ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

OBK大阪のおばちゃんの会コミュのOBK事前勉強会 1-4 早期英語教育の害って?

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
OBK事前勉強会課題 1-4 大津先生の言われる、「早期英語教育の害」とはどんなことか

...........................................................................................

参考資料

インタージャペック 大津由起雄先生インタヴュー


関連して理解しておいて頂きたいことは、外国語を学習することと、狭い意味の第二言語を身につけるとは違うということです。
「狭い意味での第二言語」というのは、母語ではないのだけれどその言語の使われている環境で無意識に身につけた言語のことです。
それに対して、「外国語」というのは学校において一定のカリキュラムにしたがって、先生から意識的に教えられ、学ぶ側も意識的、意図的に学んだ言語のことです。狭い意味での第二言語と外国語を合わせて、「広い意味での第二言語」と呼びます。
 教育を考える時には狭い意味の第二言語を外国語はきちんと分けて考えなければいけません。早期英語教育、児童英語にかかわっている人たちの間でも狭い意味での第二言語と外国語を混同してしまっている場合が多いように感じます。
 とくに大切なことは、外国語の学習に関して早く始めるほど効果があがるという確たる証拠はないということ、中学入学時から外国語学習を開始しても十分な効果が上がるということ、外国語学習に関してなによりも大切なのは学習者自身がその外国語に興味を覚え、それを身につけたいと感じることなどです。
 ビジネスとして考えれば、英語はできるだけ早く始めましょうというのは決して理解できないことではありません。しかし、保護者が正しい知識のないままにそのビジネストークに乗せられてしまっては困ります。保護者は子どもたちを守らなくてはならないのですから。
 
-- それでは、児童英語の方向性としては、これから何をしていくべきなのでしょうか。

まず、児童英語というものに関しては、私個人としては不要であるし、場合によっては害さえあると思っていることをはっきりと申し上げておきたい。保護者の方々が正しい知識を持っていないといけないと言ったのは、ここなんです。わたくしの考えに同意してくださる必要はないけれども、本当に児童英語は必要なのかということをひとりひとりの保護者にきちんと判断していただきたい。
 私は、小学校英語も児童英語も必要なく、中学校英語以降の英語教育をもっともっと充実させることが重要だと考えています。が、現在児童英語というものが存在していて、学んでいる子ども達がいることも事実ですから、現実に沿ってどうすればいいのかについて私の提案をお話しようと思います。
 対象が学齢前の子どもであろうが、小学生であろうが、英語学習に先立ってやらなくてはならないは、先ほど触れた「ことばへの気づき」で、どうしても英語をやるというなら、その育成に少しでも役立つような形にしなくてはいけません。そのためには、母語を主役に、英語を脇役に置いていただきたい。 
 子どもたちに第一に身につけて欲しいことは好奇心です。ことばについて好奇心を感じ、それに対して自分自身で考えを巡らせることができるのは直感がきく母語です。
(中略)
例えば、英語を小さいころから始めると発音が良くなるなんてことが通説になっているわけですが、それは小さいころは発音に関して吸収する能力が高いということですよね。その吸収する能力が高い時に間違った発音を覚えてしまったらという恐れもありますね。
 また、きちんとした発音を身につけたとして、今度は本人や保護者がそのことで英語ができるようになったと勘違いしてしまうこともまれではありません。これが大きくなって本格的に英語を勉強しようと思ったときに邪魔になるということもあるのです。
 外国語として英語を身につける場合には、いずれなんらかの形で英語の仕組みについてきちんと学習しなくてはなりません。そのときに、そのための準備ができていることが必要で、それがさきほどから申し上げている「ことばぼ気づき」です。それが、十分に発達しないまま、ただ発音がいいというだけでは英語が使えるようにはなりません。決まり文句だけしか使えないという深刻な事態に陥ってしまう危険性が高いのです。
 
(中略)
早期教育については、ソニーの創始者である井深大氏などが積極的に広めようとされたわけですが、井深氏も後年早期教育について反省されて、それだけではダメだということをおっしゃっている。そういう歴史を経ているのですし、さらに、子どもの発達に関する考え方も変わってきているのですから、原点に返って、児童英語は本当に必要だろうか、あるいは、害はないのだろうか問うてみるという発想がないとダメだと思います。
 その上で、やはり、児童英語は意味がるという結論に達するというのであれば、それはそれで1つの見識ということになると思います。わたくしの考えとはまったく正反対のものですが。

(略)

コメント(11)

井深さんが、あれだけ早期教育に熱を入れておられたことは知っているが、(はい、わたいも、影響を受けましたよ)、後年、反省されたとな?

みなさん、知っておられましたか?

