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サッカー元日本代表の旅コミュの開会式そして全国大会

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“夢の国立目指して”を合言葉に全国大会への準備に入った12月、本来ならこのあたりから気持ちも徐々に盛り上がってくるのだが、私にとっては県予選の決勝が夢舞台だったので、あまり盛り上がりもなく過ごしていたたらーっ(汗)

県予選を勝ち抜いた要因の一つに夏以降に特別コーチとしてブラジルから招いたエスピノーサ氏の存在があった。

卓越した指導力を持ち人としても本当に素晴らしく尊敬できる人でした指でOK


彼との出会いは私のサッカー人生において大きな影響を与えたのは間違いない。

12月は日本リーグのチームとの練習試合に明け暮れた。組み合わせ抽選会も終わり初戦の相手も決まって、元旦の開会式まであと僅かとなったが一向に気持ちが盛り上がらない。


それでも年末には東京に向けて出発した。東京で新年を迎えた元日、小雨の降るなか開会式の行われる国立競技場に向かった。今までスタンドで観戦した事はあったが、初めてピッチに立つと言うこともあり今までの盛り上がりのなさが嘘のように少し心が躍りだしたチャペル


余談だが、国立近くでバスを止め待機している時、上下派手なピンクのウィンドブレーカーを着た女性が雨の中ランニングをしており我々のバスの横を通り過ぎた瞬間、皆一斉にそちらに向かって振り返った。


当時もトレンディードラマなどで活躍していた浅野温子だった。さすが東京だなと実感した田舎者丸出しの瞬間であった泣き顔


下から見上げる国立の大きさに驚きながら開会式を終え、3日に迎える初戦に向けて準備に入った。1回戦の相手は神戸広陵、千葉の秋津サッカー場での試合でした。

初戦のプレッシャーもあまり感じず、前半20分過ぎ左から崩した三浦さんのセンターリングのこぼれを私が左足で蹴り込んで先制した手(チョキ)

初戦にしてはまあまあの出来だったと思う。後半セットプレーからと、エース武岡さんのゴールで3−0とし初戦を終えた。本当に偶然にだが、初戦のスタンドに見まちがいでなければ親父の姿を発見した。

複雑な気持ちだったのを覚えている。2回戦の相手は仙台育英、ブラジルからの留学生カルロスを擁するチームであった。立ち上がりから何かちぐはぐしており、チャンスもなかなかものに出来ずにいた。それでも前半30分過ぎキャプテン三浦さんのフリーキックが豪快に決まり先制したが、動きの悪さは相変わらずでそのまま前半を終了した。

ハーフタイム監督の怒りが爆発した!何を言われたのかは覚えていないが全国大会まで来てここまで怒るかというくらい怒鳴りやがったげっそり

そんなゲキのかいもなく後半になってもチームは一向に機能せず、何とか前半の1点を守り切りベスト8に駒を進めた。準々決勝を前にして1日休みがあるのだが、次の日試合があるとは思えない練習ぶりで私は逆効果に思えたが仕方なくこなした。

国立行きをかけての準々決勝になるはずがこの年は社会人ラグビーとの兼ね合いで準決勝が駒沢競技場だった。つまり決勝戦のみ国立競技場を使用すると言う事だった。

ベスト4をかけた戦いの相手は盛岡商業、正直ノーマークのチームだった。しかし練習試合で東海第一に3−0で圧勝しているチームだったのである。

フィジカルも強く高さもある、はっきり言って防戦一方。静岡代表らしからぬといった文字が翌日の紙面に書かれるのも容易に想像できたバッド(下向き矢印)

よく耐えたと言ったほうが正しかった。80分を通して1点も奪えなかったのは県大会も通じても初めてであり、PK合戦に突入した時の心理状態は最悪であった。

当時は常に勝利を期待されていた静岡代表だっただけに、PK合戦に持ち込まれた事はある意味負けに等しかった。清商が先制で2本目まで順調に決めた。ここでGKの内藤さんが魅せた、相手のPKを2本止めた。こちらも1本外したが3−1で東北の強豪に何とか競り勝ち首の皮一枚で繋がったが、初戦の快勝以降は苦しい戦いが続き全国で勝つのも簡単ではないと実感させられるのである。


苦しみながらも準決勝に駒を進めたこの日、昭和天皇がお亡くなりになったという一報が入った。

さて今回は準決勝進出を決めたところまで、次回は天皇陛下死去による2日間の中断あたりから振り返りたく思います。

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