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自遊俳句会コミュの第二十二番札所「平等寺」

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ひろし先生 みなさま

おはようございます。第二十二番札所「平等寺」です。

1 水仙や一段降りて香のもとへ

石段のまわりに水仙が咲いていました。何気なく通り過ぎたら、ほのかな香りを風が運んでくれ、もっと香りをかぐために一段おりてみました。

2 春時雨句碑みつけたるをんな坂

傘をさし厄よけの女坂を下っていました。滑る石段で下を向き、さらに傘があるのでまわりが見えません。予感がしたのか(笑)、ふと頭を上げると石段の脇の土の中に、句碑がありました。俳句を始めたからでしょうね、句碑を見つけたこと、これも弘法さんのお導き!(とは思いませんが笑)何だかとても楽しい気分になりました。雨にうたれたくずし字は読めませんでしたけど(笑)。写真を撮ったので、のちほど判読してみます。

3 土筆ってこんなんだっけと声のして

土筆がありました。忙しくて生活も大変で、もう何十年間も土筆が土に生えているのなど見ていないという都会の人が、すっとんきょうな声をあげつつ、キャキャと子供のように喜んでいました。

4 お遍路や人のこころの糧となり

バスでの寺オリエンテーリングのような遍路旅は、全行程を遠しで歩く厳しいお遍路とはまったく別物です。はじめからそう思って参加して正解でした。それはそれで、ずっといっしょのいろいろな方とお話することができ、江戸時代の講を彷彿とさせられるような俗と聖を垣間見たり、別ものの面白さがありました。でもまあ、また行くかと聞かれたとき「う〜ん・・・どうなるかな、どうしようかな」というのが変る可能性も含みつつ、無尽蔵クンの今の答えです(笑)。旅をいっしょにした人たちと雑談したら、それぞれの人が、それぞれのお遍路旅をしたようで、それぞれの心の糧となったようです。

5 般若経とどのつまりはこだはるな

般若心経とはなんぞや、いろいろ本が出ていますね。解釈もさまざまありますが、共通して言ってることは「こだわるな」ということかな。今回の阿波遍路旅で何十回も般若心経を唱えた結果、なんとなくですが実感できたのも「とどのつまりはこだわるな」そのことかもしれません。だからなんだっていわれると困るけど(笑)。

以上、よろしくご指導お願いいたします。

コメント(4)

■無尽蔵さんへ

おはようございます
いよいよ第22番札所へ


□□□□
1 水仙や一段降りて香のもとへ

この場合は水仙やで切らないで一気に詠みます
一段というよりも具体的に石段としたほうがリアルですね。

石段を降りて水仙香たつ


□□□□
2 春時雨句碑みつけたるをんな坂

句碑を詠み込むことは作者の目に入ったのですから
みつけたとまでいう必要はありません

春時雨をんな坂なる句碑ありき

句碑発見の感動を「ありき」に凝縮しましょう




□□□□□□
3 土筆ってこんなんだっけと声のして

土筆を見つけて喜んでいる人達がそこに鋳るようですね

土筆んぼうってこれだた大歓声


□□□□□
4 お遍路や人のこころの糧となり

フィニッシュに近い心境になりましたね。

お遍路の想いそれぞれ糧となる

遍路は遍路をする人の意味もありますし、ここも「や」で切るところではないです
 いろんな想いが糧になったのですよね。



□□□□□
5 般若経とどのつまりはこだはるな

こだわらないことと気づいたのは凄いですね。
これこそが解脱ですね。

心経の詰まるところはこだわるな
ひろし先生

添削をしていただきありがとうございました。

無尽蔵クンは、どこにでも切れ字さえ使えば、
一見俳句っぽくなるような気がしているのでしょうかハハハ。
小学生じゃないのですから、俳句を基本から勉強しなおしたほうがよさそうですね。

>こだわらないことと気づいたのは凄いですね。 これこそが解脱ですね。
    ↑
お言葉ありがとうございます。
まっいっか〜!でなく、俳句にはもっと「こだわる」ほうがいいのかもしれませんけど(笑)

■無尽蔵さんへ

切れ字とは何かをしっかり理解していないと謝った使い方をするのですが
初心者には意外とこれが難しいんですよね。

 切れ字は回り舞台と考えたら良いかも
一幕の内で場面転換するけども前の場面とつながりつつ次の場面に替えてしまう

 そしてもう一度回って前の場面に戻る

例えば

1 水仙や一段降りて香のもとへ

上五はやで切れましたから場面転換しちゃいましたね
次の場面は石段を下りて香ー薫っているところへ行こうとしていますが
水仙は前の場面で回って消えてしまいましたので、香が宙ぶらりんになりました
 切れ字で切った場合は詐欺のフレーズがある程度独立しても成り立つ必要があります
 例えば上五「水仙や」にした場合

水仙や石段降りて出逢いたる

水仙の場面が回って石段降りる場面になりました
この場面で展開されるのは出逢いのドラマです
 何に出逢うのか人なのかあるいは前の場面の水仙にもう一度出逢うこともあります。この場合は切れ字のブーメラン現象で切れたところへもう一度戻るんですね。

 数多く詠んだり読んだりして慣れて感覚的に捕らえることです。




ひろし先生

切れ字でといえば、教科書にあったこれが初めて遭遇した切れ字でしょうか。

「古池や蛙とび込む水の音」

このとき国語の先生が切れ字の話をしてくれました。
「や・かな・けりで句が切れて、次の言葉はまったく別の展開になるときに使います」
「古池」と「かわず〜」の話は同じような気がするけど、
まったく別の話なのかなあと思ったことを思い出しました。
学校は教科書では、言われたとおり「やは切れ字」とおぼえれば言いだけですから、
そのときからすでにほんとの意味での「切れ字」を
理解できていなかったのかも、それに今ごろ気がついたりしてキャハハハ。

「古池や〜」も「廻り舞台」「ブーメラン現象」と思えば、
切れ字ということ、とてもわかりやすいです。

「古池や蛙とび込む向こうみず」自分のこと!

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