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唯識論コミュのバラモン教が仏教の影響を受けて輪廻転生を説いた

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 トピック違いかもしれませんが、輪廻は本当にブッダの教えなのかということがよく話題になるので、この文章をとりあげてみます。ひとことでいって、「バラモン教が仏教の影響を受けて輪廻転生を説いた」という内容です。
 みなさんはどう思われますか。

アルボムッレ・スマナサーラ『日本人が知らないブッダの話』p.22より以下引用

 インドの主流宗教であるヒンドゥー教の教えでは、死んだら輪廻転生するといいます。ヒンドゥー教は、お釈迦様の時代にバラモン教と呼ばれた宗教から発展しました。そこで、「お釈迦様はバラモン教社会の前提だった輪廻思想を受け入れたのだ」と説明さるのです。しかし、これは逆です。
 お釈迦様在世時に成立していたバラモン教の古いヴェーダ聖典や『ウパニシャッド』には、輪廻の教えは出てこないのです。『ウパニシャッド』に輪廻の教えが入ったのはお釈迦様以降のことです。ヴェーダ聖典も「リグ・ヴェーダ」「サーマ・ヴェーダ」「ヤジュル・ヴェーダ」の三ヴェーダのみ成立していて、四つめの「アタルヴァ・ヴェーダ」はまだなかったのです。ヴェーダといっても神社の神職が唱える祝詞のようなもので、神をあれこれ褒めたたえながらお願いするだけの無内容な文章です。輪廻や業に関する複雑な教えなど、どこにもありません。
 『ウパニシャッド』は一部のバラモンが伝えた形而上学的な思想書ですが、その存在は仏典にはまったく言及されていません。当時の有名なバラモンたちが次々に出家して、お釈迦様の教団に入ったというのに、これはおかしな話です。つまりお釈迦様の時代に、『ウパニシャッド』は全く知られていなかったのです。
 『ウパニシャッド』には、仏教の影響とみられる業論や輪廻説が断片的に説かれています。『ウパニシャッド』の最初の一本とされる「チャンドーギャ・ウパニシャッド」には、輪廻に関するあやふやな教えが記されています。それも、もともとクシャトリヤに伝わる教えをバラモンが無理を言って教えてもらったという聞き書きの形です。つまり、バラモン教の伝統には、輪廻説がなかったのです。

 インド思想史の概説書などを読むと、仏教の時代に、沙門宗教(当時のインドでの非主流派宗教)の間で広まっていた輪廻説について、『ウパニシャッド』の業論や輪廻説を前提にしたのだと説明しています。しかし、実際に教えをパクったのはバラモンたちの方で、仏教や他の沙門宗教から取材して書かれたのが『ウパニシャッド』だ、と考えたほうがはるかに合理的です。
 仏典では業や輪廻について、お釈迦様が自ら目の当りに覚ったこととして語られています。一方、「ウパニシャッド」はただのあいまいな聞き書きにすぎません。お釈迦様の時代にあった沙門宗教の一部では、「輪廻はある」と言われていました。けれども、彼らは永遠不滅の魂が移転することを語っていたので、仏教の輪廻転生の話とは比較になりません。
 仏教の輪廻転生の話は、一切は無常であるという立場で語るものです。因縁によって現れては消えてゆく流れの中で、「個」はどうなるのかと分析する場合は、輪廻という表現になるのです。

コメント(9)

輪廻転生はかなり古い時代から様ざまな地域にあった考えではないんですかね・・・?
私が習ったところだと、輪廻や業の概念のベースになったのは、リグヴェーダなどにでてくる「リタ」や「リナ」の概念らしいです(「リ」はRの下点)。

「リタ」は世界の秩序、節理みたいなアイデアで、「リナ」は倫理的因果律とまではいかないけれど、もし神様への礼拝をちゃんとやればご褒美(豊作、健康など)がもらえるし、もしちゃんとやらなければ怒られるよ、というアイデア。

