。

え??

正直驚いた。

たった半年。
オレが卒業して半年。

その間にゆういちろう達は…軽音を変えていた。


驚きながらも「こいつらすげーな」
と思った。

口先だけの男に見える時もあった彼だが、
見事に軽音の伝統を覆しやがった。


何事も

何事も最初に行動した奴らが凄い。

彼らはメロコアやJ−POPばかりの軽音を変えた。


その後、逆にシャウト多用の音楽ばかりに軽音はなっていくのだが…
そしてその中心にいたのは青木…

それはまた後のお話。
第19回

ペラーズ始動編その2

学園祭も終わり

またあっという間に卒業シーズンとなっていた。

2006年2月

4年生にとってのラストステージである「卒業ライブ」というものが近づいてきたある日…

青木から電話があった。

「ギターを教えて欲しいです。家にお邪魔してもいいですか??」
と。

そして青木と我が家で酒を飲みながらギターを教えた。

教えた、と言ってもオレが耳コピして教えるのである。

ディスクランチの曲を。

「ディスクランチとLxAxDxのコピーバンドするんですよ。」
らしい。
一通り教えた。
ギターソロも。青木は必死に習っていたが全然弾けなかった。
正直、ライブまでに弾けるようにはならないだろ、とオレは予想した。

オレは聞いた。
「ちなみにメンバー誰なん??」
と。

「ゆういちろうさん
たかしさん
たつや
オレです。」

なんだその見た目と発言がペラいメンバーは??
と爆笑した記憶がある。

そう、これが…

「ペラーズ」という、後にオレを巻き込み悩ませ続けるバンドの始まりなのである。


前述の通り、最初はコピーバンドであった。
去年、オレがしたように4年生との思い出バンドなのだ。

誰が言いだしっぺなのかは定かでないが。

もちろんバンドリーダーは、ゆういちろうである。

「ぺらい奴らの集まりだからペラーズ」
だと思った。名前の由来。

後日、2010年の夏に、ゆういちろうに聞いてみた。
「ペラーズって由来は??」と。




「ペラーズは、言うこと、やること、なすことペラッペラで、信用性なしのバンド。
首から上、鼻から下の人間性。(口だけ) 」

これが「ペラーズ」という名前の正式な由来である。


そして2006年3月。

ついに卒業ライブ当日。

オレもFunny Toneで出演。
このライブを最後にFunnyは解散する。しかし、この時は解散の話はまだない状況。オレは単純に今年も卒業ライブに出れる楽しみをかみ締めながらライブをした。

そして…

記念すべきペラーズ初ライブ。

やっぱり青木は弾けてなかった。
ギターソロも全く。
むしろ他のメンバーも当時特に上手いわけでもなく、ゆういちろうもなれないギターをかき鳴らしながら歌っていた。

だけどね、

軽音最後の日を楽しむ、というゆういちろうと
4年生と楽しむ、とうい3人の気持ちが伝わってくるような
楽しそうなステージだった。

本来、それこそが軽音にあるべき姿なのかもしれない。

そして、この日のライブのエンディングで…

オレのゆういちろうに対する認識は
ペラいやつ、から、熱いやつに完全に変わった。
感動した。
あいつの心からの友達に対する叫びに。

けど、その内容は…当時の軽音に関わっていた人間の胸の中に秘めておこう。

こうやって…

ペラーズ初ライブと
ゆういちろうにとって最初で最後のペラーズライブは終わった。

2006年3月
ペラーズ初代Vo兼リーダーゆういちろう脱退。

続く
第20回

ムサシ編

2006年3月ペラーズ初ライブ。

しかし少しだけ時をささかのぼろう。

2003年4月。

当時オレは大学3年生であり、新入部員獲得に躍起になっていた。

しかし、オレが欲しかったのは女の子の新入部員。
男なんてどうでもよかった。
女の子の1年生ばかりに声をかけていた。
半分ナンパである。

その頃、以前書いたように、たかしが軽音に入部。
そう、そんな時期だった。

その男が現れたのは。

入学式から数日が経ったある日。

軽音のたまり場に、1人の男が「入部したい」とやってきた。

オレらは目を疑った。

「に、似てる…」と。

格闘家の「武蔵」に瓜二つだったのである。

当時4年生であり、まだSKUNK SHOT BOOSTERに加入する前のノリックが言い放った。

「お前、4年間ムサシ!!」

そう、そんな理由で彼は「ムサシ」というあだ名で呼ばれるようになる。
オレなんか未だに、何回聞いても本名を知らない。

いや、彼は永遠にムサシなのだ。


この男を一言で表すと…

「馬鹿」

である。

エピソードがある。

当時オレはギターの先生なる存在がいた。
オレは3番弟子であり、マエダケンタロウは弟弟子であった。

そんな折にムサシが

「尚人さん、ギターを始めようと思うんですが、教えてもらえませんか??」
と言ってきた。

快諾したオレは聞いた。
「ギター持ってるの??」

ムサシ
「いいえ。でも買うお金はまだ貯まってません。」


良い先輩であろうとしたオレは一つの提案をした。

「使ってないギターあるから貸そうか??」

当時、我が家には眠っているギターがあった。
オレは3番弟子と書いたが、1番弟子の人から貰ったギター。
その1番弟子の人が初心者の頃に使って猛練習したという思い入れのあるギターである。
今だに、その人より上手い自信はない。超絶ギタリストであった。
その人もオレに言った。
高校生当時まだ自分のギターを持ってなかったオレに対して「使ってないギターあるからあげるよ。」と。

そうやってオレの手元にきたギター。大事なギターである。
しかし、自分のギターを購入した後は使わず我が家で眠っていた。

いくら大事なギターでも家で眠らせるよりは誰かに使ってもらったほうがマシという考えのオレ。

ステッカーと傷だらけの、その大事なギターをムサシに貸した。

ムサシも最初は一生懸命練習していたのだが、次第にしなくなっていった。


数ヵ月後。


久しぶりにあのギターを弾こうと思った。

ムサシに「久しぶりにあのギター弾かせてよ。」
と言うと…


「すいません……無くしました……」

だとさ。

無くした!!??
人からの借り物のギターを??

それ以前に、ギターって「無くす」ものなのか??


正直に言え、と。
無くしたんじゃなくて、壊したか売ったんでしょ??
と。

ムサシは
「それは違います!!…本当に無くしたんです…すいません!!」


ああ…

オレはこの瞬間、確信したね。

こいつ、馬鹿だ。ただの馬鹿だ、って。

ギターを無くしたなんて初めて聞いた。
ライブもしてない奴が、学校と家のどこでギターを無くすのだ??

大事なギターを失ったことはもちろん悲しかったが。

もう、あまりの馬鹿らしさに爆笑して許してしまった。

…まあ、アホみたいに酒を飲ませたが。


そう、彼こそが…

後のペラーズ2代目Vo、

そして後に「クライングオールナイト」の歌詞を作詞したムサシであるが…

それはまた後のお話。

続く

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