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英国古代遺跡研究会コミュのNO12 【神殿に続く立石参道】

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  WEST KENNELT AVENUE

 ウエスト・ケネット・アヴェニュと言われるこの通りは、エイヴブリのストーンサークルとザ・サンクチュアリーの二つの遺跡を結ぶ道の事で、日本の神社仏閣に続く「参道」にあたる物と似て居ると私は思う。

 現在、太古の面影は微塵も感じらない。
 緩やかな草原が広がっているだけだ。草原の中と言っても、芝生の連なる美しい草原ではない。荒れ果てた荒涼とした自然のままの草原だ。
 
 幅五〇メートルぐらいの広さで、道の両脇に石を置き草原の中に道を作る。聖域と聖域を結ぶ聖なる道だ。現在はエイヴブリのストーンサークルに近い方が比較的、昔の面影其のままに、幾つか道端に石が並んでいる。ちょつと難儀はするが、歩けない草原ではない。

 この参道に沿う様に現在は、第三国道とも言うべき、B四〇〇三 号線が走っていて、サンクチュアリーの遺跡の前を横切ってとなり村へと続く。その為にサンクチュアリーの方は現在、殆どの置き石は無くなっており、見渡す限りの草原の中を国道があるだけだ。所々に大きな立石を配し、道幅と長さを考えると、昔はさぞかし見事な物だったと想像出来る。

 この様な見事な2キロにも及ぶ参道は、スコットランドのキンタイア半島にあるBALLYMEANOCH AVENUE(バリムアノッホ・アヴェニュー)の参道ぐらいだろう。

 広範囲に渡り、幾つかの巨石建造物と言われる墳丘墓やストーンサークル等の集合体、即ち現在私たちが古代遺跡群と言う処でないと、この参道とも思える道は存在しない。相当に大きな規模の集落を形成していた遺蹟でないと、太古の遺蹟にはアヴェニューは存在しない。

 このエイヴベリの古代集落が可成りの大きさだと考えられるが、この集落の管理下にあった墳丘墓、丘陵、ストーンサークル。アヴェニュー一つの施設を考えただけでも、施設の大きさを考えると集落の住民だけで構築された物とは思えない。
 可なりの広範囲に亘る、他の地域に住む集落の協力無しでは不可能だと思われる。南に30キロの場所にはストーンヘンジがある。当然、ストーンヘンジを建設したであろう集落の住民も、エイヴベリの施設建設には協力したと思われる。

 巨石建造物の建設は一大イベントだ。現在のカーニバルやお祭りに匹敵する行事だと思える。近郊から人を集め、遠くから巨石を運び、人の交流も活発に行われたと思う。其処には多くの情報が集まり、活発な情報交換が考えられる。
 この様な広い地域から多くの人が集まるイベントには、血縁一族の集団とも言える古代の集落の婚姻関係も解消したに違いない。他の集落との男女交流は、濃くなる血を薄める働きをも促し、種族繁栄の為にも必要欠くべからざるイベントだったのではあるまいか?
 物流と情報交換等と共に、小さな集落にはこの様な祭り(イベント)のも持つ重要性が必要だったと思われる。

 権力者や支配者が、強力な指導力を発揮しなければ、建設は不可能だと考えるのは現代人の考え方だ。一人のシャーマンが居れば、遠くからでも若い男女を引き連れてイベントに、協力を申し出る人達も居たに違いない。
 物流、情報交換、部族の繁栄、これだけの重要な物が手に入るのである。イベント主催のシャーマンは、出来るだけ多くの集落にイベント開催を知らせるだけで良いと言うことだ。
 これは私の巨石建造物建設の労働力確保の推理です。



コメント(1)

 一枚目は17世紀のこの地域の想像図で、ウイリアム・ステュークリと言う人が画いた風景画や巨石の姿をたくさん画いている。
 当時ではウエブリーの遺跡群をかなり詳しく調査した人ではあるが、彼の推理には独断と偏見に満ちた考えが多く見られる。(1973年発行、The Monument Buildersより転載)

 二枚目はエイブリーのストーンヘンジの縁から眺めたアヴェニュウー。多くの置石は現在は失われている。ステュークリの画いた長い石の連なりがアヴェニューと言われる物である。

 三枚目は遺跡傍にある説明書き。
 この作品もステュークリの作品かどうかは調べていないが、17世紀の作品と思われる。

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