この二つが抽象化されて生まれたのが業、あるいは輪廻説らしいです。「リナ」がご褒美論からより抽象的な因果応報論に変わることによって、全ての行動に結果が付く、つまり人生の最後に起こした行動が次の人生の結果を引く、という風に、輪廻が無いとつじつまが合わない事になってしまいます。

というわけで、私はバラモン教が業や輪廻説を他教からパクる必要は特に無かったと考えます。しかし、可能性としては或いは仏教からパクって、その後既存の概念(リタやリナなど)に無理やり照らし合わせたのかもしれませんね。

ただ、バラモン達が他教から輪廻説を取り入れたとみる方がなぜ「はるかに合理的」なのかがよくわかりませんでした。

あと、普通に考えると、無我などを説く仏教と輪廻説って全然かみあっていません。そしてこれはアビダルマからずっと問題になっている事です。無我で永遠不滅の魂が無いんだったら、一体「何」が輪廻するのか?バラモンでは簡単です。アートマンが輪廻する。洋服を着替えるように。しかし仏教ではアドホックな説明付けばっかりだと思います。
ああ、判りやすい解説をありがとうございます。
いつきさん

>私が習ったところだと、輪廻や業の概念のベースになったのは、リグヴェーダなどにでてくる「リタ」や「リナ」の概念らしいです(「リ」はRの下点)。

それは初めて知りました。興味深いですね。
『ウパニシャッド』やヴェーダ経典にのっていなくて、口伝で輪廻の教えあった可能性がありますね。

>バラモン達が他教から輪廻説を取り入れたとみる方がなぜ「はるかに合理的」なのかがよくわかりませんでした。

この文章はたしかに錯綜した部分があって、
「<現在ヒンドゥー教で説かれているような> 輪廻説がウパニシャッドにのったのは、ブッダの死後」
という話と
「<ウパニシャッドの初めに出てきたあやふやな>輪廻はバラモンの聞き書きだから、バラモン教のもともとの伝統でない」
という話が、ややごちゃごちゃになっているわけですね。
だから、ブッダ以前に輪廻説はなかったと言いながら、ウパニシャッドの初期にあやふやな輪廻があったというのは認めているわけです(笑)
しかし、「ウパニシャッドは当時知られていなかった(仏典に載ってないから)」
から、結局、輪廻は釈尊のオリジナルな発見であるということなのでしょう。

ただ、仏典にウパニシャッドが載っていなくても、それはなんらかの理由で記録されなかっただけという可能性もありますし、口伝で輪廻が伝わっていた可能性もありますし、まあ、これはスマ長老のひとつの説ということです。

「ブッダの時代から輪廻説のような教えはあったが、それは今の仏教のそれと比べると未熟なものだった。
ブッダもそれを知っていたが、ブッダは単にバラモン教の受け売りで輪廻を説いたのではなく、自分で輪廻の法則を再発見して、今、仏教にのこっているような輪廻説を説いた。
そのあたらしい仏教の輪廻説の影響を今度はバラモン教が受けた。」

―そのあたりの解釈が、個人的には、一番妥当な気がします。

重要な点は、輪廻が単なるバラモン教の受け売りか、釈尊が自分で再発見したニューヴァージョンの輪廻説かというところだと思います。
フジタカズヒコさん

合理性の理由納得です。ありがとうございます。

水波坊さん

なんとなくわかるような気がするのですけど、今ひとつご説明お願いします。

1.実在ではない存在とはなんでしょうか。
2.魂が「この体と同程度の無常」なのであれば、輪廻(魂が新しい体を得ること)と矛盾しませんか。
3.無明妄念の所産で幻花のような魂が輪廻する云々という話は蜃気楼の水の味を語るようなものではないでしょうか。

よろしくお願いします。

あと個人的には、刹那滅論から導き出されるような相続的輪廻説が好きです。

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