どこにそれ、書いてるのかな。

何を反省されたのかな。

もちろん、直感的に、「犬にお手」みたいな早期教育はどうなんだろう、って感じておられた人は多いだろう。

でも、何がいけないのか、って、「情緒が育たない」「感受性が」など、あいまいにしか説明できなかった。

早期教育と、早期英語教育。

チョムスキーは、母語が揺らぐと言った。
それには、とても共感していた。

だから、母語よりも、英語をたくさん聞いてそだっている普通の日本人は、大丈夫なんだろうか、と心配する気持ちもある。

でも、その子がおおきくならないとわからないこともある。
それに、ひとりの人間が、「英語を母語よりもたくさん与えられて育った」場合を、「日本語をしっかり聞いて育った」場合の両者を同時に経験できないから、わからんこともたくさんあるのではないか、と思います。


でも、私が、そうしても、直感で思うことは、母語の領域でしっかりとした認識が成長していなければ、その人間は、孤独になるのではないか、という危惧があります。

なぜなら、人は、言語によって、認識を成長させていくからです。
言語によって、認識を成長させていく。

きっとそうなんでしょうが、言語は一人でも学ぶことが出来るって思うのです。

がめら先生のおっしゃる言語はコミュニケーション能力付きの言語かな。

どちらにせよ母語を使って自分の心を出していくこと。

それが出来ないと英語もほかの勉強も独りよがりになってしまう気がします。

各言う私は、日本語から喋り方を治した方がいいんちゃう?とがめら先生に
指摘していただいて、右往左往しております。

ことばって難しい。
まはろさん

ごめん!!
ああいう言い方でよかったのかなあ、って気になってました。

なおした方がいい、ということでは、なく、普段の日本語の話し方が、英語の表現のしかたにも影響がある、だから、それを確認してみたら気づきがあるかも、という意味でした。

まはろさんの話し方があかんから、という意味ではないんよ、言葉がたらなかった。ごめんなさい。

私だって、普段の日本語の話し方が英語の表現に影響がある、普段のものの言い方の枠を越えてみたいな、って思っても、やっぱり、日本語の表現の仕方の大きく影響されるあるいは、制限されるのを感じています。

だから、英語の表現力を点検する時、日本語の表現力を点検してみたら、参考になる。



>がめら先生のおっしゃる言語はコミュニケーション能力付きの言語かな。


人は、人とコミュニケートしながら、色んなことに気づく。
言語の成長は、心の成長に正比例するんだ、という認識があります。
その認識の上に立つと、人間は、言語は1人でも学習できるけど、それを運用する能力は人とコミュニケートする中で育っていくのではないか、と思うねん。

もちろん、テレビや本とも、対話する気持ちになれば出来るから、それもコミュニケートと呼べると思うし、その中でも言語の発達はあると思う。
トピックと話がずれてしまってすみません。

話し方って無意識だけに第三者に意見してもらうことで気付くことってあると思います。
そして母語の話し方が英語やその他の言語にも大きく影響してるってこと
すっごくわかります。

先日ホストファミリーをしたときに、コミュニケートするのはほぼ英語だったから英語を話していましたが、
話す内容というか話し方というか話題は日本語で考えているというか
日本人として育った感覚で話すというか、
上手くいえないのですが
母語と英語という言語だけの問題でなく、
文化もコミュニケーションしていたんだと気付きました。

言語、ことば、コミュニケーション
いっぱい学ぶことありますね。

頭の中できちんと整理したいです。

OBKの資料熟読させて頂きます!
ありがとうございました。
お友達が教えてくれた情報から。

井深氏の晩年の反省について

央教育審議会
1998/01/29議事録
幼児期からの心の教育に関する小委員会(第11回)議事録
------------------------------------------------------------------------
幼児期からの心の教育に関する小委員会(第11回)
議事録
平成10年1月29日(木)13:00〜15:00
霞が関東京會舘34階ロイヤルルーム
意見発表者:汐見稔幸氏(東京大学助教授)

抜粋

……………………………………………………………………………………………
この点で、早期教育の提唱者の一人で、最も大きな影響力を与えてきました井深大氏がある反省を書かれているのが大変参考になります。6ページ目を御覧になっていただきたいと思います。これは大変なベストセラーになりました『幼稚園では遅すぎる』という本からコピーさせていただきました。この本は、その後、早期教育の業者がほとんど基本としている本でありまして、相当な数が出たと思います。その中に書かれていることの中で、私は9割ぐらい現在でも通用する非常にいいことを書いてあると思うのですが、1割ぐらいは少し気になるわけです。
例えば、上の段の最初、12項目目に「三歳までの子どもの頭脳は、どんなにたくさんのものを詰め込んでも平気である。」というテーゼがございます。
後ろから4行目、「したがって、『与えすぎ』などということは、すこしも心配する必要はないのです。」、どんどん与えろということがここで書かれています。
下の段に移りますが、93項目目、「二歳までは『教育ママ』おおいにけっこうである。」と書いてあります。
後ろから4行目を御覧いただきたいんですが、「二歳まではきびしい『教育ママ』に、それ以後はやさしい母親に、これが幼児教育にとって理想的な母親像といえましょう。」という言い方をされているわけです。
これが意外と入っておりまして、「2歳までは厳しくっていいんでしょう、先生」という御質問が非常に多いです。「言うことを聞かないから、パチッと体罰をやっても、それは記憶に残らないから、2歳ぐらいまではいいんでしょう。いつになったら体罰はだめなんですか」という質問が時々ございまして、「どこでそういうことを聞いたんですか」と言わざるを得ない現状があります。
その井深さんが、幼児開発協会というものをつくられて、実験的な教室をつくられたわけです。そこでゼロ歳児を育てるお母さん方に来ていただいて、子どもにこういうカードを覚えさせてくれとか、いろいろ実験的にやってこられたわけです。

