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九州王朝説コミュのはじめましてトピ

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はじめまして。
管理人のCVK1(a.k.a.Kenbo)と申します。
賛成派・否定派問わず、貴重な意見交換ができるコミュニティになればと思っております。
宜しくお願い致します。

コメント(8)

はじめまして。
私は末廬国出身、九州王朝の謎、面白そうですね。

全然詳しくないので意見交換等は出来ないと思いますが、宜しくお願いします。
初めまして

古田史学ファンです
まあ 古田さんの言われていることが細部まで 正しいとはいいませんが
大枠では 間違いないと思っています

『都は邪靡堆、魏志の説に則れば、邪馬臺というなり。』(『隋書』倭国伝)

『随書』倭国伝 ではなく 『隋書』俀(たい)国伝だと思っています

自称 どうやら 北九州あたりを 「やま」と言っていたようで 「山」 それに中国が中華思想で「邪馬」という卑字をあてて邪馬臺(たい)国と書いたんじゃないですかねぇ

俀(たい)国と名乗る前は、倭国と名乗っていたようで 倭という字は、wi と古代中国では発音されていたようで 中国人はその発音に近い漢字 「壱」をあてて

卑弥呼の国は 邪馬壱国 邪馬 倭国 だと 魏志倭人伝に書いたものだと

まあ 古田さんの話しだとこんな感じだと思います

 日の出所の天子は 阿毎多利思比孤ではなくて 阿毎多利思北孤 (天の足りし矛)だと
まあ これも古田さんの話ですが^^

秦の始皇帝から ついこの前までの20世紀のラストエンペラーのいた清まで
天子のいる国って みんな漢字一文字なんですよね

百済なんていう 二文字の国名の国に 天子はいません いても大王です
新羅もそう 高句麗もそう

だから 「日本」などという 二文字の二等国の国名の国に 「日のいずるところの天子」なんて
いうやつがいちゃ おかしいんです 天子を名乗るからには 国号は 一文字にしないと

日のいずるところの天子 と自称した 阿毎多利思北孤は、自分の国を 俀(たい)国といったという
国号は 一文字ですね


古代中国では、天子が直轄した領地を 「九州」と呼んだそうです

まあ ちょっと違いますが わかりやすく説明するために
今だと トップ天皇がいて その下に 総理大臣がいるというふうに考えると

トップに天子がいて その次の位 それを 太宰といったそうで

現代でも
総理府(そうりふ)は、内閣総理大臣自らが分担管理する事務として所掌していた日本の行政機関。

ということであれば

太宰という位の人が自ら分担管理する事務として所掌していた俀(たい)国の行政機関の名前は

『太宰府』 でしょうねぇ













 

はじめまして

私は、古田三部作の評価が高くなった1970年代に知りました。

「ここに古代王朝ありき」は書店に並ぶや否やで買いました。


日本古代史の大疑問は、この古田指摘でほぼ決まりと思いました。
(この点は、今も変わりません)


ただし古田所説のうち、7世紀になって以後の部分に疑問がありました。

これらについては、最近の古田史学会報の発表内容を追跡するうち段々に理解が深まってきていると考えます。

ここで、私の意見ですが、

古田武彦氏自身が、そのような後輩たちの論議を十分に理解できないか、あるいは理解しないふりをしたがる人のように思われます。

新説を次々に発表してスタンドプレーをしたがる性向が古田武彦氏の本性なのでないか。とさえ思うようになりました。


古田武彦氏は、九州王朝説という言葉の創始者であったかも知れません。が

九州王朝説と呼ぶべき民間学説は、徳川時代に存在しており、しかも相当に有力であったらしいとの前提です。

鶴峯しげのぶの「襲国偽僭考」というのは、そのような民間学説への反論書とみなすべきように思うのです。

ともかく古田武彦氏という老人の思惑を乗り越えるべきでしょう。

日本古代史の真実は、九州に展開した

倭国 という王朝集団を前提すると、多くの謎が解消してゆく。

ところが、猛烈に抵抗する、多くの人たちが存在します。


一方で、古田武彦氏は、ひどい事実誤認識もすることがある人であり、周囲にそれを指摘する人が今では存在しないかのようです。もっと以前なら厳しく指摘する人がいたと思いますが、古田武彦氏が有名人になってしまい、周囲からそういう人が去ってしまったようです。

ずいぶん長くなりましたので、いったんここまでとします。
管理人様、皆様
はじめまして…<(_ _)>

正直、古田武彦氏の説はある意味で賛同しています。
日本の古代史は、謎だらけですが、魏志倭人伝を読みとる限り、
邪馬台国は九州にある!!でしょう…。
簡単な疑問から難しい理屈まで、楽しく想像したりお話し出来ればと…
お邪魔しました(*^^)v

どうぞ宜しくお願いします。

初めまして。

古田武彦氏の本はいろいろ読んだのですが、ここしばらくは読んでないので忘れてる部分もかなりあります。

印象としては『邪馬台国はなかった』は素晴らしい。

あれを書いた時古田氏はまだ古代史学界では無名だったので色々な反論を想定して緻密な論理の構築をしていますね。

ところが『邪馬台国はなかった』で多くのファンが付き、邪馬台国論争の有力な論者の一人として位置付けられるようになると次第につまらないケアレスミスが目立つようになりましたね。

それでも九州王朝説に関しては大筋では正しいのではないかという印象を持っています。
昨年4月に、福岡市西区の愛宕神社で発見してから、一年越しですが、
九州王朝のキモともなるべき、臨海地区高台にて、
古田武彦先生のサインを発見しました。
(愛宕神社の社務所にて)
はじめまして。福岡市博多区(実家)在住の 縁もこです
3年前くらいに 父の祖母実家が蘇我の宗家だということを初めてすごいショックを感じ(父もしらなんだ。どえらい家系だとは教わってたらしいけど)生まれてこの方、いろいろ善し悪しにかかわら(原因不明の病気や迫害?など含め)ずトンデモなことばかりおきるのでどうしてだろう?という原因が解ったのですが、あまりに知識がなくてあまりにふがいなくなり途方にくれました。そのよなことも全く知らず(直観で)中学から教科書の歴史がどうにも腑に落ちずにボイコットしてた日本史(主にトンデモ日本古代史系)を40半ば過ぎから探っています。まず関さん本からスタートし沖縄久高島や東北に伝わるエミシの女神やユダヤなどをいろいろ読んだのち、最近九州王朝説が書かれたとあるサイトと出会い たいへん 腑に落ちました。当方は歴史というより、縄文祭祀に興味があったのですが蘇我や武内宿禰や神功皇后の真実など探っていくうちにもっと総合的にみていかないとわからないなーと いまひとつ専門的すぎる内容はよくわからないのですが、感性でDNAに響くことをつないでいってます。九州王朝説はこれからもっと実際歩いて深めていきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
追伸:そういえば7月久留米大学で古田せんせのセミナーがあったんですね。。。しょんぼり

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