それから20年たちまして、1990年4月29日の朝日新聞(1990年.4/28夕刊)に、資料の7ページを御覧いただきたいと思いますが、「幼児開発協会20年の経験」ということで、ある文章をお書きになっています。それをそのまま私が打ってきたのですが、下線部分を御覧いただきたいのです。
「いろいろやっているうちに、本当に必要なのは知的教育より、まず、『人間づくり』『心の教育』だと気付いた。学校では落ちこぼれ、暴力、いじめが頻発している。心を育てるには、学校教育だけではなく、母親の役割が何よりも大切であり、子どもの方も幼稚園どころか0歳児、いや胎児期から育てなければならないという考えに代わってきた。」「赤ちゃんの温かい心づくりと、生まれた時からの体づくりが、何よりも重要で、知的教育はことばがわかるようになってから、ゆっくりでよい、という結論になった。」。
これはその前の本とかなりトーンが変わっていまして、最初は厳しいママになりなさいと言っていたのですが、最初はむしろ逆にやさしい母親になりなさい、それが大事だということがわかって、知的教育はゆっくりでよいということがわかったと。こういうふうに井深さんがおっしゃっているのは、実はあまりに早くやると、非常にまずいケースがかなりあったということがあるんだと思うんです。そのことははっきりお書きになっておりませんが。
そういう意味で、井深さんは正直にお書きになっていただいてよかったと思うんですが、私は、やっぱり小さいころに子どもが本当にやりたがっていないことを無理にさせることの影響が非常に心配です。
次に、8ページをもう一度御覧いただきたいのですが、このグラフを御説明いたします。これは私の知り合いで、こういうことを調べている方が、家庭教育研究所というところで、そこに来ている3歳の子どもたちの親にアンケートを取ったのですが、100人ぐらいの子どものうち、既に4歳になっている子もいますが、3歳児段階で「あいうえお」が大体読めるという子どもが10数名いつもいるのです。その子どもたちを毎年集めましてデータを取りまして、3歳段階で既に文字が読める子どもの中で、その習得のプロセスが大きく二つのタイプに分かれることがわかったわけです。
一つは、母親が絵本を読んでやっているうちに、いつの間にか「これ何?」「あれ何?」と言って覚えてしまった子どもです。もう一つは、母親がカードを買ってきたりして、意識的にフラッシュカードのような形で覚えさせたという子ども、このようにはっきり分かれることがわかったんです。
ここで書いてある「T」は「体験認知型」といって、自分でいつの間にか体験的に覚えてしまった。「P」は「パターン認知型」といって、パッパッと示して覚えさせたというものです。その子たちに分けて、3歳6ヵ月の段階で、「情緒性」「自発性」「運動性」「認知性」「言語性」「社会性」の育ちについての一つのオーソライズされた調査がございますので、それを親に書いてもらったわけです。そういたしますと、どの項目でも、子どもの育ちに差が出てきている。
例えば、3歳段階の「情緒性」を見てみますと、「気分の安定」というところでは、「T」型の子は大体90数%ですが、「P」型の子は70数%という形で、基本的にほとんどの項目で例外なしに体験認知型の子どもの「情緒性」「自発性」「運動性」「認知性」「社会性」の育ちが総じていいというデータが出ております。
情緒性」「自発性」「運動性」「認知性」「社会性」の育ちには

体験認知型が良い。

一緒に遊んでいるうちに、これ何?あれ何?と興味を示して

その時に上手いこと学んでいっている。


これを教室に持ってくるとどうしたものか???

やっぱり先生の指導要綱が必須ですね。
「情緒性」「自発性」「運動性」「認知性」「社会性」の育ちには

体験認知型が良い。




普段の英語レッスンでいろいろこういうことをやっていると思うけどなあ。
まはろさんもやっているんじゃないかな。

でも、大事なことは「レッスンねた」としてやるのではなく、こういう能力を引き出すためにこういうアクティビティをやろう、とはっきりと目的意識を持って、(あるいは、できれば、こどもたち自信にもそういう意識をもってもらって)それをやること、そして、「ねらい通りの結果が得られただろうか」と検証しながらやっていくことだと思います。
次のレッスンのことばかり考えて、検証を忘れがちです。
毎回振り返らないと駄目ですね(>_<)
今日の振り返りと、次のレッスンの計画は、セットね。
あい。振り返らないと積み重ならないですね。

ネタばかりでプランがないのも困り者。

母国を使って英語を教える、心を揺さぶるレッスン。

英語落語でも、劇でも、絵本でもできますよね。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

OBK大阪のおばちゃんの会 更新情報

OBK大阪のおばちゃんの会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング